【旅】おまけ・バレンタインなのでロシアのチョコを食べる
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後ろ側の部屋に子供の団体が泊まっていて、夜中までドタバタうるさい。時々目が覚めるのは、やはり絶対遅刻できないと思っているせいだろう。
3時頃おきて荷造りをする。バッグの体積の2/3が本だが、重さは……(シェレメーチェヴォで計ったらバッグの重さは15.2kgだった)。
5:40チェックアウト。レジストレーションに100ルーブルかかっただけ。これで居心地の良いホテルをあとにして出発だ。
←ホテルカードの裏にはいかにも簡単に行けそうな地図が書いてあるけど、工事中だったりバイパスで歩行者が渡れない道路だったりで最初は迷ったなぁ。
地下鉄の始発(5:54)を目指していたのだがそれには乗れず。ネヴァ河の下を通っている地下鉄だから結構深くてレーニン広場駅のホームに着いたのは6:06頃。電車はすぐに来てモスクワ駅にはちょうど良い時間に着けた。
サプサン№151は既にホームいた。迎えに来てくれたか。小走りになりながらも写真は撮る。
←サプサン(「はやぶさ」の意)。
これでモスクワへ向かう
サンクトペテルブルグのモスクワ駅にて
←雪がこびり付いてる
←サプサンの中。日本だと新幹線にあたる位置づけだろうな
これで一番乗り遅れの危険性のあったところをクリアした。あとはただ乗ってるだけで10:30にはモスクワに着いてしまうんだから。車内販売のサンドイッチを食べて朝食にする。
←こんな感じでモスクワに直行。
途中一駅も停まらない一番早いサプサンです
モスクワに到着し、サプサンの写真を撮ったところでフィルムが尽きる。
荷物の重さに耐えかね、タクシーでシェレメーチェヴォ国際空港に向かうが、早く着きすぎた。頑張って地下鉄ベラルースカヤ駅→シャトルバスにすれば良かったが、それも荷物を置いて昼食を食べてるから言えることであって。かといって、ホテルで朝食食べてから乗るサプサンじゃあ時間に余裕なさ過ぎだしなぁ。現に、乗り継いでくるはずの飛行機が遅れて帰りの飛行機はがらがらだったから、よく知らない街でギリギリの乗り継ぎ時間ってのも恐い。
というわけで、空港内のヒポポタマスというカフェでペンネを食べる。外は結構な雪。
←シェレメーチェヴォ国際空港にあった変な顔はめ
「ツァーリ」って名前か?
もうこれで帰国ですよ。ロシア気分はもうお終い。つまんないなぁ。
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遅めの朝食、遅めの出発。ルーブルがなくなってきたので両替したいのだが、ネフスキー通りに行く地下鉄に乗る金もない。だったら、昨夜ギリギリまでビールを飲むなよとか思うが、飲みたいものは飲みたいんだ!
フィンランド駅の近くにもかかわらずレーニン広場には銀行がなく、結局、昨日と同じような経路でネフスキー通りへ。
←夏の庭園(閉鎖中)を回り込んで血の救世主教会へ
血の救世主教会を裏からまわり、その辺りで両替してクンストカーメラへ向かう。
←クンストカーメラ(ピョートル大帝記念・人類学・民俗学博物館)
チケット200ルーブル。館内地図もくれた(右側)
一言で言うとグロい。
日本も含む世界の民族の服や日常品も展示してあるのだが(日本だともちろん、サムライや巫女さんもあり)、ユーラシアやアメリカの極北の生活などたいへん興味深いのだが、それがぶっ飛ぶほど、奇形の動物や奇形の子供のホルマリン漬けはグロ……。
X51などで、シャム双生児やら奇形の動物やら奇怪なものの写真に慣れている人にもお勧め。四つ足の鶏や二顔の牛などもある。
本物の迫力ってこういうもんなんだ、と。人間の首の断面とか脳みその取り除かれた空っぽの頭蓋骨(逆側から見るとちゃんと目鼻口もあるのに)は見てると胃の辺りがもにょもにょする。やっぱり同類の死体って、本能的に生命の危険を感じて嫌なんだよな、きっと……。
ピョートルのシベリアコレクション(スキタイの金製品)も、ピョートルの抜いた歯もあったけど、それが霞むほどインパクトあり。なんというかその……ピョートルっておもしろい人だね☆
4時頃帰る途中、ウズベク料理/日本料理の店・カフェユーラシアで肉入り焼きうどんラグマンを頼む。
「30分以上掛かるがいいか?」
と聞かれる。もちろんですとも! 休憩を取りメモを書くために座りたいのだから、食べてすぐ追い出されるような所では困る。
日本料理とウズベク料理が一緒って妙な気もするが、流行っているらしく昼食でも夕食でもない時間帯なのにずっと満席だった。
ゆっくり休んだところでイサーク大聖堂へ行く。
中途半端に薄暗く、まだライトアップされていない。ヒトラーの伝説で有名なホテル・アストリアって、イサーク大聖堂からこんなに近い……っていうか隣じゃないか。
←イサーク大聖堂
(イサーキエフスキー・サボール)
200ルーブル
モザイクもすごいが、それよりすごいのはマラカイトの柱。エルミタージュにもマラカイトの間があったけど、黄金の間が天井から柱から壁から金ぴか!って感じとは違い、見たときは真ん中の柱がマラカイトなだけじゃん……とちょっと拍子抜けした。それだけ貴重な石って事なんだろうけど、イサーク大聖堂の柱は、どでーんとマラカイト!
