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2011年1月31日 (月)

【旅】サンクト・ペテルブルグに到着・ペトロパヴロ要塞

 時刻表通り7:55サンクト・ペテルブルグ、モスクワ駅着。

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←ロシア鉄道のチケット。
左上のホログラムみたいなところをビリッと裂いて入鋏代わりに

 

 

 

 地下鉄・蜂起広場(プローシャチ・ヴァススターニヤ)駅はすぐ近く。100ルーブルでジェトン4個買って乗り換え。モスクワの地下鉄みたいなかざす方式のカードもあるようだが、ジェトン自販機もあるしここはジェトンを使わなきゃ。

 二つ先のレーニン広場(プローシャチ・レーニナ)駅で降りるが、地下鉄から出たときの方向のわからなさは相変わらずで、どっちへ行ったらホテルかわからない。しかも、9時前だとまだ暗い。道に雪が積もっていたり凍っていたりするのは南関東に住む者にとっては結構危険だ。出発間際に印刷したグーグルの地図は字が読めなくて使えないし……。いや、ホテルのサイトにはこのグーグルの地図しか示されてなかったんだよ。模式図みたいなので良いから印刷用の地図も付けて欲しいよなぁ……。

1時間ほどザクザク歩いてようやくサンクト・ペテルブルグ・ホテルに着く(本当は最短で10分くらいなのに!)。

パスポートをレジストレーションのために預け(これは本日中に戻ってきた)、部屋に向かう。鍵をガチャと回して入ったとたん、
「うわ……これは……」
と思わずつぶやいてしまうほどの部屋だった。

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←古色蒼然たる電話とテーブル(鏡台)。板の表面の塗装がはげ、水こぼしたあとなんかでムラになってる

 

 

 

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←椅子。廃墟かここは
この他、オープン当初から張り替えてないんじゃないかと思われるような壁紙とか、、、

 

 

 

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←一応タンク式の給水器あったよ……各階に一つ。ただし、私の泊まった階のヤツは壊れててお湯が出なかった。それでも結構人泊まってたからしょっちゅう水切れになってた

 

 

 ここ、たぶんオープン当時は最高級のホテルだったんだよ、ソ連式の。で、庶民の使う地下鉄の駅から少々遠くても問題なかったんだよ。偉い人は車で来るから。

 最初にロビーで大きなエレベーターが横にずらっと並んでるのなんか、大仰だなぁ、と思ったし、客室までの廊下がやたら広い(広すぎて部屋までが遠い)。ネヴァ河に望んで壁のように建てられているホテルで、部屋の半数はネヴァ河やエルミタージュが眺望できるという贅沢な作りになってる……んだけどさ。

 サンクトペテルブルグ観光の中心から少し外れているとはいえ、眺望がよさげな立地なのに安い理由がわかったぜ(笑)。

 でもまぁ、眺めは本当に良くて、窓の下には巡洋艦オーロラが係留されている。エルミタージュも遠くに見え、ペトロパヴロ要塞の方向もはっきりわかるので街の位置関係を感覚的に捉えるには良い場所ではある。

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夜ホテルの部屋から撮った写真ですが、真ん中右よりの青くライトアップされてるのが巡洋艦オーロラ(クレーイセル・アヴローラ)

 

 

 

 それに、トイレバスはきれいだ。ぱっと見、廃墟のような家具調度も手で触って黒くなるとかそういうことはないので、ちょっと(ちょっとか?)古いだけできれいに掃除はされている。

 人心地付いた12時頃出発。

 今日は月曜日なのでエルミタージュはお休み。そこですぐそこに見える巡洋艦オーロラやペトロパヴロ要塞、ピョートルの小屋といったホテルから近場の場所に行ってみることにする。

 橋を渡って対岸へ。気温は-5℃くらいか? 天気が良い(旅行中晴れたのはこの日だけだった)だけに寒い寒い。オフシーズンのせいか巡洋艦オーロラとピョートルの小屋が閉まっていたので心まで寒い……。

