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2012年5月31日 (木)

ドラマ「アフガン・ハンター」

アフガン・ハンター

2010年ロシア
監督:セルゲイ・チェカロフ
キャスト:
オコバルコフ…アレクセイ・セレブリャコフ
マヌイロフ…フセヴォロド・ホヴァンスキー=ポメランツェフ
将軍…ボリス・ガルキン
ノヴィコフ…イーゴリ・ミルクルバノフ

 ソ連時代、アルメニア人とグルジア人の仲の悪さはよく小話のネタになったもんだった。
 このドラマの中でコンビを組んでるアルメニア人とグルジア人が年がら年中「グルジア料理の方がうまい」だの「おまえの国には海がない」だの張り合ってるのを見て笑ってしまった。アゼルバイジャンとアルメニアが本当に殺し合ったナゴルノカラバフ紛争以後はそういうことはあまり言われなくなったように思うが、あれは所詮「千葉と埼玉ははりあってる」程度の戯れ言だったんだな。そんなソ連時代の雰囲気を味付けにしつつ、やはりかなり現代的解釈の「アフガン」だと思った。
 とはいえ、ロシアものはやっぱりロシアものなんだよなぁ。

 全4回のテレビ・シリーズ。原題は「キャラバン・ハンター」。
 1987年のアフガニスタン。パキスタンのアメリカ人顧問の下で軍事訓練を受けているアフガンゲリラたちがスティンガーを入手した。既にスティンガーがアフガニスタンに持ち込まれているらしいとソ連軍側も察知した。
 武器弾薬を運ぶキャラバンの襲撃に幾度となく成功して「キャラバン・ハンター」と異名をとるオコバルコフの部隊にスティンガーを入手せよとの命令が下る。

 前半二話分を見て、ロシアにとってアフガンもこんなお気楽戦争ドラマになっちまったか、とため息をつきながらDVD一枚目(前編)をトレイから取り出し、二枚目を見出したら後半がぁ……。
 犬も殺せない新兵のマヌイロフをはじめお調子者のブホフ、普段はモスクワにいて自分の保身ばかり考えているノヴィコフ等々登場人物の役割はある程度類型化しているけれども、前半90分あまりの短い時間でひとりひとりの性格・役割を記憶に定着させ感情移入させるにはあんまり奇抜な設定でも困る。その点では定番の戦争ドラマなので安心して(?)見られた。
 結末だけ取り出してみてしまうと、主人公が死ぬのがざらなロシアの戦争映画の中ではマイルドな部類だろうけど、テレビ・シリーズだよ? お茶の間にこんなの流すかって話ですよ。

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2012年5月27日 (日)

「歴史魂(LEXICON)2012」着いたよ

歴史ファンによる歴史オールジャンルアンソロジー「歴史魂(LEXICON)2012」送られてきました。

Lexicon2012

 透明感があってきれいな表紙ですよね。
 せっかくなので、ちょろちょろっと感想を書いてみました。

※時代によって濃淡があるのは自分の知識が偏っているせいなのでお許しを。  
 
 
 
 
 
 

「王ふたり」(古代エジプト)
 父の日らしい父と子の絆の話。これはちょっとぐっとくる。
 息子のいるお父さんにはもっとぐっとくるかも。最後のミニマンガも可笑しい。

「古代びぃえる説話」(古代日本)
 おお、武内宿禰。子守もできるのかこの人は。スーパー爺さんだな。
 一読して、え? これどこがBL? と思ったけど、平たく読んでみると、この状況はそれ以外に説明が付かないよなぁ。資料の読み込みが深いわ。

「女帝の世紀」(飛鳥・奈良時代)
 女帝ってこんなにいるのかぁ。今後も普通に女帝OKで差し支えないように思うけどな。
 女の皇帝ダメっていうのは、中国の伝統で日本の伝統じゃないもんな。
 特定の時期に集中しているというのは興味深い現象だな。

「『古事記』を作った人々」(奈良時代)
 編纂1300年とまったく関係なく『古事記』去年読んだので何かうれしい話題。
 近所の本屋に行ってみたら『古事記』特集コーナーができてた。そういう世間のはやり廃りに疎いから、こうして取り上げてくれるのはありがたい。

