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2012年8月22日 (水)

荒久古墳と「シカとカモシカ」展

 近所の古墳、荒久古墳(方墳)を見に行きました。

Araku1_2

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遠くから見てもピンと来る風格です。位置が良いということと、千葉市でも一二を争う古さの大銀杏が生えているからかな?

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 周溝も見えて良い感じです。

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 しかし、明治時代の事とはいえ、調査発掘したものが散逸ってどういうこと?とツッコミ入れずにはいられない。

Shika002

 そのあと、ついでに千葉県立中央博物館で「シカとカモシカ -日本の野生を生きる-」(付「星野道夫 野生へのまなざし」展)を見ました。

 

 

 

 

 いきなり剥製とはいえサイガの実物がお出迎え(三重県立博物館蔵)。

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 そして、頭骨と歯の比較のために展示してあるタイリクオオカミの頭骨はモンゴル産…そうか、私のための企画展示だったのか!

 散々角杯とかやっておきながら、カモシカや牛の角がサックのようになっていて、骨の上に被さっているとは知らなかった!

 千葉県でキョン大繁殖と聞きびっくり。キョンといえば「八丈島のキョン!(山上たつひこ『がきデカ』のギャグ)」がいやでも思い浮かぶが、解説に「40~50代の人には懐かしい?」と書かれていてちょっとへこむ。

 そして「野生へのまなざし」。愛用の防寒着や直筆原稿なども興味深かいものでした。星野氏の直筆原稿はすごく丁寧で、特徴的な字だけれども、星野フォントとでも呼びたくなるほど整然ときっちり書かれていました。

 見るだけでなく毛皮等も触れてなかなか楽しかったです。

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2012年8月10日 (金)

契丹展と『モンゴル史』部族篇@12日(日)西ま24a

Mongol01 ラシード=アッディーン『モンゴル史』部族篇第1章、届きましたぞ~。

…って本番はもう明後日!? うっわーーーギリギリじゃん! やってた時はできあがりの日を聞いても全然ピンと来てませんでした。わたたたた!







Mongol02ちなみに裏表紙はこんなです。
戦士が弓矢で敵を倒していく横スクロールのゲームです(ウソ)。

 

 それはそうと。『モンゴル史』の中でも部族篇は、特にモンゴル周辺の諸部族の故事来歴を説き起こす部分です。テムジンがチンギス=ハンになる以前のモンゴル高原の部族のあれやこれやが書かれているので、契丹とも重なる時代が大なり小なりあるわけです。

 ちょうどやっている所と同時代というわけで、先日の契丹展も何か良いネタでもないかと鵜の目鷹の目で見に行ったわけでして、契丹をよく知らないながらもほへー、と感心することがたくさんありました。
 ただ、契丹が西ウィグルと境を接している地図を見てすごい違和感を持ったんですけど、あれはどんなもんなんでしょう?

 自分的には、ウィグルの故地にはトクズ=タタル(九族達靼=阻卜)という強力な部族がいたという意識があるので意外な感じがしたんですよね。
(タタルは部族篇第2章に出てきます。その他にも、李克用が困った時に助けてくれた縁からか、後唐と妙に仲良かったりしたので印象が強いってのもありますが。この辺のことは、今回、群雄堂書店から五代十国小説を出すマルコさんに(勝手に)振るとして。ォィォィ)

 後にモンゴルが西方諸国から誤って「タルタル(タタル)」と呼ばれたり、21世紀の今日でさえタタルの名を冠する民族がいたりするくらいその勇名はユーラシアに響き渡っていたわけです。契丹の威名が世界に轟き、ついには「キタイ」や「キャセイ」が中国を表す言葉になったと言いますが、「タタル」だってそれに匹敵するくらい有名で畏怖されていたのです。

 確かに契丹は阻卜(タタル)と戦って負かしています。でも、トクズ=タタルを構成していたらしいケレイドの権威がモンゴル時代まで続いているのを見ると、せいぜい羈縻支配であってトクズ=タタルの支配層を殲滅してその民を契丹の国家体制の下に組み込んだようには見えません。

 更に、契丹は鎮州建安軍を置いてモンゴル高原を支配したとは言いますが、鎮州建安軍すなわち鎮州可敦城(チン=トルゴイ)は、遊牧民の伝統的本営の地でありトクズ=タタルの本営でもあったオテュケンの地より100キロメートルほど北東にあって本拠地を押さえてはいないのです。まぁ、確かに軛をはめられている感じはします。しかし、心の臓に杭を打ち込んではいない感じ。

 …というか、そもそも五京の配置からして首都・上京の背後ががら空き、南+西夏に向かって身構えていて、上の方は眼中にない感じがするんですがねぇ。

 てなわけで、契丹展のあの地図は随分「盛っている」ように思えたんですが、どんなもんなんでしょう??? 教えて! えろい人!

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2012年8月 4日 (土)

契丹展見てきたよ

Kidan001 「契丹 草原の王朝 美しき3人のプリンセス」展行ってきました。

 入るなりゲンコツのような琥珀の塊をどかんと使った首飾り。それこそグーで殴られたような衝撃を受けました。

 なんと男らしい。被葬者女性だけど(そもそも展示会のサブタイトルが「美しき3人のプリンセス」だもんね)。 のっけから
「文弱!文弱ゥ!」(ディオ風に)
というイメージをぶち壊されたようなインパクト。

…自分はキタイが「文弱」っていうイメージを持ってるからこう感じたけど、一般的な契丹のイメージは違うのかもしれません。 ご挨拶に「一般に思われているように野蛮ではありません」みたいなこと書いてあって「ヘッ?!」と思ったもん。 たぶん、モンゴルで文民然としていたキタイ連中…て言うか、主に耶律楚材のイメージでしょうね、これは。中国史知らないから契丹が野蛮なんて常識なかったわ(笑)。

 それにしても琥珀って珍しいな、中国ってヒスイとか玉とかの塊はよく見るし、草原世界では今も昔も真っ赤な石(ルビーとかカーネリアンとか)大好きだけど、キタイはどっちでもないんだな~、という感じが言葉でなく感覚として示されています。解説によれば、中国では琥珀を好んで使わないとのこと。

 展示物を一つ一つ見て行くと、草原世界で見慣れたモノ・共通性がありそうに見えるものもあり、唐…というより北魏?っぽく見えるものありで、他に類を見ない独特の雰囲気になってますね。自分はこの辺の歴史をよく知らないけれども、これで契丹の歴史を知っててここに出てくる人たちの具体的な事績を知ってると更におもしろいんだろうなぁ、と羨ましく思いました。

おまけ:

Kidan003ミュージアムショップで売ってた拓本(ディジタル拓本じゃないよ)が「ゴビの岩画」に激似だったのでつい買ってしまいました。賀蘭山のどこかって話だから、ゴビに連なる地域ではあるけど、同じ人か刻んだんじゃないかってくらい似てるよな-。

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