横浜ユーラシア館企画展「モンゴル~シベリアを歩く」見てきた
横浜ユーラシア文化館の企画展が「モンゴル~シベリアを歩く」と聞き、行ってきました。
路線を調べて行ったにもかかわらず、関内駅に着いた時に9時過ぎていたのでこりゃあ出遅れた、と思ったけれども、一番乗りだったようですv。
大規模な展覧会ではないけれどもたいへん興味深く、常設展示(契丹展と連動してるのか遼(契丹)ものがお出迎え)やミュージアムショップをうろうろしつつ12時頃までじっくり見ました。
オロンスム関連はやっぱり「王傅徳風堂碑」拓本の本物が見れたのがよかった。「謹みて家伝を案ずるに、系沙陀雁門節度の後に出ず」ってこの碑だったっけ?とか思い(←違います「駙馬高唐忠献王碑」でした)つらつらながめてました。
シベリアでよく見かける体を丸めた猫科の動物の飾金具、顔が正面を向いているのは中国北方からモンゴル高原に特徴的なんだって。じゃあ、ノイン=ウラ(ノヨン=オール)出土の印象的なヤクが顔を正面に向けた飾板も同じ文化圏だからなのかナーとか、猫科って言うけどこれユキヒョウだよな、マヌル猫ではこんなに体が曲がるハズがない(←不当な評価)、とか妄想してました。
参考:マヌル猫(パラスキャット)とは?"Call of the Taiga"マヌル猫特集(YouTubeより)
あとオラーン=オーシグ遺跡からの馬の骨の出土状況の写真パネルに背骨っぽいものがみえて、ちょうどラシードの『モンゴル史(集史)』でオグズ24部族のうちの幾つかに脊椎の部分の肉が割り当てられている状況(なんのこっちゃ、と思ったら『モンゴル史』部族篇第一章をお一ついかが?←さりげなく宣伝)の説明として、ラドロフ『試論・テュルク語方言辞典』から「古代のテュルクにとってこの部位は名誉な食物と見なされていて、これでハンや高官、貴人をもてなした。シベリアの全てのクルガンで、動物の脊椎骨が死者の食物のように墓穴に置いてあった。ここからこの動物の部位は全てのテュルク系諸部族で名誉な食物と見なされていたと考えられる」と引用されていることの具体例がこれか、とあまりのタイムリーぶり(約一人にとってですが)に興奮しました。
まぁ、あんまり書いてネタバレになってもしょうがないので軽くさわり程度で。あれもこれもこんな感じで非常におもしろかったです。
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