映画「炎628」
1985年ソ連
監督:エレム・クリモフ
キャスト:
フリョーラ…アレクセイ・クラフチェンコ
原題は「ИДИ И СМОТРИ」。これだけだとИДИが行くのか来るのかわからないが、黙示録からとっているそうなので、「(ここへ)来い。そして見よ。」といったところか。本当の一番最初に付けた題名は「ヒトラーを殺せ」だったが、ゴスキノのクレームが付いて変更したのだそうだ。クリモフ監督はインタビューで「広い意味でヒトラーと言ったのだが…。」と言ってるが、具体的な名前が入っちゃうと説明無しでそれだけ聞いた場合、個別案件のような気がしてきてしまうから良いか悪いかは微妙なところだなー。
それはともかく。
ロシアやハンガリーでこの映画が上映された時には、救急車が呼ばれたとか。「プライベート・ライアン」くらいの軽いノリで見ると後悔する事間違いなし! ということで。
1943年、ドイツ占領下の白ロシア。
主人公フリョーラは、少年らしい無垢の正義感から母の反対も振り切ってパルチザンに投ずる。ところが、肝心の戦闘には参加することを許されず、宿営地に残されてしまう。
森の中で泣いていると、同じくパルチザンの隊長に置いて行かれたグラーシャに出会う。まさにその時、ドイツ軍が宿営地を爆撃。降下兵によって徹底的に破壊されてしまう。二人は森の中に逃げ込んで難を逃れるが、その後どうして良いかわからない。とりあえず、フリョーラの故郷の村に行くことにするのだが…。
(以下激しくネタバレ)
フリョーラの家は不気味な静けさに包まれている。
母の作ったスープはまだ温かく、ランプも消えていない。
しかし、無造作に転がっている双子の妹たちの人形やハエの羽音が最悪の事態を予感させる。
その事を認めたくないフリョーラは、いざというとき村人が逃げ込む沼の中の小島へと走る。慌てて追うグラーシャは、家の裏に、手足が突っ張り、皮膚が異様に白くなった人体が無数に積まれているのを見てしまう。
二人は半狂乱になりながら、島に逃げ込む。そこにはやはり村人たちが逃げ込んでいたが、フリョーラの家族の姿はなかった。
自分の軽率な行動が家族を殺したのだ、という自責の念からか、フリョーラは食料の探索に進んで参加する。一緒に行った男たちは地雷を踏むなどして死んでしまい、たちまち一人になるフリョーラ。みんなに食料を届けなくては、と気は焦るが彼には生き残るための知恵も知識もない。ドイツ軍の探索に追いつめられ、ペレホードィ村に匿われるが、そこではドイツ軍が我が物顔に振る舞っていた。
やがて村人は一人残らず集まるように命じられる。フリョーラは胸騒ぎがしてみんなを止めようとするが、どうすることもできずに、一緒に家畜小屋の中に押し込まれてしまう。
子供が泣き叫び、罵声が飛び交う中に手榴弾が投げ込まれる。配られた火炎ビンを投げつけ火の手が上がると、ドイツ兵の間から拍手がわき上がった。その後はストレス解消とばかりに各々手にした火炎放射器やら機関銃やらを打ち込むのだった。
最後のシーンでフリョーラは、ドイツ軍の残したヒトラーの肖像に対して怒りをぶつける。
銃を一発撃つごとに時間は遡り、破壊された建物は元通りに、ドイツ軍は進軍しないことに、更にヒトラーの政界進出もなくなり、ヒトラーも赤ん坊に戻ってしまった。
たとえこの後、大量虐殺を命ずる独裁者になるとわかっていても、この母の胸に抱かれるだけの何も知らない赤ん坊を撃つことができるだろうか?
いや、そもそも、ヒトラー一個人を殺せば、この惨劇は避けられたのだろうか?
歴史を見れば、この手の虐殺は特に珍しいことでもない。
そもそも、村人たちが押し込められた家畜小屋の中はガランとしていたが、カタチは明らかに教会だ。
ソ連邦白ロシア共和国で、なぜ教会が家畜小屋にされていたのか、すんなり明け渡されたのかどうか、説明するまでもないだろう。
だとすれば、ヒトラー一人を殺せば…という問いに対する答えははっきりしている。クリモフ監督の言うところの「広い意味でのヒトラー」、誰の心にもある「我が心のヒトラー」を殺さない限りは歴史は永遠に繰り返すのだろう。
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コメント
ごめんくださいませ。
雪豹さまの長くて太くてすてきな斑点模様の尾に、とっても惹かれています。怒涛のようなソヴィエト・ロシア映画レビューにも、感動しています。すごくおもしろく、思わず観たくなります(下記一部作品を除く)。
主人公フリョーラくん(クラフチェンコ)が長じて今でも俳優をしていることをこちらのブログで知り、驚いています。しかもアクション映画系?!全然しゃきっとしていなかったのに。特筆すべき美少年ではなかったとは言え、おじさんになったフリョーラくんの姿を観たら打ちのめされるだろうなあと思うと、「スペツナズ」や「シティ・コネクション」は恐ろしくて観られそうにありません。
>原題は「ИДИ И СМОТРИ」。これだけだとИДИが行くのか来るのかわからないが、黙示録からとっているそうなので
原題のИди и смотриは黙示録からでしたか。この情報は、DVDの特典映像に入っているのでしょうか。