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←ピョートルの小屋の前あたりにある

 

 

 

 更に雪の積もった道路をザクザク歩いてウサギ島……ペトロパヴロ要塞へ。

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1.聖ペトロパヴロ寺院
2.「サンクトペテルブルグの歴史1703-1918」展
3.ネヴァ・カーテンウォール「ペテロ=パヴロ要塞の歴史」展
4.トルベツキー監獄博物館
5.イオアノフスキー半月堡
の五つが全部見られるセットのチケットを250ルーブルで買い、見学。

 聖ペトロパヴロ寺院というのは、歴代皇帝の墓所。DVD「ロマノフ王朝の最期」にも収録されていたけど、最後の皇帝ニコライ二世の家族の葬儀が行われたのがまさにここだ。エリツィン時代に大々的にやったアレ。

 ただ、今の時期はオフシーズンなせいか棺の上とか柱等の装飾にビニールが掛けられいてレストア中の様子。修復されてきれいになっているからキンキラですげーとは思ったけど、今ひとつ荘厳さがが欠ける感じ。いかにも閑散期の観光地に見えてしまった。

 あと見応えがあったのはやはり、博物館になってるトルベツキー監獄。本物の迫力というか気味悪さが何とも良い。日の光が入らないようになってるのはキツイけど、現代日本のヒッキーだったら、喜んでずっと引きこもって暮らしそうな気もする……働かなくて良いし、結構広いし、トイレ完備だもんな。まぁ監獄だからネットはないだろうが、ここで執筆活動してる囚人もいることだし。

 他の博物館は展示方法もインタラクティヴ(笑)だし、今風な感じ。サンクト・ペテルブルグやペトロパヴロ要塞の歴史のおさらいにはもってこいだな。あの巨大なアレクサンドルの円柱をどうやって立てたかの模型もあってなかなかためになる。

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←こんなのも展示されてる。

 

 

 

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←サンクト・ペテルブルグ建設以前の交易路とか(サンクト・ペテルブルグ以前にここに何もなかったわけでもないので、いろいろ古代の遺物が出ている)。なんかよく聞く名前も見かける。

 

 

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←むしろこの地図を売ってくれというか……

 

 

 

 しかし、迷った迷った。順路とかないんだもんな。要塞内には造幣局もあるくらいで結構広い。すがすがしい気候の頃なら、散策がてら時々博物館・展示会をのぞいて要塞の形を確かめながら一日のんびり過ごして気持ち良いんだろうが、外歩いてると寒いんだよな……。たぶん、旅行中一番寒かった日だと思う。身体がすっかり冷え切ってしまい、耐えきれずにウサギ島の中だけど城壁の外にあるカフェで遅い昼食をとる。ボルシチ、黒パン、肉料理(オムレツっぽい何か)、カモミールティーで300ルーブル。ふぅ、暖まった。

 そして、トイレを借りたら無料なのに(もちろん、食事はこういうのも込みの値段なんだろうが)きれいだった。外(要塞内)に有料トイレもあるが、そこもそこそこきれいだったな。本当に観光地として整備されてて楽になってる。

 5時頃ホテルに帰り着く。

 か、しかし、なんだこの西日は! ドアを開けるなり、もう正面を見ていられないほどいっぱいすぎる日の光。なんかいろいろとびっくりさせられる部屋だなぁ。

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2011年1月30日 (日)

【旅】夜行列車「赤い矢」号でサンクトペテルブルグへ移動

 5時頃目が覚めて外を見ると雪……。

 今日も移動日な事は移動日なんだが、モスクワを出るのは23:55発の「赤い矢(クラースナヤ・ストレラ)」なので、ほぼ丸一日ある。モスクワでは特にしたいこともないので何も決めてこなかった。

 これからも晴れる日があるとは思わないので、チェックアウトまでは慣らしでヴェーデンハーあたりを散歩するにしても、だ……。

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←ツィオルコフスキーの像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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←ツィオルコフスキーはロケットの父

