【モ1-5】「今度かわいい子紹介するね」アラカイ=ベキ
ちまたには、合コンなどで女の子が
「じゃあ、かわいい子連れてくね」
などと言ったとき、連れて来られる「かわいい子」は連れてくる子よりかわいくない、という法則があるそうです(真偽の程は定かではありません)。
今回はそれと似た話……でもないかな?
アラカイ=ベキは、チンギス=ハンの娘で、オングトに嫁ぎました。オングトといえば、チンギスがまだモンゴル高原の統一を達成していなかったときからチンギスを応援してたアラクシ=テギンの率いる部族です。しかし、チンギス=ハンの側に付く、というのはオングトの総意ではなかったらしく、アラクシは長男のブヤンシバンともども殺されてしまうのです。
かろうじて逃げ延びたアラクシの幼い子供ボヤオカイにアラカイ=ベキが降嫁されたわけですが、アラカイ=ベキとボヤオカイの間には子供ができませんでしたので、彼女は夫に妃妾を娶って後継者をつくるように勧めた、と『元史』にあります。
先祖の祭祀を絶やさないためにヤキモチ一つ焼かず夫が他の女の人と子供を作ることを奨めるとはまさに妻の鏡!
……と儒教精神たっぷりな解説が行間に溢れ出るかのようですが、チンギス=カンの娘が漢族の風習に染まっているはずがありません。
中国の正史である『元史』には全く触れられていませんが、アラカイ=ベキは、ボヤオカイの妻になる前に、アラクシ=テギンの兄弟の子供、シェングイと結婚して、一人の男の子……アングダイをもうけています(『集史』による)。
ボヤオカイがあまりに幼くて父アラクシ=テギンの地位を継げなかったために、先ずアラクシの甥にオングトの長の地位につけたのですね。シェングイの父親はアラクシ以前のオングトの長だったし、アラクシ自身もシェングイを後継にする意向があったようなので、順当といえます。その後、ボヤオカイは成長してオングトの首長になり、アラカイ=ベキを娶るわけです
いうなれば、オングトの長の地位とモンゴル皇帝の娘との結婚はセットになっているようなものでしょうか。
この経緯から、アラカイ=ベキは相当の姉さん女房だったであろうと想像できます。いや、姉さん、というよりは親子ほどの年齢差があったかも。で、双方にとって相手はセックスの対象ではない、と感じられたのかもしれません。
だから、アラカイ=ベキがボヤオカイに良い妃妾を娶るよう奨めたという話は、気分的には母が息子に嫁を探すのと似た心境だったのではないでしょうか。
こうして、アラカイ=ベキにみっちり教育されたオングト王家が、モンゴル皇帝にもっとも忠実な家臣になったのは言うまでもありません。
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