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2009年5月31日 (日)

ドキュメンタリー「KGBシークレット・ファイルズ MiG-25~フォックスバット~」

KGB シークレット・ファイルズ MiG-25~フォックスバット~ [DVD]
Mig25foxbat2003年ロシア
制作:TV CHANNEL RUSSIA

ミグ25事件
1976年9月6日、当時ソ連の機密のヴェールに包まれていたMiG-25(NATOコード名フォックスバット)が北海道の地方空港、函館空港に強行着陸した事件。

※事件の経過はこちら(@nifty TimeLineにまとめたもの)を参照

 直後に大型台風が上陸したり、「三木おろし」とかいう大嵐が内閣を吹き飛ばしそうになったり、毛沢東が死んだりしたので、日本人の関心は急速に冷えていったが、結構インパクトのある事件だったと思う。このミグ25事件をソ連側から見たドキュメンタリーである。

 あっと驚くような新事実はなく、我々が知っているのと大差ない。しかし、同じ事象でもソ連はそう受け取ってたのか、という視点がおもしろい。特に日本の対応については
「いやいや、それは違うから…」
と苦笑してしまう箇所もあった。

 例えば、ソ連の係官が函館空港にMiG-25の機体を返してもうらおうと出かけていったら(9月7日)、
「警察の管轄なので、私たちにはできません」
と断られた話がいかにも日本の強硬姿勢の例のように取り上げられている。
 しかし、それは日本のMiG-25はありがたくいただきました、という姿勢の表れではない。このドキュメンタリーでははしょられているが、函館空港(運輸省の管轄)で
「警察の管轄です」
と追い払われたソ連人たちは、翌日、函館中央署に行って同じ事を頼んでいるのである。そこでは、
「この件は外務省の管轄なので…」
と断られている。

鉄のカーテンより厚い縦割り行政の壁恐るべし!

 なーに、ソ連の戦闘機が強行着陸したって聞いて偵察にやってきた自衛隊も
「警察の管理下にあるので近づいてはいけません!」
と追い払われてるんだ、ソ連人だからって差別している訳じゃないよ、気にするな!

 それで、現在でも今ひとつはっきりしない「なぜベレンコは亡命したのか?」という理由については、状況証拠を述べるに留まっている。その内容は『ミグ-25ソ連脱出 ベレンコはなぜソ連を見捨てたか』に書かれているものと同じで新味はない。
 しかし、MiG-25開発に命をかけたグドコフらテストパイロットたちと対比して描くこの描かれ方で受ける印象は、坂田防衛庁長官(当時)が、
「彼はミグ25をアメリカに売れば、一生楽して暮らせると思ったみたいだね」
と言った感想に近い。
 本当の本心なんて、本人にしかわからないのだろうけど、緊急信号を出してレーダーから消えたから、事故を起こしたんじゃないか、と心配して探したり、函館空港に着陸してピストルを発射しているのを報道で知って日本の官憲につかまって酷い事されてんじゃないかと心配してたのに、実は亡命と知ったソ連側の憤りはわからないでもない。

 実際には、この間ソ連は、何が起こったのか把握できずにどうして良いかわからず呆然としていた印象を受ける。タスがようやくこの事件を報じたのは1週間近くもたった9月14日である。このドキュメンタリーで使われているタスのニュース映像は、本物なら9月28日の妻や母親の記者会見の時の物のような感じがする。ソ連の外務省が素早く適切に動いたように描かれているが、それは違う。

 名前だけはよく聞くアルチョーム・ミコヤンの人となりが少しだけれども語られている点、MiG-25が「最先端テクノロジー」というよりは、ソ連の技術者の「匠の技」でできているという話を聞いて嬉しくなった。
 ミコヤンがMiG-25を「離着陸の時だけ翼を必要とするロケット」と表現するのも、MiG-25を解体したアメリカの技術者たちがこれはジェット機というよりむしろロケットだ、と感嘆した話と符合する。テスト飛行中の事故映像なんてソ連があった頃は絶対見ることのできなかった貴重なものだ。やっぱり記録は取ってたんだ…って当たり前か。この手の秘蔵映像をふんだんに使ったドキュメンタリーをたくさん見たいものだ。


参考サイト:
昭和52年度 防衛白書より ミグ25事件

昭和52年度 外交青書より ミグ25型機の函館空港強行着陸事件

同 ミグ25型機の機体引渡しについての外務省情報文化局長談話


参考文献:
■ジョン・バロン著/高橋正訳『ミグー25ソ連脱出―ベレンコは、なぜ祖国を見捨てたか (1980年)』(パシフィカ)
相当の脚色があるらしく、例えばオーバーランして停まったMiG-25について
「機はハイウェーのそばに止まったので、自動車が何台も停まり、中からドライバーたちがカメラ片手に飛び出してきた」
といかにもアメリカ人の読者が喜びそうなステレオタイプの日本人が描かれているが、ベレンコが威嚇射撃をした相手は空港の拡張工事中の大林組の建設作業員。
同様に、ベレンコが失恋の痛手からホームシックにかかったかのように描かれているが、これはアメリカ人流の合理的解釈ではないだろうか。ロシア人言うところの「死に至る病」「ロシア人は移植できない植物のようなもの」というのとはちょっと違う気がする。


■大小田八尋著『ミグ25事件の真相―闇に葬られた防衛出動 (学研M文庫)』(学習研究社)
MiG-25が強行着陸したその時、現地函館では……
F4ej航空自衛隊:MiG-25を函館上空で地上レーダーから見失い、スクランブルしたF-4EJファントムの機上レーダーからも見失い、目視でも見つけられず。ようやく視認できたのは函館空港にオーバーランして停止しているMiG-25の姿だった。
陸上自衛隊:函館駐屯地のすぐ上を不自然な低空で飛びすぎる機影を多くの隊員が目撃した。だが、それがMiG-25だと気付いた人は誰一人としていなかった
北海道警察:「正体不明機から降りてきた人物が空港職員に威嚇射撃している」との110番通報をうけ現場に最初に到着してミグ25を確保、以後自衛隊をシャットアウト