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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←氷の宇宙飛行士像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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←モスフィルムのアレ

 

 

 

 

 

 

 

 朝食をとって、外に出ると外気温は-5℃くらいでそんなに低いわけではないのだが、風が吹くとやっぱり寒い。一時間くらい歩き回ったら冷え切ってしまった。

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←ホテル・コスモスの外観
真ん中の像の人はなぜかシャルル・ドゴール。まぁ、いわれはあると思うんだけどね……

 

 

 

 

 

 

 しかも、またカードキーを部屋に置き忘れた。映画「アルティメットウェポン(シャドウ・ボクシング)」の
「ティ アピャーチ(あんた、またやったのか)!?」
ってセリフが頭の中で流れる(笑)。
またまたフロントに行って作り直してもらった。

 そうだ、美術館・博物館の類なら荷物も預かってもらえるし、何時間でも時間が潰せるぞ。ということでアエロフロートの機内誌「オーロラ」を見て地下鉄の駅から近そうなトレチャコフ美術館に行くことにする。
 絵ハガキなんか書いちゃったらさらに時間が潰せて◎。

 

 そう決めて、コスモスのカフェでカプチーノとマンゴーケーキで腹を満たして出発。少し降ってるがさっきよりは小降りになってる。

 トレチャコフ美術館では、荷物を調べられる。そりゃそうだわな……。ロ和辞典を見てこれは何だと聞かれる。はい、見ての通りのものです。それでも、ちゃんと手荷物預け所に預かってもらえて良かった。

 やはり、教科書などで見たことある絵がいっぱいあるなぁ。それに、スケッチや一部色を塗ってない書きかけ?みたいなのも展示してある。スケッチ段階と本番で全く違う絵もあれば、同じのもあるんだな。へぇ、トレチャコフ美術館ってこんな展示なんだぁ。

 「勇者たち」なんてイリヤー・ムーロメッツだよなぁ、とか、イワン雷帝、この絵(レーピン「イワン雷帝とその息子イワン」)のおかげで息子殺しがすっかり史実と思われてるんだよなぁ、とか感慨深い。私みたいに絵画に疎い人でもロシアの歴史に少しでも興味あれば、歴史物の本で挿絵に使われてる絵がぞろぞろでてきて大はしゃぎである。しかも、たまたま「アンドレイ・ルブリョフ」展開催中。なんて贅沢な暇つぶし……というか、ここ1時間や2時間では見きれないはず。

 モロゾフ婦人っていうんだっけ(スリコフ「Боярыня Морозова」)、ラスコーリニキのところでよく取り上げられるVサインの絵(←間違った認識)、こんなにでかかったんだぁ。たくさんのスケッチと一緒に展示されているから、へぇえ、これがああなるのかぁ、と見比べるとおもしろい。これ、スケッチや練習と違う所って作者の意図があってのことだろうから、絵を描く人が見たらもっとおもしろいんだろうねぇ。

 途中カフェ休憩を入れ、絵はがきを書いたりしながら、閉館間際まで思う存分見物した。

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←地下鉄移動中
路線図は地下鉄入り口、構内、車内と至る所に掲げられているから、乗り換えもわかりやすく、ぶっつけ本番でも大丈夫。車内アナウンスも
「○○駅。次の駅は△▽」
「お気をつけ下さい、ドアが閉まります」
くらいしか言ってないので聞き取りやすい。まぁ、お勧めはしませんが。

 地下鉄コムソモールスカヤ駅を出たはいいが、レニングラード駅がわからずうろうろ。地下鉄って地上に出たときがわからないよな。カザン駅は向かい側の立派な駅舎ですぐわかったんだが……。実は駅の建物自体はすぐ目の前だったんだけれども、入り口に「レニングラード駅はここから入れ」って矢印とかがなかったなぁ。でもまだ8時で時間に余裕があるから良いんだけどね。

 待合室は混んでいたが、カフェはすいていた。場所代代わりにカプチーノを頼み、日記を付けたりして時間を潰す。テレビではドモジェドヴォの爆発事件の検証番組をやっている……。