しかもその真ん中のちょっと小振りな柱……その青い色はまさか、ラピスラズリ? ひえー、そんな塊のラピスラズリなんて想像もできませんっ
←その青い色は……
ここで血の救世主教会のモザイク・カレンダーを買う。買っている中にも売店がどんどん閉まっていく。外に出ると、イサーク大聖堂も周辺のホテルもライトアップされていた。
←ライトアップされるイサーク大聖堂
左に柱一本分だけホテル・アストリアが入ってる
低圧縮の写真はこちらにも少し
帰り際にドム・クニーギに寄って、土産用に非常に重たい日本語のエルミタージュ本を買う。マラカイトの色・模様が気に入ったってだけで中は見てないけど……。
レーニン広場の地下鉄駅を降りると、羽のような淡い雪が降っていた。そろそろ冬も終わりなのかな。
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朝はいつも通り。で、8:30に出発。
今日は天気も悪くないし(良くもない……曇ってる)歩いてエルミタージュに行ってみることにした。ホテルから見えているんだし、リチェイヌィ橋を渡りネヴァ河沿い(クトゥーゾフ河岸通り→宮廷河岸通り)に歩けば、写真も撮れる。寄り道しなければ時間的には地下鉄で行くのと同じくらい、1時間程度で着くんだろう。
←ネヴァ河沿いのクトゥーゾフ河岸通り
気温は0℃前後。しばらくは普通に撮れてたが、やはり同じようなタイミングでカメラが二つとも挙動不審になってくる。
μはピントが合わない。昨夜フル充電したから電池切れって事はない。芯まで、つまりバッテリが冷えてしまうとやっぱり駄目なのかな……。緩衝材と使い捨てカイロでほかほかなバッグの中にしばらく入れてやると回復するので多分そうなんだろう。
F1は相変わらずで、電池部分に使い捨てカイロを押し当ててやるとしばらくは持つ。10分ももたないけど。撮らないときはやはりバッグでぬくぬくさせておく。人間様は別に何ともなく歩いているのによぉ~。軟弱なヤツラめ。
←トロイツキー橋
河岸通りは車は多いが人通りが少なく、歩道がアイスバーン状になっていたので、台から降りた時すてっと激しく尻餅をついてしまった。痛てててて……
←ペトロパヴロ要塞を対岸から
11時前にはエルミタージュに着いて入館することができた。
今日は珍しくカメラを持っていることを注意されたので手荷物預かり所に置いていく。持ってても撮りはしないんだが、いままでスルーだったのでユルユルだな、と思ってた。本当はやるものなんだ。そりゃそうか。
まずは、1階のエジプト展を見学してから常設のギリシャの部屋をぐるぐる見て回る。
エジプトは量的にはコンパクトだったが、見応えがあった。学校の遠足かなんかで来ている子供がここに集中していた。大人気。
ギリシャの彫像見て、セイント星矢みたいだ、なんて思っちゃうのは古すぎる。こっちへ行ってみたら、また違う本売ってたので、メモメモ。今日はあとで買う……エジプト展の並びだから道に迷わないはず。
8.ブンジカット宮殿コンプレックスの絵画遺跡
9.ソグドの美術
さすがソグド関係は本場だな。
エルミタージュの研究報告書みたいなのもあったが、本当に自分の分野なら読むだろうがちょっと興味がある程度でそこまではなぁ……。そういえば、2月1日、道に迷ったときに国立図書館の前を通ったがああいうところで調べ物したらいいのかな? できるのかな? それこそ一日や二日では終わらないだろうし、前準備をしないで思いつきで行くのは無謀すぎる。
あとは3階に行ってみる。
375、376で日本の刀剣や浮世絵を見て、浮世絵なんて大量生産品だろうに、紙に型押ししたみたいに着物の模様を浮き出してて凝ってるな、思い、358で印籠を見たりした。あと、357.~中国がさわりほど。368.~370.はインド。仏像やヒンズーの神々の類はいかにもインド。聞いたことのある神格なんかあると興味が湧くが、仏教はサンスクリットで知ってないと海外ではお話にならんと思う。368.あたりでは甲冑を組み立てていて、整備中って感じだったなぁ。それで、イランものがあると思われるところは閉鎖されてて行けなかった。というわけで、かなり寂しい感じ。
