横浜ユーラシア文化館「マルコ・ポーロが見たユーラシア」展見てきた
横浜ユーラシア文化館で開催されている開館10周年記念特別展「マルコ・ポーロが見たユーラシア-『東方見聞録』の世界-」を見てきました。
←あ、チラシもらってくるの忘れてるー。詳細は上記サイトで。
文字で読んでるとほとんど出てこないモンゴルの各ハーン家のタムガがなんかさも当たり前のようなさりげなさで展示されていて驚きました。こういうのコイン界(ナニソレ?)では常識だったりするんですかね? その辺、未知の世界広すぎ!って感じです。
チャガタイ家のタムガがチベット文字のチャをひっくり返したカタチだってのは知ってましたが(ゆえに、私の中ではチャガタイはチャー様と呼ばれている)、貨幣鋳造してるところではどこも貨幣にタムガも入れてるんですね。
我らがガーザーンや映画「オルド」でおなじみのジャーニーべクが発行した銀貨なんかが見られたのは自分の知り合いに思いがけず出会ったみたいでうれしかったです。で、イスラムの帝王ガーザーンでも、アラビア文字だけでなく、ウィグル文字も使っているんですねぇ。ジョチ・ウルスでも最後まで、ティムールにサライを焼かれた後もウィグル文字使われているし、結局、現在まで生き残ったのがパクパ文字でなくウィグル系文字なのを見ても、ウィグル文字が深く浸透していたのだろうと想像できます。
マルコはペルシャ語で意思疎通していたらしいとはいうものの、ジョチ、チャガタイ、フレグ各ウルスの話し言葉がモンゴル語でなくどう見てもテュルク語になってしまっている事からも、テュルク=ウィグル好きとしてはなんかうれしいです。
ちょうど『ソグドからウイグルへ -シルクロード東部の民族と文化の交流-』を読んでいるところだったので非常にタイムリー。この本、言外にソグドからウイグルへ、そしてウイグルからモンゴルへという意味を持たせてますからね。そういえば、ソグディアナの貨幣にもディフカーンの紋章入れてるのありましたっけ。
※裏にタムガって説明文に書いてあるけど、裏見えないよなぁ、なんて展示場で言ってたけど、カタログには出てました。
一方、ウィグルのイディクトはといえば、銅貨に「ブクク・ウィグル・カガン」と刻ませているんですね。
木の瘤(ブクク)から生まれたって伝承は、複数の史書に書かれているだけあって当時広く流布していたんだろう、とは思っていたけれども、これ見ると、ウィグル・イディクト家の公式見解でもあったのかなぁと思います。エディズ系カガンってのはたぶん、間違いないのでしょうけれど、はっきりした証拠はどこかにないものでしょうか。
もう一つ驚いた、と言うかすごいと思ったのは、中国ではもう散逸してしまっている本が日本(宮内省など)からゴソゴソ出てくるという事です。
これ見ると、オリジナル大好き何でもとっておくっていうのは日本人の習性なので、我が家の断捨離ができないのはしょうがないですね。たぶん昔の人も、読み用・観賞用・保存用とか、三冊ぐらいずつ買ってきたに違いありません(想像)。
モンゴル関連のものってあっちの博物館へ一つ、こっちの美術館に二つ…といった具合に収蔵されていて、しらみつぶしにすれば、結構あるんですね。だからといって、いつも展示されているとは限らないのだし、九州ともなれば交通費もたいへん。こういう企画展でまとめて鑑賞できると、ボリュームも出て満足度高くなりますね。
この後、途中で落ち合った大鴉さんと連続講座「マルコ=ポーロの人物と『東方見聞録』」を聴講。やや駆け足の感は否めないものの、展示の理解を深めるものでした。
自分の中では「マルコ=ポーロはいなかった」説はトンデモ(もしくは炎上マーケティング)認定してますので、いや、そんなに力強く否定しなくても…と半分笑い話として楽しんでましたが、信じてる人がたくさんいるんですね(汗)。
「マルコの報告書が残っているはず」と質問している方がいましたが、私もちょうどそう思ってました。国のお金で何かして、報告書も証憑もなしに済むはずはないんです。でも、マルコは何語で報告書を書いたんでしょうかねぇ? 裏(マルコ直筆)ペルシャ語、表(翻訳)漢語で公印とかなのかな?
その後大鴉さんと、マンジャニークの弾やらてつはうの展示を冷やかしていたら、閉館時間に…いつの間にそんなに時間経ってたのかっー。
そんな感じで、横浜ユーラシア文化館を出、雨ざぁざぁ降ってる中、土曜なのに割とすいてる中華街をぶらついて、中華風ファストフードといった店で何かボーズ(ポーズ)っぽいものを食べて雑談して帰りましたとさ。
↑結構降ってる…マリンスタジアムの辺りではカエルがぴょこぴょこ跳んでた。
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