 夜中になるにつれ、警官の数が目に見えて多くなってくる。サンクトペテルブルグ経由ヘルシンキ行きの国際列車が出るせいでもあろうか。

 23時過ぎてようやく目的の列車「赤い矢(クラースナヤ・ストレラ)号」が到着。乗車が始まる。

 ちらちら雪の降る中、深紅の列車がホームに停まり、各々のワゴンの乗降口に車掌さんが立ってお客さんを待っている……ホームの向こうまで等間隔に車掌さんがずらっと並んだ様は壮観。

 コンパートメントに2席のソフトっていう方にしてみたけど、これは飛行機で言うビジネスクラス。私のような貧乏旅行者は完全に場違い。

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 もう何もかも至れり尽くせり。朝食もA~Dくらいのいくつかの中から選べるという。適当に指さして選んだクレープセットには赤っぽいものが入った小瓶が付いているからジャムかと思ったらイクラ! もっとも、同室の腹のまん丸い紳士は朝食にほとんど手を付けてなかったな。さすがエグゼクティヴはがっついてませんな~。

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2011年1月29日 (土)

【旅】シェレメーチェヴォ空港からモスクワ中心地まで

 朝、パンを食べ、食器を洗い風呂を掃除していたら、時間がやばくなってきてあせる。しかも、マイニフティの時刻表が違っていたので目的の電車に乗り遅れた。

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タウンライナー(千葉都市モノレール)のおかげで追いつくことはできたけど。タウンライナー、いつもとろとろ走ってるなぁ、と思ってたけど、在来の鉄道に比べるとウルトラC級のショートカットだったんだぁ。いままで舐めてました。スイマセン。

 なんてちょっとヒヤッとすることはあったが、成田空港には順調に到着。

 12:25には予定通り搭乗がはじまる。飛行機はエアバスA330-200ニコライ・ゴーゴリ号。

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これはきれい! 映画も自分の座席で好きなの選べるし。「ОБИТАЕМЫЙ ОСТРОВ(居住可能な島)」「ハナミズキ」「ПУТЕЩЕСТВИЕ С ДОМАШНИМИ ЖИВОТНЫМИ(ペットとの旅)」「氷ホテル」といろいろ見て、おいしい機内食を二回とアイスクリームを食べたらあっという間に10時間くらい経ってしまった。

欲を言えばボーイング機で放映しているという「ヤマル」というショートフィルムを見たかった。贅沢言い過ぎ? アエロフロートのエコノミーってったらアレなのに(笑)こんなに快適なんだから。

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映画「ヤマル」の代わりにこれで我慢。シェレメーチェヴォ空港にて。
そうそう、子供向けアニメの中にアルタイの話もあって岩画も紹介されてたよ。岩画はあの辺ではポピュラーなのかな?

 17:45(現地時間)にモスクワ・シェレメーチェヴォ国際空港に到着。
明るくてモスクワの地下鉄の駅をちょっと思い出すような感じになってたけど、パスポートコントロールには見覚えがある……というかこの施設はこういう構造にしかならないか。荷物もすぐ出てきた。

 モスクワの中心に出るには、バス地下鉄と乗り継げばいいはずだが、どこから乗れば良いんだろう??? いやいや、下調べしてから来いよと。空港内の表示を見れば何とかなる、と思ってたいして調べないでモスクワまで来てしまった。……ところが何とかなってしまった(笑)。

 押し寄せるタクシーの呼び込みをかき分けて両替してから、外に出てみる。バス停をよく見ると、どのバスに乗っても地下鉄の「レチノイ・バグザール」という駅に行くらしい。地下鉄に乗れれば何でも良い。バスの切符の買い方もわからないで二台ほど乗り過ごしたが、何とかバスに乗れた。なんてことはない、日本と同じでバス(ワンマンバス)の運転手から買うだけだった。ヤレヤレ。

