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2008年4月24日 (木)

映画「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」

ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習(完全ノーカット版)

2006年アメリカ
監督:ラリー・チャールズ
キャスト:
ボラット…サシャ・バロン・コーエン
アザマット…ケン・ダヴィディアン
ルネリ…ルネリ

 カザフスタンごめんなさい!
「嘘つけ!」
「そんなわけないだろ!」
などと突っ込みを入れつつ笑った笑った。
 ボラットは下品でひどい男だが、ありゃあ旧ソ連とソ連崩壊後の中央アジアのごたごたからアメリカ人が妄想したカザフスタン人を多少(?)誇張して戯画化したもんなんだろうな。だって、教養がありそうな人にもかなり突撃してるのに、
「そんなカザフ人がいるかっ! ニセモノめ!」
って突っ込みを入れてる人が誰一人としていないじゃんよ(笑)。自国以外のことになんか、カザフスタンに限らず知ろうとも思わない連中に違いない。ちょっと前だったら日本人が餌食になってたところだった。いやー、アブナイアブナイ(笑)。
 まー、アメリカ人の変な日本人像は今でも少しは残ってるがこれほどめちゃくちゃじゃなくなっちゃったからツマラナイしな。ダシに使われたカザフスタンには誠にご愁傷さまとしか言いようがないが、「政治的に正しい」あれこれをおちょくってて、とってもおかしかった。日本語吹き替えより字幕の方が、字幕よりロシア語の方がお下劣度が増しているので、ロシア語の教材としてもいい……ワケがねえええええ!!!(英語版とヘブライ語版はどうせ聞き取れないので聞いてない)

 ただし、エガちゃんを生理的に受け付けない人は見ない方が良いかもね(笑)。カルト教団まがいのところに飛び込んだりその他もろもろ、芸風が江頭 2:50に似ている。

 でも、身体を張っているだけに笑える。っていうか、素っ裸のオッサンが二人組んずほぐれつした挙げ句、全裸のまま大人のオモチャを手に、住宅ローン業者のパーティー会場に乱入って…普通に犯罪だろうが。良く捕まらなかったな…って捕まったのかな(笑)。でも、これ、サブプライム・ローン問題がこれだけ大ごとになる前に撮られたんだろ? 実に鋭いところを突いてる。

 最後がいい話になってる(?)ので、お下劣な割には後味の良い映画でした。しかし、カザフスタンが怒るのはもっともなので、「モンゴル」あたりで挽回できるよう祈ってます!

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2008年4月16日 (水)

映画「ブリッジ」

ブリッジ

2006年イギリス/アメリカ
監督:エリック・スティール
音楽:アレックス・ヘッフェス

 実は劇場公開時に見たんだが、その時は感想を書く気になれなかった。なのでちょっと時期はずれになってしまったが……。

 アメリカ公開時に激しい批判を浴びたせいか、日本版トレーラーが酷かったんだね。あたかも自殺を思いとどまらせるようなフレーズを恣意的に切り出している。映画自体は自殺を否定も肯定もしていない。自殺しようとする人を押しとどめるでもなく、背を押すでもない。
 しかし、受け取りようによっては自殺者の行為を誉め称えるような遺族の発言も含まれており、「自殺は罪」としているキリスト教的モラルを壊される、と直感した人々がありとあらゆる難癖を付けたんだろうなあ。
 日本ではそういったクレームを避けるためにああいうトレーラー(これはTVCMで流されたものだろうと思うが、テレビがないので知らない)にしたんだろうと思うが、アレを見て見に行かなかった人も多かったんじゃないだろうか。「ダメ、絶対!」的なキャンペーンを張っても、本当に自殺を考えている人には届かないし、誰にとっても意味がない。だって、それで自殺が止められるのなら、キリスト教国では自殺はないはずじゃないか。ゴールデンゲート・ブリッジから飛び降りて死んだ人の数は1250人(映画公開時)。映画中にも「自殺は大罪」と考える信仰心の強い遺族が出てくるが、そういう環境の中でもこれだけの数の人が自ら命を絶ったのだ。

 固定カメラで捉えられるゴールデンゲート・ブリッジがあまりにも美しい。橋の向こうが雲の中に消える映像はまさに別の世界への入り口のよう。ここで死のう、と考える人が多く出るのもわからないでもない。自殺の場所として、ここを選んだ人(未遂)は、
「受験する大学を選ぶようなもの」
でいろいろと情報収集して冷静にこの橋を人生の終わりの場所に選んだと証言している。

 「愛されているとわかっていたら死ななかったかも…」
という友人のコメントが出ているけれども、その愛してくれた人が死んでしまった時はどうする? それでも生きろというのはあまりにも酷ではないだろうか。多くの場合は、他にも少しでも自分を必要としてくれている人がいると気付くし、その間、時間の経過が心の痛みを癒すから、一瞬、死にたいような気になってもたいていはまた生きていくのだが、その差はそう大きくないと思うのだ。

 「誰かに止めて欲しかった」
という人が中にはいるのも本当なんだろう。しかし、友人や身内に毎日毎日5年も6年も
「死にたい」
と言われ続けて、ずっとなだめて引き留め続けるのもなかなか難しい。誰もが余裕なくいっぱいいっぱいで生きているような時なんだし、煩わしくなってくる。結局いつも死なないんだし、口癖のようなものだ、死ぬ死ぬというヤツに限って死なないさ、と思ってしまうのも無理からぬ事だと思う。
 でも、面倒くさいと思いながらも対応していたその一言が、その人の命をつないでいたとしたら…。たった一回、ハイハイいつもの事ねと無視したためにその人が自殺してしまったとしたら…。

