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2008年12月31日 (水)

映画「この道は母へとつづく」

この道は母へとつづく

2005年ロシア
監督:アンドレイ・クラフチュク
キャスト:
ヴァーニャ・ソンツェフ…コーリャ・スピリドノフ
マダム…マリーヤ・クズネツォヴァ
グリーシャ…ニコライ・レウトフ
院長…ユーリィ・イツコフ
カリャーン…デニス・モイセーンコ

 院長が飲んだくれで駄目駄目な孤児院。そんな状況でも子供たちは自分たちの社会を作ってなんとか生きていこうとしている。

 ……ソ連時代ならそれだけの話だが、今は自由主義の国ロシアの時代だ。国際養子縁組ビジネスを営む通称マダムがこの孤児院に目を付けた。マダムってあだ名が付くこと自体いかがわしい事この上ないが、自分のビジネスに後ろめたさなんか全然感じていない人買いなんである。子供たちの間でも行く先が
「良い外国人なら幸せになれるが、悪い外国人だとパーツ取りに使われちゃうんだってよ」
なんて会話が交わされている。外国に養子に行く事に対する期待と不安が入り交じる複雑な心境がそこに凝縮されている。

 ヴァーニャも人柄の良さそうなイタリア人夫妻との養子縁組みがほぼ決まって、期待と不安で落ち着かない。イタリアに行く事になるヴァーニャにはさっそく「イタリア人(この映画の原題)」というあだ名が付いた。

 そんな頃、先日養子に行ったムーヒンを彼の母親が訪ねてきた。ムーヒンはこの孤児院に送られてくる前もヴァーニャと一緒の孤児院にいた大の親友。
「ようやく探し当てたのに一足遅かった……」
と落胆して酒をあおる彼女。いつもはこんなに飲まないと自分では言ってるが、傍から見れば立派なアル中なのは明らかで、彼女が子供を捨てた理由もだいたい察しが付く。かわいそうだが、この母親の手元に戻さない方が子供のためには良いだろうなぁ、と思うのだが、この後彼女は列車に飛び込んで自殺してしまうのだ。

 彼女が孤児院から立ち去る直前に、尋ねられるままにムーヒンや養子先のことを彼女に話していたヴァーニャの心は大きく揺れる。もし、母親が自分を探す気になったら、ロシアのどこかならともかくイタリアまでは行けないだろう、と思ったのだろう。母に会わなければならない、そのためにはどうしたらいいのかと小さいなりに考え、行動していく。

 養子に行けと強く勧める大人たちや子供たちのボス的存在のカリャーンも、既にあきらめてしまった自分の夢をヴァーニャに託している。ヴァーニャを手助けする方もそう。マダムはどうか知らんけど。

Semenovs_footnotes

 ネタバレしてしまうと、この映画は最後まで見てもはっきりした結末は描かれていない。
 たぶん見た人の解釈次第だと思うので私の感想を書くと……ヴァーニャとしては母に会いたい、というより自分が母を助けなければ、と思ったんじゃないだろうか。もし母親が自分が養子に行ったあとで訪ねてきたときに自分がいなかったら、悲しんで死んじゃうかも知れない、という。母が自分を捨てなければならなかった事情についても理解し受け入れる事ができているのではないかな。母に会いたい一心で、とキャッチコピーにはあるけど、6歳の子供でも我々大人が思っている以上にオトナな気がする。
 だから、実母と会って自分はこれこれの次第でイタリアに養子に行きます、と伝えることができれば良いのであって、あとは納得して養子に行ったのではないかな?

 まぁ、その辺は見た人なりの感想って事で。

 そういえば、このアンドレイ・クラフチュク監督ってこの前から気になってた歴史超大作「アドミラル―提督―(邦題「提督の戦艦」)」の監督なんですね。主人公のアレクサンドル・コルチャーク提督ってソ連時代には取り上げられるはずのない人だし、海戦シーン(日露戦争?)がロシアのオイルマネーをどかっとつぎ込んだっぽいど迫力……トレーラーを見た限りでは。こういうのこそでっかいスクリーン、シートを揺らすほどの大音響で見たいよな。横浜でロシア革命の報に接したとか、日本とも多少縁のある人なんだけど、日本では公開されるのかな?