すぐに終わってしまい、なんだか物足りなかったので、カフェで少し休んだあとに、さっき目星を付けて置いた本を買ってから、草原関係の所をまた見に行く。何度見ても良いねぇ。
ゆっくり歩き回ってから地下鉄で帰る。
今日は比較的天気が良く、夕方は青空が見えていたが、帰るときには結局真っ暗。
宮廷広場・アレクサンドルの円柱
スケートリンクじゃありません
宮廷広場からも見えるイサーク大聖堂
血の救世主教会もライトアップされてる
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夕べはビールを飲んだせいでぐだぐだになって寝てしまい、起きたのは7時頃。
朝食を食べたあと、部屋で昨日の整理をしていると、ルームサービスの人がバストイレを掃除してくれた。
「ベッドはいい。きれいだから」
と言うと、ベッドのほうをながめて
「きれい?」
と首を傾げる。疑り深そうに聞こえたのはたぶん気のせい。
←きれいです!
汚部屋じゃありません!
「廃墟」とかいってたくせにすっかり気に入って住み着いている図
たまには休みの日がないと、やったことも整理できないであとで忘れちゃったり、やるべき事が絞れないもんな。
11時頃部屋を出ると、スロヴァキアから来たらしい団体がいてレセプションが混雑していた。いつものように地下鉄でネフスキー通りへ。今日は雪も雨も降ってない。
12時過ぎにはエルミタージュの河側を歩いてピョートルの冬の宮殿へ向かう。
←たまたま第一水曜日で無料だった
ピョートルの冬の宮殿は、エルミタージュの一部ではあるのだけれど、運河を隔てて渡り廊下でつながっている。地下に埋もれてたピョートル時代のものを掘り出して復元したものなんだそうだ。
無料公開日なのに観光客はいなかった。本当に遺跡って感じで暗くて古いレンガを壁に見えるようにしてあったりして良い雰囲気だった。
しかし天井が低いな。ピョートルって大きい人じゃなかったっけ。部屋も今のエルミタージュから比べれば小さくて地味だけど、地味に豪華なのが「らしい」よな。ピョートル・ファンには納得の部屋ではないだろうか。
траурная залаは臨終の間って事か?そんなのもある。
その後、冬の小運河沿いの小道を通って宮殿広場の方へ出る。
←冬の小運河
これもピョートルが掘らせたんだよな、確か
←アトラスが支えてる
(新エルミタージュの玄関)
この辺、エルミタージュの入り口から遠くて観光客があまり来ないせいか、工事中だらけ。寒いことは寒いが0℃前後で大して寒くもないので、道がぐだぐだになっている。
それでもカメラを出して撮りたいようなものがたくさんあって
(←こういうのとか)
撮っていると、カメラが二台ともおかしくなってきた。
μはピントが合わない。F1はシャッターが切れない。
F1の方は、露出計の電池を抜けばシャッターは切れる(露出計自体はまだ動いている)のでいつものことだが、μTough って-10でも大丈夫ってうたい文句ではなかったか? バッテリーが上がってきてるんだろうか? まぁ、確かに、そろそろ電池切れになってもおかしくはないが……。
宮殿広場でエルミタージュの建物を見てると、また入りたくなるが、焦ってもしょうがない、今日はオフ日なんだからと自分に言い聞かせ、文学カフェに行く。
ここは、プーシキンが決闘に行く時、最後に立ち寄ったケーキ屋「ヴォリホフとベランジェ」なんだって。一度は行こうと思ってた(プーシキンファンでもないのに)。今日こそは。
←ビジネス・ランチを食す
サラダ、スープ、パン、肉と付け合わせ、飲み物、それぞれ何種類かの中から好きなのを選んで175ルーブルだった
これはビートサラダ、レバー焼とソバ、ボルシチ、黒パン、リンゴのコンポート
黒縁眼鏡で黒髪をポニーテールにした黒いTシャツ、黒いタイトスカートのすらっとした女の子が皿を下げに来たときは、うおっ漫画みたい、と思った。
その後、血の救世主教会に行く。
←血の救世主教会(フラム≪スパス・ナ・クラヴィー≫)
入場料は200ルーブル
こ、これはすごい。隙がないほどにぎっしりモザイク!