私がこの映画を観たとき(88年?)には「Come and see」という英語の題名も付記されていて、そのときからずっと、ヨハネ福音書1-34「イエスは『来なさい。そうすれば分かる』と言われた。」と同1-46「ナタナエルが、『ナザレから何か良いものが出るだろうか』と言ったので、フィリポは、『来て、見なさい』と言った。」を連想していました。この聖句、「実際に来て自分の目で確かめて」という意味だとして、しばしば伝道では使われています(「来ればわかる」と訳して駅看板を出している教会もあるとか)。
少年パルチザンというと思いつめた美少年がやるものだと空想していた(「僕の村は戦場だった」のイワンみたいな)のに、ぼぉーっとした子がごっこ遊びの延長みたいにしてやっていて、戦争はそれでもできてしまうのかという点で衝撃的でした。
この作品を観たおかげで戦争映画における残酷描写には免疫ができ、大概のものは大丈夫になりました。しかし時の経過による容姿の変貌に関しての免疫はできていないので、その後のフリョーラくん・・・やっぱり観られないです。
投稿: Киска | 2007年4月 1日 (日) 10時30分
観たくなるなんてお褒めの言葉をいただき、ありがとうございます。
この辺の映画をもっとたくさんの人が見るようになり、もっとたくさん日本に入ってきて更に値段が下がると良いなぁ、と思いつつ書いているので、そう思ってくださる方がいるととてもうれしいです。
「スペツナズ」はDVDを2巻くらい普通に見ていて、まったく気がつかなかったのです。さて、感想書くか~、とキャストを見てクラフチェンコが出ていると知っても、どこに出ていたかわからなかったくらいでして…。
たとえて言えば、今話題になっているシロクマのクヌート君でしょうか。あの愛くるしいクヌート君もいずれ大人のシロクマになったら…。といったくらいの変わりようです。
しかも、「スペツナズ」ではランボーみたいな役ですから、なんだか裏切られたような気分になること間違いなしです。
>原題のИди и смотриは黙示録からでしたか。この情報は、DVDの特典映像に入っているのでしょうか。
その通りです。クリモフ監督がインタビューで、黙示録の
”封印が解かれ、書が開かれる…汝、行きて見よ”(字幕のまま)
からとったと言っています。はっきり聞き取れなかったので黙示録の日本語訳を読んで探してみたのですが、どの部分に該当するのかよくわかりませんでした。なんでも、ゴスキノへ向かう途中の車中で聖書をめくって急に付けた題名ということですので、Кискаさんのおっしゃる通りなのかもしれません。
ついでながら、DVDの特典映像には、クラフチェンコのインタビューも入っています。これはそれほど、「おやまあ」って感じじゃなかったんですが…。
投稿: 雪豹 | 2007年4月 2日 (月) 00時44分
>”封印が解かれ、書が開かれる…汝、行きて見よ”(字幕のまま)
からとったと言っています。はっきり聞き取れなかったので黙示録の日本語訳を読んで探してみたのですが、どの部分に該当するのかよくわかりませんでした。
私も、黙示録の中で封印を解く箇所を読み直してみたのですが、やはり「行きて見よ」に該当しそうなところはどこなのかわかりませんでした。「見よ」という場面は何回かありますけど・・・。
>クラフチェンコ
「炎628」→「スペツナズ」。
なんか、「コーカサスの虜」ではチェチェンでのロシア軍のあり方に疑問を投げかけていながら、「チェチェン・ウォー」でそれこそ「ランボーのつもりですか」と言わせたくなるような役を演じた故セルゲイ・ボドロフ息子みたいな節操のなさですねえ。それでもとにかく生きているというのはめでたいことです(ヴィクトル・ツォイとかセルゲイ・クリョーヒンとかはその作品に感動した時には既にこの世の人ではなくなっていて悲しかった)。
フリョーラを演じた頃のクラフチェンコをシロクマのクヌート君に喩えるとはすばらしいですね。クヌート君に悪いような気がしないでもないけど。それに旭山動物園在住のイワンくんは巨体になっているにもかかわらず、やっぱり人気者ですよ。柱の陰に身を隠したつもりになったり、水に飛び込むと観客が喜ぶことを知っていて飛び込む様子を見せながら飛び込まないフェイント技も駆使したり、なかなかの役者なのですよね、このイワンくんは。
>この辺の映画をもっとたくさんの人が見るようになり、もっとたくさん日本に入ってきて更に値段が下がると良いなぁ、と思いつつ
全くそのとおりでございます!!
投稿: Киска | 2007年4月 7日 (土) 12時07分
たぶん、クリモフ監督がピンときたので付けただけで、もとがどこかというのは、あまり重要でないし覚えてないのではないかなぁ、と想像しています。
そうそう、それでセルゲイ・ボドロフ父子関連のものが見たいと思って探しているのですが、それこそ「チェチェン・ウォー」くらいしかないです。軍事をたが多いのかな<自分ち周辺。戦争アクションは何でもあるという点では非常に助かってますが。
>「炎628」→「スペツナズ」。
きっと、パルチザンでめきめき頭角を現したんですね(笑)。
>シロクマ
熊は身体の構造が人間と似ているので、巨大になっても人間の子供と似た格好ができる点で、得してるかもしれませんね。
シベリアで熊が毛皮を脱ぐと人間になる、という民話があるのも、そういうところからなんでしょうね。
…というわけで、皮が剥けたら男になった話?「ベアーズ・キス」が見てみたいです。
投稿: 雪豹 | 2007年4月 8日 (日) 09時05分