ドキュメンタリー「KGBシークレット・ファイルズ MiG-25~フォックスバット~」
KGB シークレット・ファイルズ MiG-25~フォックスバット~ [DVD]
2003年ロシア
制作:TV CHANNEL RUSSIA
ミグ25事件
1976年9月6日、当時ソ連の機密のヴェールに包まれていたMiG-25(NATOコード名フォックスバット)が北海道の地方空港、函館空港に強行着陸した事件。
※事件の経過はこちら(@nifty TimeLineにまとめたもの)を参照
直後に大型台風が上陸したり、「三木おろし」とかいう大嵐が内閣を吹き飛ばしそうになったり、毛沢東が死んだりしたので、日本人の関心は急速に冷えていったが、結構インパクトのある事件だったと思う。このミグ25事件をソ連側から見たドキュメンタリーである。
あっと驚くような新事実はなく、我々が知っているのと大差ない。しかし、同じ事象でもソ連はそう受け取ってたのか、という視点がおもしろい。特に日本の対応については
「いやいや、それは違うから…」
と苦笑してしまう箇所もあった。
例えば、ソ連の係官が函館空港にMiG-25の機体を返してもうらおうと出かけていったら(9月7日)、
「警察の管轄なので、私たちにはできません」
と断られた話がいかにも日本の強硬姿勢の例のように取り上げられている。
しかし、それは日本のMiG-25はありがたくいただきました、という姿勢の表れではない。このドキュメンタリーでははしょられているが、函館空港(運輸省の管轄)で
「警察の管轄です」
と追い払われたソ連人たちは、翌日、函館中央署に行って同じ事を頼んでいるのである。そこでは、
「この件は外務省の管轄なので…」
と断られている。
鉄のカーテンより厚い縦割り行政の壁恐るべし!
なーに、ソ連の戦闘機が強行着陸したって聞いて偵察にやってきた自衛隊も
「警察の管理下にあるので近づいてはいけません!」
と追い払われてるんだ、ソ連人だからって差別している訳じゃないよ、気にするな!
それで、現在でも今ひとつはっきりしない「なぜベレンコは亡命したのか?」という理由については、状況証拠を述べるに留まっている。その内容は『ミグ-25ソ連脱出 ベレンコはなぜソ連を見捨てたか』に書かれているものと同じで新味はない。
しかし、MiG-25開発に命をかけたグドコフらテストパイロットたちと対比して描くこの描かれ方で受ける印象は、坂田防衛庁長官(当時)が、
「彼はミグ25をアメリカに売れば、一生楽して暮らせると思ったみたいだね」
と言った感想に近い。
本当の本心なんて、本人にしかわからないのだろうけど、緊急信号を出してレーダーから消えたから、事故を起こしたんじゃないか、と心配して探したり、函館空港に着陸してピストルを発射しているのを報道で知って日本の官憲につかまって酷い事されてんじゃないかと心配してたのに、実は亡命と知ったソ連側の憤りはわからないでもない。
実際には、この間ソ連は、何が起こったのか把握できずにどうして良いかわからず呆然としていた印象を受ける。タスがようやくこの事件を報じたのは1週間近くもたった9月14日である。このドキュメンタリーで使われているタスのニュース映像は、本物なら9月28日の妻や母親の記者会見の時の物のような感じがする。ソ連の外務省が素早く適切に動いたように描かれているが、それは違う。
名前だけはよく聞くアルチョーム・ミコヤンの人となりが少しだけれども語られている点、MiG-25が「最先端テクノロジー」というよりは、ソ連の技術者の「匠の技」でできているという話を聞いて嬉しくなった。