上を見上げれば、遙か高い天窓からマリア様やキリストがのぞいてる見たいな絵が。あれもモザイクだよな。
そもそもアレクサンドル2世が爆殺されたところに建てられた教会なので、その現場が記念碑的にそのまま残されてるのが歴史好きには興味深い。その上に付けられた屋根みたいなのも色とりどりの石の花が付いていたりでこれも何だか現実離れしている。
……帝政時代から爆弾テロって、今とあんまり変わらないな。ロシアの伝統なのかねぇ。
あまりにもすごいモザイクなので、パソコンで見られるディスクを250ルーブルで購入したのだが、ホテルに帰るとないんだな、これが。落としたんだろうが、あんな大きなもの落として気がつかないもんかな。キリスト教とは相性悪いからしょうがないか……。あのモザイクを修復するのはとてもたいへんだったそうなので、寄付したと思えばまぁ、いいかという気分になる。
←せめて卓上カレンダーを、とあとでイサーク大聖堂でモザイクのカレンダー買いましたよ
血の救世主教会は、他の二つの教会と供にイサーク大聖堂と同じ管轄なのでイサーク大聖堂でも売ってるのだ
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今日は張り切って9:00にはホテルを出たが、結構雪が降っている。こんなもんで負けるかぁー!と地下鉄に乗り出かける。
←宮廷広場
結構降ってます
ナポレオン戦争の勝利を記念する古代ローマの戦車の像も霞む
←でも行く
(エルミタージュ入り口)
……とめげずに来たは良いが、開館前についてしまう。
雪降る中待つはめに。でも他にも開館を待っている人たちがいた。何しろ天下のエルミタージュだよ? みんな待ちきれないよね?(←いや、事前に開館時間ぐらい調べろ、という)
←やっと入れたぜ
今日は昨日の経験をふまえ、最初から古代史方向の入り口に直行。ちょっと裏口っぽい雰囲気だけれども「スキタイの黄金文化」解説付きツアーがあるので、こっちから入る人もいることはいる。西洋絵画方面よりはにぎわってないが。
先にオチを行ってしまうと、黄金のオルド(ジョチ=ウルス)もこのくくりに入っているらしく、割と整備されていて、何故か自動解説の端末もある、ここだけ。さすが「黄金の」オルド。優遇されているよな。
で、この端末いじってて気づいたんだけど、イェスンゲ紀功碑がない。そりゃあ、イェスンゲは黄金のオルドの人ではないが……。
一瞬モンゴルに返したのか、と思ったけど、イェスンゲ紀功碑の出土地って今の国境線から言えば、モンゴルじゃなかったような……。どうだったっけ?
それはそれとして。
さっそく11番から。もう本題に入っちゃう。
←もらった地図はこんなになっちゃてるんで部屋番号はここらへんのフロアマップを参照(同じものです)
左下に写っている金の杯がジョチ=ウルスものですな
11は2~3万年前の石器などで、この辺は教科書的に人類の歴史をたどるものだろうと思い、軽く流そうかと思ったが、
12に入ると岩絵の描かれた大きな赤石があって、これはどの部屋も揺るがせにできないぞ、と気を引き締める。でもやはり、ゴビの岩画とは印象が違うね。
前3~3千年紀のもので船やウシ(?)、人、鳥。こういう印象の違いを理屈で説明したのが文化の違いって事なのかな~。
その他には骨で作った釣り針や土器、いわゆる「ヴィーナス」など。
13.
ここにも奇妙な動物の岩画がある。やはりゴビのとは似ていない。アファナシェフ文化など黒海沿岸の文化。
14.
南シベリア、オクネフスキー文化、エニセイ文化など。岩画にはオオカミ、ウシ(サイガっぽくも見える)などの岩画
15.
スキタイ。把手がヤギのフクがある。動物文様の金製品、絵ハガキや本にも取り上げられる有名なもので展覧会でもよく見かけるんだけど、アレ、一つや二つじゃないんだな。ちっこいボタンみたいな金製品を服の全面を覆うくらい大量にくっつけたり、金モールみたいに並べたり。大量生産していたんだろうか?
スキタイの石人君もいた。石人君の年代って、やっぱり石人君の服装できめるんだろうか。
16.
スキタイ。三角形の鏃が特徴的。
17.
スキタイ。前5~4世紀の石人。把手がいろいろな形のフク。馬具など。
ここで閉まっていて18~23には行けなかった。本来何か展示しているんだろうが、オフシーズンのせいか閉まっている部屋、閉鎖されている階段・廊下が結構あって、ダンジョン性が高まっている(笑)。
いったん戻ってもう一方の入り口から入り直す。
24.