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2008年12月30日 (火)

馬がかわいかった映画のシーン

今思いついたネタですが。

「蒼き狼 成吉思汗の生涯」テムジン(子供の頃)の馬
Ookami1 これは以前感想文書いたときにも書いたけど、ベクテルの動きを追って首を動かすしぐさがすんごくかわいい。馬ってかわいいですね。と思って印象に残っている馬のかわいいしぐさを集めてみました。


 ……そういえば、アメリカ映画では馬のちょっとしたしぐさをかわいい~!!!と思ったってのが思いつかない。「夢駆ける馬ドリーマー」にカワイイ!を狙ったらしいシーンが幾つかあったけど自分的にはツボではなかった。萌えのポイントがアメリカ人とは違うんだろうか。

「モンゴル」ジャムカ(子供の頃)の馬
Mongol2 最初、テムジンと出会うところでジャムカが
「俺はジャムカ。おまえは誰だ?」
と問うところでジャムカの馬が鼻先をぬっと向けていて、まるで馬がそう尋ねたかのよう。吹き出しがあったら、尖ったところを馬に向けたい。こんな子供のうちから人馬一心同体のヤツらなんだな~という感じでかわいい。


「光と影のバラード」アンドレイの馬
Svoy 冒頭で手綱につかまったアンドレイを引っ張って遊んでいるのが仲良しって感じでかわいい。
この馬じゃないかもしれないが、本編でもアンドレイが
「何ぐずぐずしてるんださっさと来い!」
って誰に話してんのかと思ったら、ぱこぱこぱこって馬~~~!(笑) 人の言葉がわかるのかい。


「デイ・ウォッチ」ティムールの馬
 冒頭の場面で、ティムールが馬に毛氈を掛けてその腹の下で風雪をしのぎつつ、肉をかじりながら地図を検討している場面がある。あー、戦場じゃあこうやって馬を簡易テント代わりにして休むのか~、と思って感心していると馬がシャー……(笑)。ティムールが怒って馬をどづくという、大衆向け(?)ギャグ。このシリーズ、映画だとぶっ飛びギャグコメディにしか見えないんだけど、原作はシリアスなのかな?

「トゥヤーの結婚」センゲの馬
 お金持ちの幼なじみに嫁ごうとするトゥヤーをセンゲが追いかける場面で、さましくポニーといったちっこい馬(しかももさっとしている)に乗って道路の側溝のような所を走っていく場面が格好良かった。馬の顔もきりっとしていてかわいい。

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2008年12月15日 (月)

今年印象に残った3本の映画

 Amazonの2008年DVD売り上げランキングを見たけど、この中で見たことあるのって「トランスフォーマー」だけだわ。
 我ながら世間とずれてると思ったけど、Amazonのランキングだってよく見てみれば「エイリアンズVS.プレデター」なんてのが入ってる! 「AVP」でしかも「2」だってよ!! これが世間一般常識だと考えていいんですか???(笑)

 というわけで、今年印象に残った映画を。印象に残ってるからといって他人に奨めていいかどうかは知らない。


その1「MONGOL」
 常日頃、
「私はモンゴルじゃない、テュルクだー!」
と言っているとはいえ草原系の映画自体珍しいのだから、モンゴルであってもお祭りですよ。
 事前に監督がグミリョフの影響ありますよ~とか何とか言っているのを聞いていたので、大変心配していたのだけれど、その不安も杞憂に終わるおもしろさでホッとした。
 もちろん、ツッコミどころはあるが、良い意味でのツッコミどころなので、草原系の人たちで「『モンゴル』鑑賞しながら言いたい放題オフ」したらおもしろそう。
 とりあえず、クライマックスの戦闘シーンはいわゆる十三翼の戦いだろうから、今後パート2や3が作られるなら、ジャムカがケレイド行ったりナイマン行ったりするシーンが見れるかも? 楽しみ。


その2「ロシアン・ブラザー」
 癒し系バイオレンス。ほにょほにょ~っとした主人公を演じるセルゲイ・ボドロフが良い味出してる。いや、この独特の雰囲気はほとんどボドロフと音楽のおかげ……と書こうとしたけど、陰鬱なサンクト・ペテルブルグの街の雰囲気もあるから、やっぱ映画全体だな。良い雰囲気出してる。
 続編があるそうだが、この手の続編で良いのは珍しいので、見て良いもんかどうか迷う。それより、「イースト/ウエスト 遥かなる祖国」の方が良いのかも。いずれにせよ、その辺じゃ売ってないけど。