 私には自殺をしようとする人の気持ちは理解できない。わからないながらも、「止めて欲しい」と無意識に思っている人ならば引き留めたいとは思う。
 しかし、ゴールデンゲート・ブリッジから飛び降りて、粉々になった腰骨が内臓に突き刺さり、それこそ死ぬような苦しみを味わったのに、三回もダイブを繰り返した青年と家族のインタビューのかみあわなさに、自殺者の心中を理解し、説得する困難さを感じる。たとえば、本当に死のうと考えた人がこの映画を見てどういう反応をするか、全く想像ができない。だから、自殺を考えている人にこれを是非見ろとも、絶対見るなとも言えない。

 自殺については簡単に答えの出る問題ではない。正解はないのかもしれない。だからといって見て見ぬふりをしてやり過ごせるような事でもない。

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2008年4月 7日 (月)

映画「モンゴル」

Mongol

2007年ロシア/カザフスタン/ドイツ
監督:セルゲイ・ボドロフ
キャスト:
テムジン(チンギス・ハーン)…浅野忠信
ボルテ…フラン・チュルーン
ジャムカ…スン・ホンレイ(孫紅雷)
タルグタイ…アマドゥ・ママダコフ
子供の頃のテムジン…オドナン・オドスレン
子供の頃のボルテ…バヤルツェツェグ・エルデネバト
子供の頃のジャムカ…アマルボルド・トゥフシンバヤル
エスゲイ…バーサンジャプ
ホエルン…アリヤ

 パンフレットのプロダクションノーツに、

>当時の歴史を記した『元朝秘史』によれば、チンギス・ハーンの人生には空白の期間があるという。

と書かれているが、これ『集史』の間違いじゃないのか?
 『元朝秘史』は日本語訳が数種あるから読めばわかると思うが、特に空白の期間はないだろ。
 それに対して、『集史』「チンギス=カン紀」にはこういう記述がある。

ネズミの年であり(その始まりが)ヒジュラ暦563年ラビー第I(月)[西暦1167年12月~1168年1月]に当たるクルギネの年の初めから、トラの年であり始まりがヒジュラ暦590年サッファール(月)[西暦1194年1月~2月]に当たるバルスの年の終わりまでは、27年の間がある。最後の年には、チンギス=ハンは数えで41歳であった。ここに述べた期間、彼の人生のこの間の状況は、詳しく年ごとには知られていないので、それらは短的に記されよう。
(ラシード=アッディーン『年代記集成(ふつう日本で『集史』と呼んでいるもの)』スミルノーワ訳からの重訳←ボドロフ監督もこれを読んでるはず)

 プロダクションノーツの言ってる空白期間って、このことを言ってるんじゃないか?
 だってさ、今回、「モンゴル」の扱ってる期間って、まさにこの期間じゃん。
 もちろん、ラシードは『元朝秘史』見てるからこの後、タルグタイ・キリルトゥグやジャムカ・セチェンとの抗争については書いてあるよ。でも、このあたり『元朝秘史』だってどの程度史実か確かめようがないんだから、『元朝秘史』から着想を得て自由に物語を組み立てたって、決して間違いじゃない。むしろ『集史』の言ってることを素直に解釈したともとれる。
 …え? 非歴史ヲタにはどうでもいい? スイマセン(笑)。


 そういうわけで、『元朝秘史』からネタを取ってるようだけど、拘り過ぎずにジャムカやボルテとの横の関係を前面に押し出して再構成したわかりやすいストーリィ展開になってる。それでいて細々としたところにさりげなく「あ、それ『集史』ネタだろ?」ってな所があってそれもおもしろい。「木の驢馬(三角木馬に非ず…でもたぶん拷問具)」なんてちゃんと出てんだよ。笑っちゃった。
 それにジョチと楽しく青々とした草原で転げ回ってるお父さんテムジンってほほえましいよなぁ。それをうらやましそうに見てる娘のムングンがまたかわいい。
 ジャムカに
「おまえ(=テムジン)あんな恐ろしい女とよく一緒に寝られるな~」
と言わしめるほどボルテが「漢(おとこ)」なのもまた良い感じ。
 たぶんその通りだと思うよ。もっと後の世代を見ても、チンギス家の男ってたいてい奥さんの尻に敷かれてるから。あ、チンギス家に限らないか(笑)。

 一方、オン・ハンの存在がバッサリ切られてるのな。仮父的存在のオン・ハン殺しやらホエルン母の無限の愛やらの縦関係の葛藤、絆にグッときてた辺り、加藤剛版「蒼き狼」は実に日本的だったんだなぁ、と再認識した。ま、『秘史』もオン・ハン殺しについては長々言い訳してるから、日本的というかアジア的なのかもしれない。BBCのドラマ「チンギス・ハーン」でもオン・ハンはカットされてたし。

 アクションもまぁ良かった。正直言ってグッとくるほどじゃなかったが。
(参考:私がグッときたアクションの例「マッハ!!!!!」「五毒拳」←カルトムービーじゃん!)
 贅沢を言うのなら、モンゴルって「弓手民族」って呼ばれるくらい弓矢が得意なんだから、もっと弓使えよ~!とは思った…地味になっちゃうからしょうがないのかな? でもアクション映画界(?)では「ガン・アクション」というジャンルもちゃんとあるくらいなんだから、飛び道具でもできないことはないはず。誰か格好いいアーチェリー・アクションやってよ。あ、でも空中で鏃どうしが当たるってのはナシね。いくら何でもウソクサイ(笑)。

 おもしろかったし、ツッコミどころがないというわけでもない(といっても、大方はオン・ハン抜きが原因で起こる諸々の矛盾だから、許容範囲ではある)ので詳しーーーく書きたいのは山々なんだけど、事前に歴史を知らなければついていけないような複雑なストーリィではないので、それは後の機会に…。

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