大きな12世紀ダシト=イ=キプチャクの石人(キプチャクの石人ですな)がお出迎え。「石人君」というよりは、ロシア語の「カーメンナヤ・バーバ」の方がぴったり来る▽▽型の乳房の描かれた女性の像。その柱の逆側にはモンゴル期っぽいいでたちの石人(立像)があるが、説明がなくてよくわからない。
というか、24、27、33は廊下のような細長い部屋なんだが(たぶん廊下みたい、でなく本当に廊下)、人骨入りなのに割れてるケースがあったり、かなり荒れているような印象がある。梱包材が所狭しと置かれていて、移動か改装をしようとしているような感じ。ホレズムのらくだに乗って狩りをする人の描かれた銀器って、イラン関係で見たことあるような図柄だし、フィン・ウグルの古代の文物やハザールものなど、おもしろそうなものがあるんだけど、ハザールの隣がサルマタイでいいのか等々、時期や地域がバラバラ、展示方法も古い。ハコモノは建てたもののその後手入れしていない田舎の寂れた博物館みたいだ。それはそれで味があるんだけど、おもしろいところを扱っているのに粗末にされてる感じはする。
26.
パズィルィク。
騎乗のオジサンの描かれたフェルトの絨毯、こんなにでかかったのかー!
坊さんみたいなもう一人のオジサンと交互にいくつも並んでる! オッサン、坊さん、オッサン、坊さん、オッサン……ってなんかおかしい。このサイズだと家(モンゴル風に言えばゲル)に使ったんだろうが、大まじめに天幕の外側に掛けてあったんだろうか……。
フェルトがぺたぺたな様子がじっくり見えて良い。
←これですな
護雅夫『遊牧騎馬民族国家 (講談社現代新書 116)』
毛を結んでけばけばを立てた(パイルの)絨毯や、もう少しモコモコ感のあるフェルトの絨毯もある。
棺を安置する丸太小屋の部屋、モンゴルのノヨン=オール(ノインウラ)にもこんなのあったな。
木と革で作った馬装具。馬を鹿にコスプレさせたいほど、鹿が神聖だったのか。
文身のある首領のミイラ。有名なヤツですね。ここで見ると文身はわからないなぁ。
高車の説明に必ず出される高輪の車もここ。車輪って細長い木を丸めてるんだ。
毛付き頭飾り、人面有翼の奇妙な動物のアップリケ、白鳥のフェルト製ぬいぐるみなど。
28.
パズィルィク。
目玉の水晶体までわかる人間の頭部や、馬のミイラ。馬は正装している。馬の豪華な頭飾りがいろいろ展示されている。鹿の頭をくわえるグリフィンってここにあった。くわえられてる鹿の角の枝分かれた先一つ一つがグリフィンの顔になってるのって幻想的だよなぁ。いったいどんな背景があってこんなものが作られたんだろうか。
パズィルィクの鹿っていろいろあるが、鹿石の鹿そのものの形のがあるな。こういうのが鹿石の年代比定に使われてるんだろうな。
猫足テーブルがあってニヤニヤ。猫足ってテーブルの足が猫なんだけど、猫かね?
注ぎ口が何となくちん○を思わせる水差し。たぶん思い過ごし。
29.
トゥエクチンスキー・クルガン。前4~5世紀。
木製のいろいろな動物が格好いい。鷲なんかそのまんま紋章に使えそう。笑い猫(虎って書いてあるけど)がすごく良い表情で欲しくなった。もちろんグリフィンもある。早くミュージアムコピーを作って売り出すんだ!
←ミュージアムショップで売ってた『草原の支配者』という本の裏表紙に笑い猫発見!
30.
アルジャン・クルガン。
復元した服装をした人形あり。こういうのを来てコスプレしたいような気もする。冬のコミケとか暖かそうだぞ。
鏃はスキタイの所にあった断面が正三角形になるのと酷似している。動物をかたどった金製品もスキタイ風。
岩画と鹿石。鹿石はこの前の部屋にあった金などの製品とよく似た格好をした鹿が描かれた平石と、○や線が書かれて人をかたどったと言われる円柱状のものと2タイプある。モンゴルでも両方見た事あるが、同時に出るものなのか?
31.
ハカスの弓を射る人の岩画。この辺はゴビあたりのにも似たのがあった気がする。
ミヌシンスクのデスマスクは、中に本人の頭蓋骨入りなのが展示されている。あの色彩とか容貌は生前の本人を再現してるものなのだろうか。
鹿やヤギのキャップみたいなのは、旗指物の上に付けるものなんだろうな。オオカミのはないな……(笑)。
岩画は怪獣ぽい。プレートなんかの動物は実際の動物を忠実に描いたものが多いのに、こういうのがあるのは不思議。何らかの信仰があったんだろうか。
32.
