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2011年4月27日 (水)

ラシード=アッディーン『集史』「グユク=ハン紀」第二部(6/7)

グユク=ハンの御代の終わりに関する物語、彼の気前の良いこと、浪費と施し。彼のイミルに向けての出撃と(彼の)サマルカンド国境における死去について。

 グユク=ハンのアターベクの任にあったのは、子供のころからキリスト教徒だったカダクであったため、その事は(グユク=ハンの)性格に痕跡を残した。その後、チンカイも実はその一味とわかった。このため、(グユク=ハンは)常に[キリスト教の]司祭と信徒の教義を認めていた(注21)。その噂が広まり、シャム、ルーム、オス、ルースの国々から、彼の都へキリスト教の聖職者たちが集まった。カダクとチンカイが常に同席していたおかげで、イスラムの教えを否定することは容易だったし、キリスト教徒の活動はグユク=ハンの治世に頂点を極め、彼らに反対の声を上げる力のあるムスリムは一人もいなかった。グユク=ハンは、彼の物惜しみしないという評判がその父の物惜しみしないという評判を上回る事を欲したので、この事を過度に行った。カァンの時代に採られたように、周辺の国々から来た商人の商品(注22)に価格を付け、彼が(それを)支払うよう命令した。あるとき(価格が)70,000バリシュを上回ってしまい、その結果、地方のベラトを書(かざるを得なくなった)。様々な国の商品(注23)は山と積み上げられ、その結果、それらを輸送することが若干困難になっていた。高官たちは陛下にこの状況を報告した。彼は、それを保管することは難しく、(それから)いかなる利益も得られない、部隊と(全)出席者に分け与えよ、と言った。何日も何日も全員に分配されたものの、依然としてたくさん残っていたので、彼は(それを)破壊し尽くすよう命令した。

 その年、彼はその地で冬を過ごし、新年が訪れると彼は言った。
「天気は暖かい季節に向かっている、イミルの空気は私の心身に合い、その土地の水は私の病気に効く」。
彼はその地から出発し、威風堂々と西方の諸都市に向かって進んだ。彼が到着したのがどんな村であっても、また道中に出会ったのがどんな人であっても、赤貧の辛酸から解放されるだけのバリシュと服を与えるよう、彼は命令した。ソルククタニ=ベギは、たいへん賢く洞察力があったので、その(出発の)性急さには裏の考えがあるかもしれないと理解した。彼女はひそかに特使をバトゥに(次のように伝えるように)派遣した。
「備えよ、グユク=ハンが大人数の軍隊とともにそちらの国境に向かっているから」。
バトゥは(準備して)国境を守り、彼との戦闘のために軍備を整えた。グユク=ハンがビシバリクまで1週間行程のサマルカンド国境に達した時、(彼を)定められた死の時が襲い、彼にその場所より先に一歩踏み出す時間も与えず、彼は逝去した。彼の統治の期間はおよそ1年であった。イスラムの帝王の御命と国家が長からんことを。

 

                        ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

 

原註:

(注21)「承知していた」。

(注22)「織物」。

(注23)「産物」。

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