映画「暗殺・リトビネンコ事件」
2007年ロシア
監督:アンドレイ・ネクラーソフ
いまさらロシア政府の高官がFSB(連邦保安庁)を私物化して私腹を肥やしていたといっても、誰も驚かない。そんなことは皆知っている。西側の情報機関や政府もことさらに取り上げて「暴露」するようなことはない。「社会主義国は理想国家」ではないことを宣伝する必要はもうないのだ。
かつてソ連のあった時代には、ソ連社会の闇、とりわけ政府高官の汚職を暴く事は自国の主要な敵と戦う道具として有効だったのだろうが、今、ロシアに犯罪があふれていることは、ロシア自身も隠さない。リトビネンコがチェチェン紛争に絡む政府高官の汚職を暴露したところで、「いつものことじゃん」と皆思う。だから、アメリカにしてもイギリスにリトビネンコを報復の手から匿おうとはしなかった。何ら機密情報を持っていない彼は、自国にとって何のメリットもないからだ。自由と民主主義を守るためと口癖のように言う国にとっても、そんなものは自国の利益を守るための道具にしか過ぎない。
とうのロシア国民でさえ無関心であることに、チェチェン問題で彼と一緒に汚職や不正を暴こうと戦ったネクラーソフ監督は非常な不安を覚える。ロシアは自由な国になったけれども、自由には自制・自律も必要だ。国民一人一人が関心を持ってチェックしていかなければ、利権は一部の人たちの間でやりとりされ、結局は社会全体が損をすることになるのだろうが、そういう不公正に対して上げられた抗議の声は、旨い汁を吸っている人たちの手によってもみ消されてしまう。
リトビネンコの真意がどこにあったのかは本当のところはわからないのだけれど、元々本人には政府に楯突くとかそんな大それた気持ちはなくて、悪いことを悪いと素朴に口に出していっただけのような感じがした。それが最も触れてはならない政権の闇だとはっきり認識していないままに…。
と、まぁ、これは私の勝手な感想。同じ映像を見ても感じ方は違うだろうから、自分の目で確かめるという意味でも、リトビネンコ本人のインタビュー等々、自分の目で見る事をお勧めする。これも所詮は一方の面でしかないのだろうけれども、本人の弁明を聞く事も悪くはないだろう? ニュースでは見えないところが少しは見えてくるかもしれない。
そういうことを自由に言えなくなるのではないか、という点をネクラーソフ監督は危惧しているようだ。リトビネンコばかりでない、自分の良心を曲げることなく倒れた人たちに寄せる共感が優しく感じられる鎮魂歌のようなドキュメンタリーである。
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