ドラマ「マルコ・ポーロ 東方見聞録」
2007年アメリカ
監督:ケヴィン・コナー
キャスト:
マルコ・ポーロ…イアン・サマーホルダー
フビライ・ハーン…ブライアン・テネヒー
テムルン/ケンサイ…デジレ・シアハーン
ペドロ…B・D・ウォン
チャビ…ルオ・イエン
マルコはいいんだが、このフビライはやけに邪悪に見えるなぁ。重要な役どころだから、大御所を使わなければならない等々、言うも野暮なお約束事があるんだろうけど。顔つきというより所作がね。どこがどうと切り出していう事はできないんだけれども、モンゴル人の身振りじゃないんだなぁ。漢人にも見えず、ローマ法王に見えてしょうがない(笑)。白いの着てるしね。でもアメリカ人にはああいう動きが威厳があると思えて、あえての起用なんだろうか。それは逆に言えば、役者が徹底的にモンゴル人の動きを研究して自分のモノにすれば、顔がどうあれモンゴル人に見えるって事か?
ま、いずれにせよ、兄を陥れ弟を破滅させた邪悪な男だからそう見えるのも間違いではないわな。そういう解釈もあるかなって程度で。このドラマではフレグとも必ずしも信頼し合っているわけでもなく、テムジンに比べて随分小粒のハーンに描かれている。特に日本遠征がこんなにクローズアップされていいのかってくらい重要なエピソードとして扱われている。そのおかげで、ドラマの流れとしてはきれいにまとまってはいるが……。
第1部
ヴェネツィアの商人の子マルコは、父や叔父のもとで見た珍しい品々に魅了され、誰もが信じなかった父の語るはるか東にあるという世界の中心を我が目で見たいと願うようになる。そのため、父と叔父がフビライのもとへ宣教師を送り届ける旅に同行する。宣教師はアルメニアで怒って帰ってしまうのだが。←アルメニアじゃ早すぎだろ! ほとんど進んでねえええ!
マルコは途中、病でほとんど死にそうになりながらも、一行は中国にたどり着く。中国なので木の上にはパンダが! マルコの通ったルートにパンダの生息地なんてあったっけ? と疑問に思いつつ一行は上都に到着。フビライに宣教師を連れて来れなかった事を叱責される一行だったが、畏れを知らない若者マルコの歯に衣着せぬ物言いが皇后チャビの気に入られ、窮地を脱する。
父や叔父と別れてこの地に残る事に決めたマルコ。宰相アフマドを誅殺する騒動に、マルコの奴隷ペドロが関わっていた危機も捨て身の直言で乗り切り、美しい娘テムルン(実はペドロの妹という偶然)を下賜され、徐々に重要な任務も任されるようになってくる。
第2部
しかしテムルンには故郷に相思相愛の人がおり、マルコの不在中に逃げだそうとしてアフマドの件でマルコに恨みを持つコガタイに処刑されてしまっていた。テムルンには好きな人がいると知りつつもメロメロだったマルコは、もう恋なんてしないやい、と思っているのだが……。
一方、日本に派遣した使節の首が漆の箱に収められて送り返されてきたことにフビライは激怒。表面上は冷静なのだが、チャビが諫めても、結局彼女の死後、日本に派兵する事になるので相当癪に障っていたのだろう。それに関連して、世界地図の空白を埋めるよう未知の国々の偵察にマルコを派遣する。マルコはフビライの信頼に応え、15年の間北に南に飛び回り、北の国から凍てつく地下を歩く象(=マンモス)の牙を持ち帰ったりする。ただ、マルコ、真っ先に西夏廟らしい所でスケッチしてるけど、そこはフビライもよく知ってると思うけどなー。
ある時、テムルンにソックリのケンサイを見かけて一目惚れ。ケンサイはテムルンの妹で、姉にマルコの話を聞かされていたせいでもあろうか、マルコを好いているようだった。
しかし、フレグの妃の死去を知らせ、モンゴルから妃を迎えるための使者が彼女に白羽の矢を立てた。マルコはいろいろと策略をめぐらせて、ケンサイと駆け落ちしようとする。しかし結局、彼をおしとどまらせたのは厳罰でもなく、チャビの遺言でもなく、フビライのマルコに寄せる無限の信頼だった。
海路ペルシャに向かうマルコたちを旅の途中で待ち受けていたのは、フビライとフレグの訃報であった……。
全体として、マルコが獄中で作家ルスティケロに語った物語として話が進む。マルコってもっとお調子者ってイメージがあるんだけれど、そういう面はルスティケロが担っている。商人気質で機転の利く弁舌爽やかな男には違いないんだが、それよりも地の果てまでも行って自分の目で見てみたい、という冒険心が原動力になっている点が強調されているのは、アメリカ人好みなのかなぁ。そして真実を語るがゆえに、同時代の人たちに嘘つき呼ばわりされるが、後世には彼が語ったことは真実であると広く認められるって辺りも。
モンゴル、モンゴルといっている割には中国じみてる。元だからそんなもんなのかな。元朝は私の脳内地図では中国であって草原の仲間ではないから違和感ないんだけど、よくよく考えてみると最初っからこんなに漢化してていいのかな(笑)。
最初のうちはチャビ、有名な肖像画の印象と違うなーと違和感があったけど、慣れるとなかなか良いような気がしてきた。賢明な皇后が語る形式でマルコに関わる諸々のナゾもさりげなく解説しているのだけれど、
「野蛮人に統治をまかせたのが残ると恥だから、歴史書にそなたの名は残らない」
っていうのは、たぶん、元側の史料にマルコの名前が残っていない、従ってマルコ・ポーロなる人物はいなかった、というトンデモ説がかなり流布してしまっているのでそれへの反論を最初から織り込んでいるのだと思う。でも、もっと単純な話で、チンギス=ハンの中軍の百戸の長の名前でさえほとんどわからないのだし、ハーンという公的な存在でも私的な側近の名前は、あんまり残らないのではないかな。今だって政治家の私設秘書の名前は公にはあまり出てこないのと一緒でさ(もちろん、政治ヲタは知ってるだろうが)。
だいたい、蛮族中の蛮族、蛮子でも名が残ってるのに「野蛮人だから」っていうのは、理由にならないだろ? むしろサル以下の野蛮人でも偉大なハーンの教化によって人並みのことができるようになったって自慢するところだと思うが(笑)。
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