映画「夜よ、こんにちは」
2003年イタリア
監督:マルコ・ベロッキオ
キャスト:
キアラ…マヤ・サンサ
マリアーノ…ルイジ・ロ・カーショ
モロ…ロベルト・ヘルリツカ
よく、
「暗殺者は、対象と話しちゃ駄目だ。」
と言われているけど、それは、ちょっとでも言葉を交わし、少しでも相手が「対象」でなく「一人の人間」だと感じてしまうと、ためらいが生じるからだろう。なので、
「話せばわかる。」
「問答無用!」
ということになるわけだが、ここでは、モロ元首相を誘拐した「赤い旅団」のメンバーは、55日間も一緒に暮らしてしまっている。実際に起こった事件を扱っているので、結末は一応決まっているはずなのだが、本当の本当に殺せるのだろうか。
1978年、ローマ。ネコ憑き付のアパートを借りたキアラとその夫エルネストたち。…たち? そう夫婦のほかに得体の知れない男がいる。何者? というか、イタリア版「ゆく年くる年」を見ながら1978年を迎えた瞬間にキアラが抱きついたのは、エルネストじゃない方(←プリモ)。なんか全体的にちぐはぐな雰囲気が漂っている。
ある日の朝。夫らは外出中だろうか、一人部屋にいるキアラはやけに落ちつきなく、外でヘリコプターが飛ぶ音にもそわそわとしてテレビを点ける。すると、果たして、キリスト教民主党の党首、元首相のモロ氏がローマで襲われ、護衛ら5人は射殺、本人は誘拐されたという臨時ニュースが流れる。飛び上がるキアラ。
まさにその時。ブザーが鳴る。ぎょっとして出てみると、上の階の住人サンドラがいきなり、
「上の子を迎えに行くからお願い…。」
と、赤ん坊を押しつける。
「困るわ!」
と大いに困惑するキアラに、すぐ戻るからと強引に赤ん坊を預けて行ってしまう。
やがて、夫たちが帰ってくる。大人の人間が入るくらいの大きさの木箱をこの部屋の隠し部屋に運び込む。…まさに彼らがモロ誘拐の実行犯だったわけだ。
やがて、キアラは休暇が終わって仕事に出て、外の人たちとも接するようになる。部屋にたむろしている「赤い旅団」のメンバーたちも、キアラの買ってくる新聞やテレビの報道に注目しているが、誘拐というテロ行為に世間の反応はおおむね否定的だ。しかし、中には理解する人もいる。
イタリア政府の方は、テロリストとは交渉をしないという立場なので、モロが手紙を出してもどうにかなるということでもない。むしろ死んでもらって殉教者に祭り上げ、「赤い旅団」に対する憎しみをあおる道具にしたいと考えている、とモロ自身が気づいている。
…つまり、誰もがモロに「死ね」と言っているのだ。あうう、絶望的すぎる。
それでも…苦悩とあきらめの中でも、モロは手紙を書く。言葉が人を動かすことを信じて書き続ける…。
「赤い旅団」がモロに死刑判決を下したあとの動揺が激しいのはやはり、外との接点のあるキアラやエルネスト。モロが最後の希望を託したローマ法王パウロ6世宛の手紙を聞いてキアラが涙する場面も。
モロのテーマのように流れるシューベルトのこの曲の意味をどう捉えるか…。たぶん、人によって、あるいは見るたびに解釈は違うと思うけど。
こういった過酷なテロルの時代を乗り切ったイタリアには、イラクあたりの混乱を何とかできる知恵があるんじゃない?…と思ったけど、ひょっとして、まだ、乗り切ってない…なんてことは…。
参考サイト:
モロのテーマになっている曲は、シューベルトの「楽興の時第3番op.94-4」
…お、「音楽の泉」(NHKのラジオ番組)じゃん、と思ってしまったので、先入観なく聞くのが難しい…。
もっとも、クラシックに限らずよく知られた音楽は、人それぞれにイメージがあるだろう。
ほかにも、ピンク・フロイドの《Shine on your Crazy Diamond》が使われているが、この映画のために作った曲かと思う程雰囲気ぴったり。「Wish You Were Here」に収録(試聴できます)。
あと、「北極圏対独海戦 1944」の音楽書いてるクナイフェリの「Svete Tikhiy」とか。
知ってる人には違う思い入れもありそう。そういう人それぞれなとらえ方っていうのも、監督の計算のうちなのかなぁ?
ピア・ジョルジョ・ベロッキオ出演の映画→「ブラックバード・フォース」
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