その3「バトル・シューター」
 イランの戦争映画。……なんだけど、心霊ものといえば心霊ものかもしれない。死んだ人が出てくるので。
 しかし、戦闘シーンがおっそろしくリアル。イラン兵がイラクの戦車めがけて盛んにRPGを撃つんだが、その瞬間、ズアッと視界一面に土埃が巻き上がるのだ。もちろんCGではない。うわーこれ、こんなに反動があって撃ってる兵士は大丈夫なのかよ、と声に出してつぶやいてしまった。……全然大丈夫じゃないと思う。
 これ見たら、やたら好戦的などこぞの大統領の言葉ってイランの普通の人を代表してるのかな、と首を傾げたくなるんだが。


 次点は「ブリッジ」、「ニキフォル」、「スター・オブ・ソルジャー」、「善き人のためのソナタ」、「IRAQ -狼の谷-」、「大祖国戦争」、「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」といったところ。

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2008年12月13日 (土)

映画「スター・オブ・ソルジャー」

スター オブ ソルジャー [DVD]

2006年フランス/ドイツ/アフガニスタン
監督:クリストフ・ド・ポンフリー
キャスト:
ニコライ…サシャ・ブルド
ヴェルゴス…パトリック・ショーベル
ナジムディーン…モハマド・アミン
アサド…アフマド・シャー・アレフスラ

 夜は空を見て過ごした。友人のアサドが言った。
「この戦争で死んだ兵士は星になる。……そのうちに星が空を埋め尽くし、夜はなくなるだろう」
それを聞いたニコライはロシア語でつぶやく。
「ズベズダー・ソルダータ……」

 原題「L'Etoile du soldat(兵士の星)」。フランスのジャーナリスト・ヴェルゴスが9.11のニュースを聞きながら、15年前にアフガニスタンで出会ったソ連人捕虜を回想する。

 ロックにうつつを抜かしているニコライ・ペトロフに召集令状が来たとき、両親はちょうど良い、軍隊で性根をたたき直してもらってこい、と思った。当時のソ連ではアフガニスタン侵攻の話題は公になっておらず、二度と息子に会えないとは思いもよらなかったのだろう。戦争が行われていると知っていたのは、当初、戦死した兵士の家族だけだった。

 アフガニスタンでたまたま捕虜になった一派の司令官ナジムディーンの人柄と、普通の常識人であるニコライの善良さが幸いして、彼は殺されることなく保護されるのだが、それほど幸運でない何万人もの捕虜は殺されていたに違いない。更に、ニコライがフランス語を勉強したことがあってヴェルゴスと出会えたことは、他に例がない非常に稀な出来事だ。まーだからこそ、映画にもなったんだろうが。

 ニコライたち徴兵できた新兵たちに下士官は
「ならず者や反革命と戦うのだ」
って言ってるけど。ナジムディーンなんかは自警団みたいなもんだし。戦ってる当事者にとっては双方ともわけがわからない。第三者であるフランス人ジャーナリストの視点だから、ソ連側も普通の人、アフガニスタン側も普通の人。ニコライも双方に知り合いがいてどちらも嫌いではないから、余計強くそう感じる。
 それでもアフガニスタンやらイラクやらで性懲りもなく同じようなことをやってるんだから、うまい汁を吸ってるヤツがいるんだろうなぁ。

 ところで、なぜかAmazonではこのDVD扱ってないんだよなぁ。なんでかなぁ(笑)。

追記:現在は扱っています。

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2008年12月 9日 (火)

映画「君の涙ドナウに流れ ハンガリー1956」

君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956

2006年ハンガリー
監督:クリスティナ・ゴダ
キャスト:
カルチ…イヴァーン・フェニュー
ヴィキ…カタ・ドボー
ティビ… シャーンドル・チャーニ
水球チーム監督…カーロイ・ゲステシ

 ソ連の戦車が整然とブダペスト市街に入り、手当たり次第にその辺のアパートを砲撃するシーンを見て猛烈な既視感に襲われた。つい最近、似た光景を見たことがあるような……。