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 乗車してから路線図を見てみたら、「レチノイ・バグザール(Речной вокзал)」駅はバスターミナルになっててほとんどのバスが行くところらしい。結構時間が掛かったので、着くまではこれで訳のわからないところまで持って行かれちゃったら困るなぁ、と不安もよぎったが無事到着。

 そこで地下鉄の切符の買い方もわからずにおたおた。モスクワの地下鉄は既にジェトンでなくICでかざす方式になってんの。それで何回乗るか言って買うみたい。見た目は同じカードなんだけど。

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窓口のお姉ちゃんに怒鳴られたり、通りがかりの人が英語で
「May I help you?」
と聞いてくれてもきょとんとしてるから
「……あの人、言葉がわからないから助けられないわ」
なんて言われたりしながらも、親切な窓口のおばちゃんが「28」と紙に書いて示してくれたので28ルーブルを払ってカードを買い、ようやく地下鉄に入り込むことができた。

 ふぅ、これでひとまず安心。宿所のホテル・コスモスは地下鉄ヴェーデンハー駅を降りて外に出れば見えるはずだから、今日の課題はクリアしたも同然。バス+地下鉄で56ルーブル(約168円)で成田空港から東京駅まで行っちゃうようなもんなんだから、多少の苦労や恥かきも報われる。

 モスクワの地下鉄は、警官が文字通りぞろぞろ。隊列を組んで歩いてたり、一人や二人で歩いてたり。さすがに去年地下鉄でも自爆テロがあったから厳戒態勢。

地下鉄の路線も事前に頭に入っていなかったのだが、構内にある路線図をじっくり見て今自分のいるところと行き先を把握。乗り換えがあっても、乗り換えの表示とかちゃんと出てる。東京の地下鉄の乗り換えの複雑さを知ってる人ならモスクワの地下鉄もさほど難しくはないな。

 ホテル・コスモスは、地下鉄ヴェーデンハー(ВДНХ)駅から降りるとすぐに映画「デイ・ウォッチ」でおなじみになった特徴的な建物がキラキラ光ってたのですぐわかった。

 あとは今日最後の課題……ホテル・コスモス内のインツーリストのオフィスへ行って列車のチケットを受け取ることだ。ホテル・コスモスはそういう点では便利。

 そもそも、モスクワのホテルはえらい高くて、計画段階ではレニングラード駅のちかくにあるホテルがコスモスの次くらいの安さでモスクワでは安い部類なので、そこに泊まる事も考えたんだが、そこってよくよく見たらヒルトンなんだよな。ヒルトンが安い方っておかしいよ、この街……。

 さて、それはそれとして。インツーリスト自体は営業時間外。でも、担当者が守衛の人によく話しておいてくれたらしく、すんなりミッション完了。ふう、これで重い荷物を置いて一休みできる。……と安心しきったのがいけなかったのか、水でも買いに行こうと部屋の外に出たら、カードキーと宿泊カードを持って出るの忘れた。うわ~。

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←ホテル・コスモスの部屋(散らかし済み)。コスモスはソ連時代からあるホテルだけど、内装はきれいになってます。……シャワー浴びたら水が土?サビ?臭くて赤水だったのは相変わらずだなぁ、とは思ったが、水事情の悪いのはヨーロッパでは仕方ないかぁ。

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2011年1月24日 (月)

【旅】ドモジェドヴォ空港で爆弾テロ

 とまぁ、やきもきした割にはあっさりビザを手にしてあとは荷造りして行くだけ、とほっとしているところにモスクワのドモジェドヴォ空港での自爆テロのニュースが飛び込んできた。

 自分では不謹慎ではあるが、「シェレメーチェヴォでなくてよかった」くらいのもんでたいして気にはしていなかったので、バイト先で
「大丈夫なの? 中止しろとか言われない?」
などという人がいたのには驚いた。いや、別に外務省の渡航禁止勧告とか出てないっしょ? そもそもロシアで爆弾テロなんて珍しくないから織り込み済みじゃないか。

 かつて地下鉄サリン事件が起こったとき、私もブルーシートに横たわる人を横目で見ながら出勤し、一日中サイレンが響き渡る中で、確実だと思われていたモノがすべて壊れてしまったような漠然とした不安を抱きながら通常業務を続けていたが、それでも、他地方や海外の人が
「東京の地下鉄でたいへんなテロがあって東京は危ないから東京ディズニーランドへ行くのはやめよう」
なんて言うのを聞けば、
「ハァ?」
と違和感を持ったもんだ。全然関係ないじゃん!