突厥。石人君がお出迎え。二つともどこかで見たことがある(『アルタイ・シベリア歴史民族資料集成』か?)ヤツだけれども、モノクロだったからこんなしましまの色彩だとはわからなかったなぁ。すてき。
石人君のしているイヤリングと全く同じ形のイヤリングもある。前輪や後輪っていうのかな、鞍の前や後ろに付いている板状のものに描かれている虎や騎乗の人、犬、ウサギ……鳥獣戯画みたいだ。
白樺の樹皮でできた箙の説明に、11世紀~13世紀アルタイやモンゴル時代までは鏃を上にして入れるのが普通だったって書いてあるな。フゥジャコフの本の説明と同じっぽい
鏃も随分大型になってて、スキタイのとは趣が随分異なる。ラメラーアーマーの鉄の薄板やチェーンメイル、鐙の類の鉄製品が多くなってるのはさすが突厥。ベルトの飾りはおなじみのもの。こういうのでコスプレ(以下略)
……この辺で精根尽き果て、カフェで何か喰う! とか言って2階に回ったのに、途中でペンジケントの論文ぽい本を売っているのを見つけて思わず買う。しかも、このルートでカフェに行ったらミュージアムショップを発見。そこでよさげな本があったので、昼食もそこそこに買いに走る。
アホや、このタイミングで買うとは! 超重! これ持って見て回る羽目になるんだぞ、計画性なし!
1.『ペンジケントの寺院とソグドの宗教問題(5~8世紀)』
2.『アララト山麓近傍(展覧会カタログ)』
3.『古代ルーシ』
4.『騎士の間』
5.『エルミタージュの収集品の中の北カフカス・古代スキタイ』
6.『草原の支配者』
7.『エルミタージュのイラン コレクションの形成』はスキャナにかからず(汗)
69.
黄金のオルド(ジュチ・ウルス)。
中国、イラン、ホラーサーン、マムルーク朝からの輸入品の数々。陶器や金銀の器。ブロンズの像が火によるダメージを受けてるってこれまた生々しい。まぁ、ティムールによる攻撃でとは限らんが……。
鐘や十字架が多いのはキリスト教だったからかな。白樺の樹皮に書かれた詩がウィグル文字だったりすると、この辺のアラビア文字って単なる模様に見えてくる……。
一応、ベルケ以降の銀貨はアラビア文字ではあるが、当時の人はどういう風に見てたもんかな。しかも、この部屋に展示されている岩に刻まれた銘文は、ティムールのトクタミシュに対する勝利について書かれていて、それがウィグル文字なんだな。ウラーンゴムの碑文を思わせる字の姿をみると何やら不思議な感じになる。アラビア文字も併記されてはいるが……。
パンフレットにある金の杯、それと似たような形をした銀の杯はここにある。この杯、黄金のオルドを象徴するようなものなんだ? 私らだとパイザの方がモンゴルって感じがするけど、ジュチ・ウルスだとこっちの方がピンと来るって事なのかな?
金器銀器がこんなにたくさん。初期ジュチ家の銀製品って誰が使っていたんでしょうね(キラーン)。妄想すると楽しい。パイザも「スキタイの黄金文化」と同じくくりで飾られているのはそれでいいのか? 一応、機械の説明にはパイザはこれこれのものという解説はされているが……。ともかく本物のパイザを見たー!って興奮。
あと、この辺りにはつきもののベルト飾り一式の中に、バト家のタムガの入った小さな金の金具があり、ルーペで拡大して見られるようになっていた。うわー、これは萌える。ジュチ家じゃなく、バト家ですぞ? 格好ええなぁ! この一事でお話しが一つできてしまいそうな勢いだ。誰か……誰か早く書くんだ!←他力本願
68.
黄金のオルド(ジュチ・ウルス)。
こんなに完全な形の壺とか皿とかが大量に出てるとは……。修復はされているんだろうが、修復可能な程度の壊れ具合だったらいいじゃん。
フョードロフ=ダヴィドフの本ではぱっとしなかったが色も鮮やかだし、いろんな系統のがある。いろんな所から輸入してるのかな? ツァレフ、グリスターン、ソルハトが多いな。セリトレンノエも少しだがある。あとはマジャールとか。マムルーク朝からのインポート品のガラス器も特徴的。猫頭カワイイ。有翼人面牛のブロンズ像は中国の鎮墓獣にこんなのあったなって形。小さいけど。
絹製品は中国から。セリトレンノエからは中国の手鏡もでてるんだ。当時の国際関係からいったら、旧サライ(セリトレンノエ)の方が中国製品がでやすいんだったっけ?
61.
