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2011年4月21日 (木)

ラシード=アッディーン『集史』「グユク=ハン紀」第一部

第一部

(グユク=ハンについての叙述。)その血統についての記述、その妃と子供たち、今日まで分枝が続いている孫たちの詳細な一覧。系図は彼の父の紀で作成されている

 グユク=ハンは、ウゲデイ=カァンの長子であり、彼の大后トラキナ=ハトゥンから生まれた。彼にはたくさんの妃と側室がいたが、全ての中で最も位の高い者は、オグル=カイミシだった(注1)
 グユク=ハンは、三人の息子を有し(注2)、最も年長の者の名はホヂャ=オグル、二番目はナクである。彼らは双方ともオグル=カイミシからである。ナグにはチャパトという名の息子がいた。ボラクが河(アム=ダリヤ)を渡ってアバガ=ハンとの戦争を始めたとき、カイドゥはボラクと一緒に、彼の助けとなるようこのチャパトを彼個人の所有である千騎とともに派遣した。ボラクに腹を立て彼は引き返したが、彼がブハラに着いたときボラクの息子ベク=ティムルが彼を捕まえようと企てた。(チャパトは)九騎と逃げ、草原を通ってカイドゥのもとへ去った。恐怖から彼は病気になって逝去した。二番目の息子の名前はフクであって、彼は側室から生まれ、トクマという名の息子を有しており、このトクマには息子がいて、その名もトクマである。今日、彼はハイドゥの息子のチャパルと権力を争っていて命令をきいていない。ホヂャ=オグルの息子たちについては説明されていないが、彼らの系図はウゲデイ=カァンに関する叙述中に作成されている。以上である!

 

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原註:
(注1)元史巻壱百六表第一:斡兀立海迷失(*Ogul Khaymish)。

(注2)元史巻壱百七表第二:1.忽察(*Khucha)。彼の息子たち:1)亦兒監;2)完者也不干(*Uldzhey Ebugen);2.腦忽(*Nakhu);3.禾忽(*Khokhu)は一人の息子を有した:禿魯(*Tukluk)。

翻訳メモ:
・ナク~ナグと不統一だが原文のまま。

・「ウゲデイ=カァン紀」本文中にあるグユク=ハンの息子、孫の説明を表にすると次の通り。

Genealogy3

・「グユク=カン紀」第一部は、だいたい「ウゲデイ=カァン紀」第一部のグユク部分と同じ。ただ、「トクマという名の息子を有しており、このトクマには息子がいて、その名もトクマである。今日、彼はハイドゥの息子のチャパルと権力を争っていて命令をきいていない。」という部分はウゲデイ=カァン紀にはない。なんだか不自然な感じがする箇所。

『五族譜』でもトクマ(トクメ)はホヂャ=オグルの息子となっているらしいが、日本語訳がないので未確認。

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