 それと似たような感覚だよな。テロは避けようがないから用心しようもないでそ、滅多に遭遇するものでもなし。

 それに、目的地は冬のサンクト・ペテルブルグですぞ。オリンピック開催中のソチじゃなく。およそテロの危険からは遠いと思うんですがねぇ。

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2011年1月22日 (土)

映画「ドウエル教授の首」

ドウエル教授の首 [DVD]

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1984年ソ連
原作:アレクサンドル・ベリャーエフ
監督:レオニード・メナケル
キャスト:
ドウエル教授…オリゲルト・クロデルス
アンジェリーカ、モニカ…イーゴリ・ヴァシーリエフ
ロラン…ヴァレンチナ・チトーヴァ
コルン…イーゴリ・ヴァシリエフ

 ロシアの街角に建てられているソ連邦英雄とかの像…たとえばガガーリンの像で、首だけのヤツを見るたびに、これって生首だよなぁ、これを不気味だと思わないんだろうか、と常々思っていた。

 いやー出たよ。まさに生首ってのが。それがこの映画「ドウエル教授の首」。

 映画の中で、亡くなったドウエル教授の偉業を記念するための記念碑が建てられるんだが、それがまさに首だけの像。その後に出てくる首だけで生きているドウエル教授を暗示していてぞぞーっとした。ロシア人だってあれ見て生首想像するよね…。なんで胸像とかでなくて首だけなんだろうか???

 しかし、ドウエル教授が開発した培養液っていうのが猛烈にソ連で開発された「青い血」――人工血液ペルフトランを思い起こさせるんだけど?
 この映画、ソ連で大ヒットしたそうだが、1984年って、まさにアフガニスタン紛争にソ連軍が介入していった時期で、人工血液ペルフトランが表舞台に出てきてたころだ。そのへんの事が見る方の頭にあってリアルな恐怖として受けたのかもしれない。いちおう、映画の舞台はアメリカになってるが、こういうことを平気でやっちゃいそうなのはむしろソ連だよ。

 というわけで、SFだし、血が飛び散ったりするシーンはないんだけど、結構グロい。
 フレッシュな美女の遺体を手に入れて、「人形のように」縫い合わせ、新たに一人の女(イヴと呼ばれている)を合成するところなんて、「フラケンシュタイン」そのものだよなぁ。原作の古い邦題をもじって、「怪奇!合成人間」とした方がぴったりくるようなレトロな不気味さ…。

 ドウエル教授は培養液の正確な化学式を残さずに死んでしまい、首だけで蘇らされても助手のコルンには教えようとはしない。世紀の大発明を自分の手柄にしたいコルンは、装置を使って教授の頭の中を覗こうとする。
 そのイメージのモンタージュがとても新鮮に見えた。今だったらこういうイメージはCG使ってやっちゃうんだろうが、アナログで工夫しててかえって新鮮だった。CGは何でもできる自由自在なものと謳いつつ、イマジネーションに「こういうもの」と知らず知らずのうちに枷をはめてしまっていたのかも。
 制限された中にかえって無限の表現を見いだすって、なんか俳句に通じるものがある…なんて言い過ぎか(笑)。

Douel002いきている首 [冒険ファンタジー名作選(第1期)]
原作を探していて、表紙の絵に惹かれてつい衝動買いしてしまった…。
こういうの、学級文庫みたいなのにあって読んだって人がうらやましい。

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2011年1月21日 (金)