アルメニア語の墓誌銘があるからアルメニアかと油断したら、こっちもジュチ・ウルスなんだよな。ツァレフものもあるがソルハトのが多い。
アルメニアってイルハン国の家来じゃなかったっけ……? それとも、キリキアはイルハン国だけど、大アルメニアはジュチ家のものとか……あの辺の権利関係って複雑そうだよな。クリムだったり……。時代や場所を細かく見てよくよく勉強しないと、よくわからなそうだ。
とにかく、アルメニア文字で書かれててジュチ・ウルスってのは新鮮。
38.
カライ・カフカハ(8~9世紀タジク)出土品、壁画。
青い壁画の部屋。絵柄の印象がウィグルに似てる。そんでまた、双子を育てるオオカミのモチーフってのが謎。
39.
アジナ・テペ(同上)の壁画。供物を捧げる人など。
40.
ペンジケントの壁画。これは有名。
41.
ムグ山。これも有名。
この辺りの線で輪郭書いて中を色塗るって漫画みたいだな。竹の矢筈や生活用品なども。
47.
鳥を手にして石人君が三つ編みっぽい髪を後ろに垂らしている。丸っこい石人君は肉眼ではどんなお顔がちょっとわかりにくい。チュー川、タラス方面から出たもので、ルーン文字が刻まれている石も展示されている。マロフの訳付き。ペンジケントの壁画もあってちょっと雑多な感じがするが、ソグディアナとテュルク世界のつなぎ的な部屋か。
48.
ピャンケントの壁画、出土品。
ソグドの貨幣が見所。ソグドのディフカーンの紋章の入ったやつ。壁画もウリやブドウを食べてるのとか、チェーンメールの人物が平服の人を襲ってるのとか、狩りとかいろいろ。ヤギなどの有角動物の絵柄の入った銀器もある。
49.
ペンジケントの壁画。本当に壁いっぱいの壁画で、いろんな模様の猫(←間違い!虎や豹)がゾウに乗った人と戦ってる。ラインで区切られた下の絵は宴会。炭化した家屋の装飾は、灰で縄をなえっていう昔話を思い出させるくらい見事に残ってる。
50.
ペンジケントの壁画。リボンをなびかせてる人。素焼きの壺や水差し。
51.
前の部屋はこれの予告だったのか……素焼きの土器の類なんだが、オスアリ(ゾロアスター教の納骨器)が展示されてる。骨入り。ソロアスター教では火葬はしないから、骨に肉片とか残ってるはず(キャー)。でも不思議なのは一緒に展示されてるペンジケントの壁画は仏教臭いんだよな……ソグドの宗教ってどうなってるの?
52.
タラス渓谷のケンコリスキー墓地。
トプラクカレ(土の城の意)から出土したホレズムの銀貨や、オスアリなど。
53.
バクトリア。テラコッタやコイン。
54.
アルマトィ近郊から発見された犠牲をのせるお盆。四角くて、縁にはブルドックを思わせる動物が並んでいる。あの雲南の銅鼓を思わせる燭台もここにあった。牛なんかのブロンズも似てる……ような気がする。この地方へのヘレニズムの影響だとの説明あり。
55.
北カフカス。前2千年紀終わり~前千年紀はじめ。
56.
ウラルトゥ(ガルミール・ブルル)。ピオトロフスキーの業績など。
ウラルトゥ・タイプと説明されている鏃は、平たくてハート型を引き延ばしたような形をしている。皿の底に点々で丸く書かれている点字みたいなの、模様かと思ったら楔形文字でやんの。これはびっくり。
57.は織物関係で、服や生活用品を展示している。服を着て埋葬されたミイラがそのままの形で展示ってのもある。
58.59.60.
クバチ(ダゲスタン)の文化。建物の装飾品。読書台など。
62.
グルジア。数々のローマ製品。銀製品が多い。剣やイコンはいかにも古いキリスト教国らしいな。石羊はどこでも同じような形をしているのだな。
63.