「中国から見た遣唐使」(中国・隋唐/飛鳥~平安時代)
 萌えって日本人の遺伝子に組み込まれてるんですねぇ。
イケメンの使い所、ワロタ。武則天はチベットの史料でも手ごわい(←敵ながら有能なって事でしょう?)女帝として描かれているし、雲南で則天文字が随分後の時代まで使われていたりと変なイデオロギーがなければ、普通に名君だと思いますが…。
 ちと気になったのは安禄山の本名がアレキサンダーというのは俗説だと思います。ソグド語のルクシャン(光)ととる方が自然です。安というのは養子に行った先の姓で本姓は康であろうと考えられるので、やはり姓は姓、名は名と分けるべきでしょう。敦煌文書等に姓が安、康、史といった出身地を示す漢字で、名前が夜露死苦式の変なあて字のソグド人って結構出てきます。

「解き放たれた黒烏の翼」(中国・唐/プレ五代十国)
 自分のアレなんでツッコミが入る前に自分で突っ込んでおくと、『新唐書』の記事のつじつまの合わないところを三箇所ほど勝手に直して話にしてみた。
1.吐蕃が沙陀尽忠を大論に任命したというところ。『新唐書』に「以尽忠為軍大論」とあるけど、平凡社『騎馬民族史3』p.297のように「大論はロンツェンポで、総理大臣にあたる語」と解釈するのはおかしい。あれほど位の上下にうるさい国で、沙陀の首領ごときにたとえ名目だけでも宰相に当たる肩書きをやるわけがない。じゃあ、何だということで、敦煌文書に出てくる肩書きで大論と書けそうなdgra blon chen poをあててみた。
2.沙陀を河外に遷すというところ。甘州って既に河(黄河)の外じゃん…。ということで河外→黄河の西=河西→河西と言えば河西九曲という連想でこうしてみた。
3.祁連山の東を巡ってというところは『新唐書』は「烏徳鞬山」の東となっているけど、これだとその後のルートがおかしい。そもそもウテュケン山なんて敵(ウィグル)の中の方までわざわざ入っていく意味がわからない。入唐した地点が石門→霊州なら、実際に巡っているのは祁連山だろう。2.の改変と合わせると、なんだかうまい具合に合うじゃん! 採用!
…という実にてきとうな話でした。

「古典の中の鳥たち」(平安時代)
 へぇぇ、見事にみんな鳥が入ってるもんですな。
 大和武尊の白鳥は有名ですが、シベリア辺りで生まれる前の人の魂は鳥の形をしている、というのと何か関連性がありそうで興味深いです。

「平家追善」(平安時代)
 すごい。全部現地に行って取材してるし、すかし入り頁のデザインもかっこいい。よし、真似しよう。

「職人魂3」(イタリア・ルネサンス期)
あんちょこはずるい。でもわかりやすい。人生って皮肉なもんですなぁ。

「歪んだ鏡像」(イタリア・ルネサンス期)
 出だしで脳内に555のテーマ曲が流れたのは内緒だ。
 21世紀の現在でさえ、結構子が親の後を継ぐ事が当然のようにいわれててウザって思うのに、昔のプレッシャーは相当なもんだろうと。

「如水の黙示録」(戦国時代)
 鈍☆感☆力、ワロタ。信長ってこういう人だよね。「上司にしたい戦国武将」とかで信長必ず上位になるけどマジでごめん被りたい。
 コマの外までびっちりトレビアがつまってて、ぱっと読み→じっくり読みみたいに何度も繰り返して楽しめる。

「チェンバロとちゃんばら」(-)
 本格エッセイ。「黄金の日々」は見てたと思うが良く覚えてない。私が最後にしっかり見た大河ドラマは「北条時宗」。今はそんなに長く続くテレビドラマは見れないなぁ。

「凌霜U-17」(江戸時代)
 そうですよね。そういう年齢なんですよね、彼ら…。

「遙か」(江戸時代)
 おっ、高杉さんが出てる(何故さん付け?)。そういや坂本が拳銃もってるのはこういうわけでしたね(何故呼び捨て?)。

「郵便えとせとら」(明治時代)
 切手とイメージが違う~(前島密ね)。
 ページがさりげなく切手になってるのに気付いた時、ついにやけてしまった。

「紅桃誕生物語」(朝鮮・日本統治時代)
 社長さんのツッコミがおもしろく、地の文(脚本)もすんなり読むことができた。
 自画自賛する夫のところでクスっと笑ってしまった。かわいい。
 しかし、やはり読めない名前は覚えられない(↑)。漢字で書かれる名前の読みをどうするかというのは自分も迷うところだから、こういう方針でルビが振られていないのはわかるけれど、正直な感想は「仮でもなんでもいいからふりがなお願いします」。