 これか。

ツヒンバリに侵攻するグルジア軍の戦車の上からケイタイで撮った動画YouTube

 日本のテレビでもちょろっと流れたようだけど、YouTubeでは結構長い間上位に上がっていた。ロシアでは強い興味を持ってみられていたんだろ。リアルにヒャッハーとか言っちゃってんのはソ連軍に限らんぞ。

 1956年のソ連のハンガリー侵攻を扱っている映画だから、ここに出てくるロシア人は憎たらしい限り(もっとも、ソ連の水球選手を演じている人は全然ロシア人に見えない)。
「ロシア人は出て行け! ロシア人は出て行け!」
なんて自由ハンガリーの象徴のようにシュプレヒコールされたりする。しかし、ブダペストを走り回ることになるソ連の戦車は西側や日本の戦車と比べて車高が低いので、戦車乗りはでかいロシア人ではなく小柄なアジア系が多いと聞いたことがある。その人たちに「ロシア人出て行け」とな? 
 しかも、ハンガリーに駐留していたソ連軍は、演習などでハンガリー人と接して戦友と感じるようになっていたのだろう。ハンガリー市民に対して砲口を向ける気になれずに、平和なデモ行進に参加してしまうのだ。反ソデモを組織したリーダー格のエステルが、
「……じゃあ敵は誰なの?」
と口走る。まったくその通りだと思う。「ロシア人は帰れ」とは誰にでもわかりやすいスローガンではあるが、戦うべき本当の敵は誰なのだ? いや、それは「誰か」なのだろうか。

Semenovs_footnotes

 1956年、モスクワで行われた水球の試合で、ソ連の選手のラフプレーや、地元びいきの審判員に腹を立てたハンガリーチームの花形選手カルチは、試合後、ソ連選手らに暴言を吐き乱闘事件を起こしてしまう。
 そのため、ハンガリーに戻るなりAVO(秘密警察)に呼び出しを喰らい、二度とソ連の「同志」にそのような無礼をはたらいてはならない、とクギを刺される。カルチ自身はスターなので直接暴力を振るわれる事はないのだが、拷問の様子をそれとなく見せたり、家族のことを持ち出したり、なによりもカルチの言動が全て筒抜けである事を示してやんわりと脅迫したのだ。オリンピックに出るという夢があり、家族のことも愛しているカルチは慎重になろうと思うのだった。

 しかし、1956年はソ連共産党第20回党大会の年だ。フルシチョフが猛烈なスターリン批判をしたことで有名な党大会だが、その内容は一般には公表されていなかった。
 とはいえ、スターリンが死んで何かが変わると期待していた人々にはその気配は敏感に感じ取られ、まずポーランドのポズナンでのストライキが暴動に発展し、情報統制はされていたもののハンガリーにもその影響が及んでくる。

 カルチが在学している大学でも官製の共産青年同盟を離れ、独自のハンガリー独立学生同盟を結成し、ナジ・イムレを首班とする政権を実現させようとの動きが高まってくる。
 カルチは及び腰なのだが、積極的に学生運動を行っているヴィキが気になってつきまとっているうちに、学生ばかりでなく全ての市民が参加するデモの雰囲気を味わい、また当局による武力鎮圧で友人が射殺される場面に立ち会ったりして、無関係ではいられない気分になってくるのだ。

Semenovs_footnotes

 執拗に襲い掛かる悲劇的な状況を一つ一つ乗り越え希望が見えてくるたびに、この事件の残酷な結末を知っているこちらはいたたまれない気分になる。
 それはそうと、カルチの行動は少々無理がありはしないかな。ストーリィをわかりやすくし、状況を説明するためにしても脚色しすぎなのでは……。いくらなんでもオリンピックに出られる気がしない。実際の個々人の体験はもっと淡々としたとりとめのないものだったんではないかと想像するんだが……。

 さて、こういう深刻な映画でこういう事を言って良いものかどうか迷ったが、やはり言わずにはいられない。
水球チームの監督が「スラムダンク」の安西先生そっくりだった!
いったんはオリンピックを捨て革命に身を投じたカルチが、やはり
「水球が……水球がやりたいんです……」
というシーンがあったとかなかったとか。

参考:メルボルンの流血戦(ウィキペディア)

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