突如としてアルメニア正教会が出現したような部屋。ハチカルもあるよ。
62.63.の裏にある部屋には番号が付いてなかったが、エチミアジンのきれいな聖書が展示されている。
今日はサンクト・ペテルブルグに来た目的の大半を果たしてほっとしたし、重い本を担いでホテルに戻って肩が痛かったので、ホテルのカフェ/バー「バルチカ」でビールを飲む。生ビールうまうま。一番小さいの頼んだけど500mlだったわ。
←晩飯はこれ。どうだ美味そうだろう。黒パンでできた壺に入ったグリャーシ、美味かったぞ~。
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4時半に起きてごそごそ。
ホテルの近くにも何かと見所が多く、端から潰して行かなければならないような気がして焦っていた。寝てる暇ないじゃないか。
7時半に朝食を食べに行く。ホテルの朝食は豪華でうまい。普段ホテルのブレックファーストやランチなんか高くて食えんもんな。それが毎日好きなだけ食べられる。うむうむ、部屋は慣れてみれば古いけどきれいだし、朝食がこれだけ充実しててあの価格ならすごいお得だったな。ネフスキー通りまで出るのに地下鉄で乗り換えあったりで時間が掛かるのがやや難だが、それも通勤みたいでおもしろいか……。腹がいっぱいになって落ち着いてきたのか、とにかくエルミタージュに行かなければと思い直す。
雪の積もった道をサクサク歩いて地下鉄レーニン広場駅へ。蜂起広場/マヤコフスカヤ駅で乗り換え。大手町並みの連結。そして降りるのもゴスチーヌィ・ドヴォール駅で、ネフスキー通り駅と連結しているんだけど、車内アナウンスをはじめて聞いたときはここで降りて良いんだっけ、と一瞬迷う。
それでまた地下鉄の出口だ。ネフスキー通りをこっちだと思った方向に歩き、途中両替をして川にたどり着いた。モイカ河だろうか? 川沿いに行けばすぐだろう、と思って曲がったのだが、全然たどり着けない(実はこれ、フォンタンカ河で、曲がった場所はアニチコフ橋だった)。
←証拠写真。アニチコフ橋
ネフスキー通り一帯は歴史があるっぽい建物だらけなので、どれがどうだかわからない。ただでさえ地下鉄の出口で方向がわからなくなっているのに、何がどうしてこうなった???
地図を見ても現在地がわからないのではお手上げ。普通だったら目標物になるような劇場のすぐ隣にいるのにですぞ? でも、この街にはそんなのいっぱいあるんだよなー。途方に暮れて戻ってみると、案内板があって助かった……と思ったけど、「いまココ」っていうのがこすれて消えてる! 何で?!
正確に道のどちら側にいるのか確信が持てないまま歩いて、何とかネフスキー通りに出る……って、ふりだしに戻るか(泣)。
出たのはネフスキー通りのエカテリーナ2世像のところで、何でこうなったかサッパリわからず。この街は迷路か。
今度こそ間違うまいと、ネフスキー通りを行くと、なにやら変わった形の建物が見えてきた。何だろ、これと思って入ってみると、カザン大聖堂(カザーンスキー・サボール)だった。
←カザン大聖堂
知らないともぐりだろってなほどに特徴的な建物。
(ロシア史はもぐりだよな<わし)
しかもネフスキー通りに面している
なんとなーく苦い思いを抱きながらも(征服された側だからね)、ミサか何かをやっていて生の聖歌が聞けたので、何か得したような気がする。実際、十字を切っている人が多数。私は絵ハガキを買い、これがあのコルチャークがお守りに持ってたカザン大聖堂のマリア様かぁ、と見物。あと、聖骸布が展示されていてびっくりした。アレってここにあったんだっけ? 鑑定書も展示してあるけど、そんなに至る所にあるんじゃあ、エルサレムで土産物に売ってた説が濃厚……とか不信心なことを考えていた。
12:18、ようやくエルミタージュにたどり着く。
ネヴァ河、ドヴァルツォーヴィ(宮廷)橋から見たエルミタージュ
オーディオガイドも借りたが、西洋絵画ばっかりで使えなかったな。
ここでまた迷いに迷う。ダンジョンか、ここは。どういう経路をたどったか全くわからないのだが、たまたまたどりついた関連箇所の部屋番号は書き留めておいたものの、疲れ切ってカフェでケーキとペットボトル入りお茶で一息入れつつ攻略法を練る。ともかく、今日はじっくり見るには時間がないし、もう気力が……。オーディオガイドで遊びながらもう少しぶらぶらして、方向感覚を養うか。
帰路、ネフスキー通りを歩いていると、ドム・クニーギ(「書店」の意、旧シンガー商会の歴史的建物に入っている)の他にも、ドム・ヴァエンナイ・クニーギ(軍事書籍店)という何とも魅力的な名前の書店があったので入ってみたが、歴史物はカラムジンの他にはグミリョフくらいしかなかった。
しかし、プラモデルの部屋があって、そこに普通にTAMIYAのプラモデルが置いてあったのには感心した。確かに「ドイツ軍野戦司令官」とか、ロシアのマニアにも必要だわな。
←ドム・クニーギ(旧シンガー商会)
本屋だし、カフェもある
地下鉄の駅の近くにあるので良い目標になった(が、ここの入り口は、夕方一定時間16:00~19:00くらいかな?閉まるんだよな~)
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