…とまぁ、駆け足での紹介でしたが、興味を持ったらお一つどうぞ。また、次回投稿してみるのも良いかもしれませんね。
(詳しくは歴史部サイト、または執筆者サイトへ。歴史区分の間違いなどこの感想に対する指摘事項はコメ欄にお願いします。)

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2012年5月25日 (金)

ドキュメンタリー「チェルノブイリ・ハート」

チェルノブイリ・ハート

2003年アメリカ
監督:マリアン・デレオ

 汚染地域で健常児の生まれる確率が15~20%というおそるべき数字にはぎょっとしたが、それはちゃんと統計を取った結果なのだろうか。医療現場の人間がチェルノブイリ事故以前に比べて障害児の生まれる確率が劇的に上がった、という印象から言っているように見える。そもそもソ連時代にこういった否定的な現象に関する正確な統計があるのだろうか?

 原発事故後に増えた水頭症やチェルノブイリ・ハートと呼ばれる心臓に穴の空いている障碍には治療法があるのに受けられないとか、安易に子供を産んでぽいぽい遺棄するといった問題は、いずれも原発や放射能のせいではなく、社会制度や社会のモラルの問題なのではないだろうか。

 もちろん、原発事故によってそういったひずみが顕わになったという側面はあるだろうが、水俣病だろうが薬害エイズだろうが変わらない。全部チェルノブイリの事故が悪いんだ、という話ではない。

 アメリカでは普通にできる手術が心臓の穴に当てるパッチが高すぎて買えないのでできない、というのはそれはまた別の問題であって、こういう所こそ慈善団体の出番じゃないか。

 原子力災害の問題点をえぐる、といった作品でなく、ただただ、恵まれない子供たちに愛の手を、って話になってる。もちろん、一人一人を手助けするのが一番大切なことなんだろうけど。

 むしろ、本編の「チェルノブイリ・ハート」よりも、一緒に収録されている、原発事故で強制移住させられた若者が、廃墟となったプリピャチの昔の自宅を訪ねる「ホワイト・ホース」の方が地味にきつい話だったな。

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2012年5月24日 (木)

映画「フランス特殊部隊GIGN ~エールフランス8969便ハイジャック事件~」

フランス特殊部隊GIGN ~エールフランス8969便ハイジャック事件~

2010年フランス
監督:ジュリアン・ルクレール
キャスト:
ティエリー…ヴァンサン・エルバズ
ドニ・ファビエGIGN司令官…グレゴリ・デランジェール

 「…その場合には撃墜せよ」
170名以上の人質を乗せた民間航空機に、フランス政府はよくこういう決定が下せたな、と驚嘆する。アメリカ同時多発テロ事件(2001年9月11日)後の現在ならいざ知らず、エールフランス8969便ハイジャック事件が起こったのは1994年なのだ。航空機をエッフェル塔に突っ込ませる、などという「馬鹿げた」分析は信じられないのが普通の感覚だろうと思うのだが、それはあまりにも日本人的な危機管理能力のなさの表れなのかもしれない。

 その他にも、GIGNが強襲(L'assaut、この映画の原題でもある)した場合、GIGNに10名、乗客に30名の死者が出るとの分析に現地にその数だけの棺が搬入されるシーンでは、
「こんな事日本ではできない…」
と唸ってしまった。少なくとも表だっては。客観的に見て死んでいるとしか考えられない人を捜索する時でさえ、そうはっきり言ってしまう事は忌避されるではないか。

 我々は普段、事件や事故の映像を「映画のように」興味本位で見てしまいがちだ。
 しかし、この映画ではいつしか当事者のような気持ちでこの事件を報じるニュース映像を見るようになっていた。事件の経過を丹念に淡々と描き、それでいてドキュメンタリータッチというわけでもないのだけれども。もちろんお涙頂戴などでは断じてないが、物語の最後、ティエリーの幼い娘の
「パパはどこ?」
には泣かされる。

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2012年5月16日 (水)

映画「ドミートリ・ショスタコーヴィチ ヴィオラ・ソナタ」

ドミートリ・ショスタコーヴィチ ヴィオラ・ソナタ

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1981年ソ連
監督:セミョーン・アラノーヴィチ/アレクサンドル・ソクーロフ

 

 

 ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタはショスタコーヴィチの最後の作品で、ショスタコーヴィチの遺言が織り込まれているともいわれる。
 人間、死を目の当たりにすると、それまでの人生が走馬灯のように思い出されるというが、ヴィオラ・ソナタの中にもショスタコーヴィチが過去に聞いて心に残っている曲を思い出しているかのようにベルクやベートーヴェンの断片がところどころに聞こえる。