ミコヤンがMiG-25を「離着陸の時だけ翼を必要とするロケット」と表現するのも、MiG-25を解体したアメリカの技術者たちがこれはジェット機というよりむしろロケットだ、と感嘆した話と符合する。テスト飛行中の事故映像なんてソ連があった頃は絶対見ることのできなかった貴重なものだ。やっぱり記録は取ってたんだ…って当たり前か。この手の秘蔵映像をふんだんに使ったドキュメンタリーをたくさん見たいものだ。
参考サイト:
昭和52年度 防衛白書より ミグ25事件
昭和52年度 外交青書より ミグ25型機の函館空港強行着陸事件
同 ミグ25型機の機体引渡しについての外務省情報文化局長談話
参考文献:
■ジョン・バロン著/高橋正訳『ミグー25ソ連脱出―ベレンコは、なぜ祖国を見捨てたか (1980年)』(パシフィカ)
相当の脚色があるらしく、例えばオーバーランして停まったMiG-25について
「機はハイウェーのそばに止まったので、自動車が何台も停まり、中からドライバーたちがカメラ片手に飛び出してきた」
といかにもアメリカ人の読者が喜びそうなステレオタイプの日本人が描かれているが、ベレンコが威嚇射撃をした相手は空港の拡張工事中の大林組の建設作業員。
同様に、ベレンコが失恋の痛手からホームシックにかかったかのように描かれているが、これはアメリカ人流の合理的解釈ではないだろうか。ロシア人言うところの「死に至る病」「ロシア人は移植できない植物のようなもの」というのとはちょっと違う気がする。
■大小田八尋著『ミグ25事件の真相―闇に葬られた防衛出動 (学研M文庫)』(学習研究社)
MiG-25が強行着陸したその時、現地函館では……
航空自衛隊:MiG-25を函館上空で地上レーダーから見失い、スクランブルしたF-4EJファントムの機上レーダーからも見失い、目視でも見つけられず。ようやく視認できたのは函館空港にオーバーランして停止しているMiG-25の姿だった。
陸上自衛隊:函館駐屯地のすぐ上を不自然な低空で飛びすぎる機影を多くの隊員が目撃した。だが、それがMiG-25だと気付いた人は誰一人としていなかった。
北海道警察:「正体不明機から降りてきた人物が空港職員に威嚇射撃している」との110番通報をうけ現場に最初に到着してミグ25を確保、以後自衛隊をシャットアウト。
……いろいろ泣ける。
■永地正直『文教の旗を掲げて―坂田道太聞書』(西日本新聞社)
「私たちは、ミグを函館からギャラクシーで百里に運び、完全に解体して調べ上げ、また元のように組み立て直してソ連に返した。」p.209
これはまぁ、一種の比喩的表現ではないかと…。25個に別けて梱包した機体をソ連に返還してるから、元のように組み立て直しているわけではなかろう。
■ジョン・バロン著/入江眉展訳『今日のKGB―内側からの証言』(河出書房新社)
KGB職員のレフチェンコが、ベレンコの奥さんの手紙(と称するモノ)をAPの記者に渡すなどして工作しているんだから、当時のソ連の首脳部やその筋の人が亡命なんて思いもよらなかったっていうのはちょっと信じられない。一般人はそうだったかもしれないにしても。
参考:当時の日本・ソ連・アメリカの首脳はこんなでした。
日本
内閣総理大臣:三木武夫
外務大臣:宮澤喜一
→小坂善太郎(昭和51年9月15日内閣改造による)
防衛庁長官:坂田道太
自治大臣兼国家公安委員会委員長兼北海道開発庁長官:福田 一
→天野公義(昭和51年9月15日内閣改造による)
ソ連
書記長:レオニード・I・ブレジネフ
外相:アンドレイ・A・グロムイコ
国防相:ドミートリィ・F・ウスチノフ
KGB議長:ユーリィ・V・アンドロポフ
駐日大使:ドミートリィ・S・ポリャンスキー
アメリカ
大統領:ジェラルド・R・フォード
国務長官:ヘンリー・A・キッシンジャー
国防長官:ドナルド・H・ラムズフェルド
CIA長官:ジョージ・H・W・ブッシュ
駐日大使:ジェイムズ・D・ホジソン
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