映画「MONGOL」
2007年ロシア/カザフスタン/ドイツ/モンゴル
監督:セルゲイ・ボドロフ
音楽:トーマス・カンテリネン/アルタン・ウラグ
キャスト:
テムジン(チンギス・ハーン)…浅野忠信
ボルテ…フラン・チュルーン
ジャムカ…スン・ホンレイ(孫紅雷)
タルグタイ…アマドゥ・ママダコフ
子供の頃のテムジン…オドナン・オドスレン
エスゲイ…バーサンジャプ
注意。先入観なしで見たい人は読まないでください。
劇場公開時に書いたネタバレなしの感想はこちら。
タングート(西夏)から解放され久しぶりに家族と再会して幸せそうなテムジンにボルテが問う。
「モンゴルって何?」
この問いに対してテムジンはきちんと答えることができない。
「オレはモンゴルだよ」
と言うに留まる。もっとも、この問いに対するまっとうな答えなんてみたことないけどな。
例えば『集史』。
イランに行って国を建てたモンゴルの人たちは、ある者はモンゴル語を忘れ、祖先の勲功を忘れ、あるいは本来「モンゴル」と呼ばれていなかった部族の者がイル=ハンの威光を頼って自らをモンゴルと呼んだりして、「モンゴル」とはいったいどういう人たちなのかわからなくなってしまっていた。そんな中で宰相ラシードが『集史』を書いた動機のひとつは、「モンゴルとはこういうもんだ!」と若い人たちに教え諭すことだったのではないだろうか。
しかし、その『集史』でさえダブルスタンダード的なところがあり、「モンゴルとは何か」を定義することに成功したかといえば、そうでもない。真剣に取り組んで考えた人ほど、単純明快な答えは出せないのだ。
この映画の題名が「チンギス=ハーン」とか「成吉思汗の生涯」でなく「モンゴル」なのは、「民族とは何か」にも通じるこの問いが隠しテーマとなっているからだろう。個々のエピソードは随分『元朝秘史』を使っているのに、全体として『集史』くさい印象を受けるのは、同じテーマを取り上げているからではないだろうか。もちろん、ヨーロッパの人たちが読む順番としては『集史』→『秘史』だから、というのもあるんだろうが。
テムジンがタングートという城郭に住む民に長いこと囚われていた、というのは「モンゴルとは何者か」を考える上では必須の要素だったんだろう。いきなりタングートのシーンで始まるのはなぜか、そう考えると見えてくる。
もう一つ、映画の中でフェルトの家に住む民とは異質なものとしてメルキトが出てくる。『集史』にはメルキトが森の民(ホイン・イルゲン)と書かれている箇所はないが(むしろ、タイチウトがたびたび「森の民」と呼ばれている)、ここでは円錐形のテントに住む森の民として描かれている。これもかなりあれっと思うところだ。タイチウトはアラン=ゴアの子孫であり間違いなくモンゴルの一部族だから、これを森の民風に描いてしまったのではテーマがぼやける。なんつーか、わかっててやったな(笑)。ビジュアル的にもああいう変な格好(モンゴルから見て)したのが出てくるとおもしろいしな。
ま、いずれにせよ、隠しテーマはあーだこーだと詮索するのも無粋な話で。世界の半分を支配する大帝国を築いたテムジンの若い頃の冒険譚(と強くて賢いボルテの大活躍)をもう一回見よっと。タルグタイとジャムカとしてみると何の違和感もないんだけど、ママダコフと孫さんが競演してるんだよなって考えながら見ると、なんだかシュールで気に入ってるんだぁ(笑)。
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