 この映画にも似たようなところがあって、時系列のようでそうでもなくショスタコーヴィチ個人の身の上やソ連で起こった重大な出来事(例えば、レニングラード包囲戦のような)の映像が、断片的に次々と表れる。
 そして、ふと正気を取り戻した時に目に入る天井の電球のショット、ショスタコーヴィチの声で終わる構成など、「遺書」を強く思わせる。

 しかし、ショスタコーヴィチ本人がこの映画を撮ったのではない以上、ここで表現されている事が必ずしもショスタコーヴィチ自身の本心ではないと考えるのが自然だ。

 むしろ、違和感のある箇所があって素直に受け入れることをためらわせる。
 例えば、大祖国戦争(第二時世界大戦)の過酷な映像に交響曲第11番の第2楽章(「血の日曜日」)があてられているのだが、曲のクライマックスのところで映像は健康的な男女の体操にいつの間にか切り替わってしまう。何らかの意図がありそうなのだが、どう解釈したものか悩む。

 あと、交響曲第8番、第9番を批判される、という場面があるからこれをどうやって切り抜けるのか、とドキドキしながら見ていると、いきなり5番が流れるのである。
 この交響曲5番を指揮しているのはムラヴィンスキーとバーンスタイン(若い!)。
 まぁ、歴史的録音で記録映画としては意味があるんだろうけれども、かなり唐突に感じる。

 しかし、オペラ「鼻」について聴衆の質問に答えてショスタコーヴィチが、
「芸術は難しい。ゆえに理解する努力も必要なのです…」
と答える場面があるところをみると、あれ、変だななんだろうと考えさせること自体が目的だったりしてね。
 だとしたら、監督の罠にまんまとはまってるな(笑)。

参考:

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2012年5月15日 (火)

映画「パレスチナ」

パレスチナ

2011年トルコ
監督:ジュベイル・シャシュマズ
キャスト:
ポラット・アレムダル…ネジャーティ・シャシュマズ
モシェ・ベン・エリエゼル…エルダル・ベシクチオウル
シモン・レヴィ…ヌル・アイサン

 「トルコ人にはかまうな、彼らが汝らに何もせぬうちは」
というアラブの格言をイスラエル人は知らなかったのだろう。

 2010年5月31日、ガザ地区への支援物資を積んだ支援船団がイスラエル特殊部隊に襲撃され9人が死亡するという事件があった。死亡した人たちはほぼトルコ人で船もトルコ船籍であったが、明らかにこの事件と思われるボランティア船襲撃シーンが映画の冒頭にきていて、主人公であるポラットたちの目的がこの襲撃を指揮したモシェの殺害である事については他に全く説明がない。

 ゆえに、全編銃撃戦に次ぐ銃撃戦。しかも終盤30分は逆視点の「ブラックホーク・ダウン」か、というような迫力。
 民兵が戦車に石を投げているシーンはインティファーダを思わせるが、これも他に武器がないからというよりは戦術の一つらしい。最終的に戦車は火炎瓶で撃破されるのがなかなか感慨深い。
 更にヘリコプターを撃ち落とすところで思わず、
「うわー、これ本当に撃ち落としてるよ! 危ねー、どこでこんなの撮影したんだ!」。

 …いや、撮影したのはトルコのどこかで、野暮を承知で言えばワイヤーで吊っての撮影なんだろうが、それでも、ヘリコプターがバラバラになって墜ちてくる実写(CGでない)って恐怖だぞ。特にメインローターなんか回転しながらこっちに向かってくるんだから!

 原題「Kurtlar Vadisi Filistin(パレスチナ ―狼の谷―)」でわかるように、アメリカで鑑賞禁止になったという「IRAQ ―狼の谷―」と同じ元トルコの特殊部隊隊員ポラットら3人のチームが活躍するシリーズもの。トルコの観客には先刻ご承知のことなので主人公たちの素性については語られない(長髪のアブデュレーは確かクルド人だ)。そのため、アクションを楽しみたい、余計なストーリィはいらない、という人には嬉しいスピーディな展開になっている。

 一応、ユダヤ系アメリカ人女性レヴィに、
「(モーセの十戒の)『殺すな』はどうなったの!?」
とモシェと論争させたり、地元のシャイフに、
「イスラム教は平和な宗教だ…」
とアリバイ的に語らせたりはしているものの、現実世界では周囲の皆が手を焼く駄々っ子イスラエルをぶっ飛ばしてスカッとしよう、という娯楽映画なので堅苦しい事は抜きにしてアクションを楽しむのが正解!

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