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2010年8月21日 (土)

映画「エルミタージュ幻想」

エルミタージュ幻想
Hermitage_22002年ロシア/ドイツ/日本
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
キャスト:
黒服の異邦人:セルゲイ・ドレイデン
エカテリーナ大帝:マリア・クズネツォヴァ



 歴史好きがその現場を訪れてみたいというのは、まさにこの映画のような事なのかもしれない。

 私だったら、
「むぅ、ここがあの事件の現場かぁ……」
としみじみする程度だが、絵を描く人や、それこそ映画監督ならディテールまで鮮明に見えているのかもしれないな。まさにそういう人の目に映った物を映像化したような映画だ。
 その場所に刻まれた記憶が、その場に立ったことによって再生されるように、エルミタージュを訪れた主人公(=ソクーロフ監督自身)の前に展開される。しかし、彼はその中に入り込んでしまったわけではなく、再生されている幻影を見ているに過ぎないことはわかっている。
「かかわるまい……どうせ手遅れだ。史実なのだから」

 でもまぁ、「史実」とはいっても、彼が感じ得た歴史の事実なので、客観的な史実ってわけでもないみたいだ。エルミタージュに展示されている絵などの美術品の表現している真実なんてものも混じっている。
 もう一人の登場人物、黒服の男はヨーロッパを擬人化したものらしいけれども、むしろ「ヘタリア」に出てくる某国みたい。ふらーりふらーり、すぐどこかに行ってしまい、気がつくと女の人にちょっかいを出していたり、抱きついたり、つまみ出されたり。
 自分の好きな物(陶器や絵や女性)にはまっしぐらだけれども、嫌いな物にはしつこくからみ、突然、
「うなぁあ!」
と威嚇したりして、猫みたいでもある。リアルなヨーロッパというよりは、戯画化されたイメージだな(←それってまさにヘタリアじゃん)。あるいは、監督のイメージするヨーロッパの擬人化か。ヨーロッパにあこがれ、無人の沼地にいきなり「ヨーロッパの窓(=サンクト・ペテルブルグ)」を創ってまでヨーロッパの文物を取り入れようとしたロシアのイメージしたヨーロッパかもしれないな。
 しかし、そうまでして取り込んだロシアの中のヨーロッパなのに、場に刻み込まれた記憶の中の人にも、ソクーロフの友人や普通の入館者など現世の人たちにも煙たがられたり、怒られたりと余計者扱い。確かに、
「カトリックを知らないのに、あなたに未来がわかるのか!」
とからんでくる面倒くさい人ではあるが、ちょっとかわいそう。

 もっとも、ロシアやロシア人……我々といっても良い……が追いつき追い越す目標であったヨーロッパも、実際には未来を知っているわけではなく、指針・規範とすべき何かを持ってはいなかった。ヨーロッパの人々も人間なんだから当たり前といえば当たり前なんだけど、その当たり前のことに気づいても、人は前へ、混沌の未来へ進んでいかなければならない。キリスト教はこの世に終末があると説くが、未来の混沌の海には果てがない。
 ひょっとしたら、この混沌の海は、原初の混沌と同じものかもしれないな。それからすれば、いまエルミタージュで見てきた数百年の歴史なんて小舟のような物なんだろう。

ソクーロフ監督作品→「太陽

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