【旅】まず、ロシアのビザを取らねば

 今回の旅行の目的は、ずばり「日本で旅行するようにロシアでも旅行する」。

 空港から市街への公共交通機関の乗り継ぎにも慣れるばかりでなく、ホテルや鉄道の手配も日本でやるようにネットでちゃかちゃかっと予約してやってやろう、ということ。目的地がサンクト・ペテルブルグという大都会なので、困難なことはないだろうとは思ったが、何しろロシアは10年ぶりくらい? サンクト・ペテルブルグははじめて行く町である、レニングラードなら行った事あるけどってなもんで、相当変わっているに違いない。

Isakold001レニングラード時代の聖イサーク寺院。こういうのは変わっていないと思うが……。

 ただ、日本とロシアはまだ平和条約を結んでいない戦争状態だからかどうか、ビザの減免措置がまったくない。このまえ、蒸しパンさんに見せてもらった「地球の歩き方 ロシア 2010-2011」には、ビザ取得は難しいのでロシア専門の旅行会社に頼んだ方が無難などと書いてあった。
 しかし、そんな阿呆なことはない。ロシア大使館のビザについてのページを読んだ限りでは、ロシアの旅行会社に直接に頼んでも問題はなさそうなので、今回はソ連時代からの老舗で外国語ページの充実している(逆にロシア語ページがなくて泣いた)インツーリストに頼んでみることにした。

 このサイトのホテルリストに出ているような主要都市であれば、ネットでぽちっと予約して、しゃかしゃかっと必要事項を英語で書き込めばいいだけ。あとはPDFでビザ取得に必要な書類を送ってくれるから、この他の必要書類を揃えてロシア大使館領事部に持っていって提出するだけ。拍子抜けするくらい簡単。

 ……なはずなんだけど、6ヶ月くらい前から申し込んだのが気が早すぎたのか、担当者がいつの間にか変わって(それについての挨拶もなかったが)引き継ぎが良くされていなかったらしく、結局、全部手配ができて書類が送られてきたのが出発日の2週間前。それもあっちが営業日でこっちが休みの日にあたった実質2日くらい、激しくメールをやりとりしてできたんだよなぁ。……やればできるのに、ギリギリにならないと本気出さないってロシアじゃよくあるよなぁ。ロシアの年末年始はやたらと休みが多いので早めに申し込んだのに、これでは意味がない(笑)。

 でもまぁ、領事館の方は良い意味での(?)お役所仕事で書類さえ揃っていれば(過去ロシアで悪事をはたらいていなければ)ビザは出るんだなぁ(しかもお金さえ出せば翌日に受け取ることだってできる)。
 なにしろ、領事部に印刷した正式の書式があるかと思ってたのにそういうものはなく、サイトからダウンロードした紙に下書きのつもりで書いた、ペンでグジャグジャッと消して直して汚かったり、「サンクト・ペテルブルグ」の綴りが間違ってる(あとで気づいた)のを提出する羽目になって相当心配した。だって、日本じゃ就活や転職で履歴書に誤字があるだけではねられるとか、写真が曲がってるだけで不採用とか言われてるでしょ。何しろ外国の役所に提出する書類だから、そのくらいの厳密さが求められると思う訳だ。
 しかし、そんなことは杞憂だった。すんなりビザは出た。……まぁ、肝心のパスポート№や自分の名前は正しかったし、内容的には合ってるし、本人が出頭してるんだから問題ないと言えば問題ないんだろうが……。きちんと清書して持ってけばムダな心配をしなくて良かったんだよ。

 とにかく、ビザは自分で申請してみるのも悪くない。領事部の営業時間が短いので自分で行けないとか、そもそもロシア大使館が遠すぎるというのでない限り、日本の旅行代理店に頼むほどのことでもない。私なんかバイト先で海外旅行の許可を取る手続きやら書類書きの方がよほど七面倒くさいと思ったもんね。
 それに何より、旅行会社とのやりとりを含め、事前にロシアの空気に触れることができるのがいい。予防注射代わりになる(笑)。

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