……いろいろ泣ける。


■永地正直『文教の旗を掲げて―坂田道太聞書』(西日本新聞社)
「私たちは、ミグを函館からギャラクシーで百里に運び、完全に解体して調べ上げ、また元のように組み立て直してソ連に返した。」p.209
これはまぁ、一種の比喩的表現ではないかと…。25個に別けて梱包した機体をソ連に返還してるから、元のように組み立て直しているわけではなかろう。


■ジョン・バロン著/入江眉展訳『今日のKGB―内側からの証言』(河出書房新社)
KGB職員のレフチェンコが、ベレンコの奥さんの手紙(と称するモノ)をAPの記者に渡すなどして工作しているんだから、当時のソ連の首脳部やその筋の人が亡命なんて思いもよらなかったっていうのはちょっと信じられない。一般人はそうだったかもしれないにしても。


参考:当時の日本・ソ連・アメリカの首脳はこんなでした。

日本
内閣総理大臣:三木武夫
外務大臣:宮澤喜一
    →小坂善太郎(昭和51年9月15日内閣改造による)
防衛庁長官:坂田道太
自治大臣兼国家公安委員会委員長兼北海道開発庁長官:福田 一
          →天野公義(昭和51年9月15日内閣改造による)

ソ連
書記長:レオニード・I・ブレジネフ
外相:アンドレイ・A・グロムイコ
国防相:ドミートリィ・F・ウスチノフ
KGB議長:ユーリィ・V・アンドロポフ
駐日大使:ドミートリィ・S・ポリャンスキー

アメリカ
大統領:ジェラルド・R・フォード
国務長官:ヘンリー・A・キッシンジャー
国防長官:ドナルド・H・ラムズフェルド
CIA長官:ジョージ・H・W・ブッシュ
駐日大使:ジェイムズ・D・ホジソン

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2009年5月12日 (火)

ドキュメンタリー「母なる川 ヴォルガ」

Volga母なる川 ヴォルガ

1993年アメリカ
制作:ナショナル・ジオグラフィック・テレヴィジョン


 ヴォルガ川、そういえば今行ってみたい所の候補の一つだ。そう思いながら見たが、情報としては古すぎ、一般教養としては浅すぎる。

 カザンやアストラハンなんか一度は見てみたい都市なのに犯罪(カザン)はともかく、放射能(アストラハン)は勘弁してもらいたい。この辺、さわりだけでまったく物足りない。ロシアでの変化は相当早いみたいだから今はどうなっているのか。ソ連崩壊間もない当時はそういう速報的な興味だけで制作されたのかも知れない。で、掘り下げが浅いのも仕方ないのかなぁ。

 このくらいの報道なら、どこかのニュース番組で毎年~一年おきにレポートしてくれるとちょうど良いかも。

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2009年5月11日 (月)

ドキュメンタリー「ロシア最後の皇帝 ロマノフ家の悲劇」

Russias_last_tsarロシア最後の皇帝 ロマノフ家の悲劇

1995年アメリカ
制作:ナショナル・ジオグラフィック・テレヴィジョン


 おや、「ソ連崩壊後はじめて明らかになった…」と謳っている割には、ニコライ2世についての認識はソ連時代に制作された映画「ロマノフ王朝の最期」とあまり変わらないぞ?
 もっとも、「ロマノフ王朝の最期」は長い間一般に上映されなかったから、その辺りに理由があるのかも知れない。エレム・クリモフ監督は資料にあたってできるだけ事実に基づいて映画を創ったけど、それは、当時のソ連の一般的な見方は隔たりがあったという事なんだろう。

 写真好きのニコライ2世や彼の家族が撮った美しい写真や当時の貴重な動く映像を大量に見ることができる。それを見せるための話だからだろうか、ドキュメンタリーにしてもかなり淡泊な感じ。
 夫婦の愛や家族愛と隠された虐殺の事実を対比する構成ではあるが、お涙ちょうだいでもなくボリシェビキの残虐さを強調するような内容でもない。そもそも、ニコライ2世って実際、無能じゃないか? いくら家族を愛する優しいパパではあっても、政治に無関心だし、臣民は皇帝を愛していると根拠なく信じているだけで彼らの暮らし向きに思いを寄せる事はなくおもしろおかしく遊び暮らしているのが好きって……。

 「血の日曜日」の元凶と見られたニコライ2世やラスプーチンを盲信して誰からも憎まれた皇后アレクサンドラ、白衛軍に奪われるわけにはいかない皇太子アレクセイが射殺されてしまうのは、それは現在の価値観からしたら酷いことだが、当時は人の命は軽かっただろうし、仕方ないと言えば仕方ない部分もある。
 ……そうだったとしても銃座で顔面を砕けるほど殴ったり、娘たち、従者たちまで皆殺しにてしまうのは痛ましい。

 それにしても、「レオ・トルストイ」、「コサック人」等々おかしな表現には実にイライラさせられる。コサックを「荒っぽい騎馬民族」とさえ言っている。民族じゃないだろ。日本語に翻訳するとき『ロシア・ソ連を知る辞典』でも何でも見りゃあすぐ出てるのにモノを調べるって習慣がないのだろうか。

ニコライ2世関連の映画:
エレム・クリモフ監督「ロマノフ王朝の最期」(DVDには一家の葬儀を伝えるテレビ映像も収録されている。)

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