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2013年8月17日 (土)

じゃあ、イスタンブル写本って正史じゃなくね?―『モンゴル帝国史研究 正篇』読んだ1

突厥碑文との類似性

Mongole001

 志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 正篇:中央ユーラシア遊牧諸政権の国家構造 』(東京大学出版会)私も読んだー。おもしろかったよー。

 私ゃあ突厥の人でモンゴルの人じゃないのに、モンゴルものにこのお値段……と少々躊躇したが、買って良かった。
 今まで、チンギス=カンがあれほどの大帝国を築けた理由、みたいに列挙される事柄って、そんなの突厥の時代からあるよ……と思って納得しにくいもんだったが、それについて「その通り。お前は正しい!」とお墨付きをもらったようでうれしい。勘違いかも知れないが、私はそう受け取った!

 こんなことが書いてある。

「突厥碑文」類は突厥支配者層自らが、自らの言語で突厥遊牧部族軍連合国家の内実を記しているところに圧倒的な史料的価値がある(p.1012)

 そうだ。その通り。
 突厥・ウィグル関係の研究でもソグド系が盛り上がっている近頃の傾向に隔靴掻痒の観を持っていた者としては我が意を得た思い。だって、ソグド人なんて突厥にとって所詮は召使いじゃないの。
 いや、わかるよ、書き文字の伝統をソグドから学んだらしい突厥の碑文類のよくわからない単語や文法を粘り強く検証していくには必要な作業だとは。研究者の皆さんは良くこんな気の遠くなるような作業を続けてるな-、といつも驚嘆しながら読んでる。
 だけど、専門家でないマニアの見地からすると「萌えー!」と燃え上がるには遠回り過ぎてなんかこう、欲求不満が溜まっていたんだな。

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 このところ、クリャシトルヌィ『ウィグル=カガン国のルーン文字碑文とユーラシア草原の歴史』とトゥグシェヴァ『モンゴルの突厥ルーン文字碑文』を立て続けに読んで、
「これだ。やっぱり突厥碑文こそが私が読みたいものだ(なんで日本にはこういうまとめ本がないんだ)!」と思っていたところだったので、『モンゴル帝国史研究 正篇』の力強い言葉に我が意を得た思い。

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『モンゴル帝国史研究 正篇』では、『モンゴル史』はガザンがフレグ=ウルスの危機的状況に際して家臣たちを説諭するものだっていうけれど、それってビルゲ=ガカンがキョル=テギン碑文やビルゲ=カガン碑文で一人称で語るのとよく似てる。それは、遊牧社会の伝統を受け継いだものだという。
 でも、そこでちょっと引っかかった。キョル=テギン・ビルゲ=カガン碑文を書いた(刻んだ)人はビルゲ=カガン自身じゃない。それは碑文にもはっきり書かれている。それと同じように『モンゴル史』の「筆者」をガザン自身としてしまうのは、少々言い過ぎな気がするんだけどなぁ。

 現代にたとえるなら、アメリカの大統領のスピーチにもライターがいるだろ、って感じかな。

 それに、『モンゴル史』やそれを受けた『集史』が遊牧社会の伝統に沿ってて、イラン定住民の伝統から生まれたものではないというのなら、これらの形式が『シャーナーメ』のようなイランの伝統的な史書の形式からは外れていて、『モンゴル史』『集史』以降の史書もこれらを模範とすることはなく、『シャーナーメ』に回帰している、くらいのことはあっても良さそうなんだが、そういう事はないのかな? そこまで言えるなら、「野蛮で未開の遊牧民族を開化した定住民が教導してできた書」なんて間違った評価を覆すのも簡単だと思うんだがなー。

(続く:イスタンブル写本とテヘラン写本の違いは『モンゴル史』と『集史』の違いに起因する)

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コメント

正に“溜飲が下がる思い”ですね。ヽ(´▽`)/

投稿: 雪男 | 2013年11月18日 (月) 12時05分

突厥が偉大だって事は前から知ってましたよ。にゅふふ。

投稿: 雪豹 | 2013年11月19日 (火) 00時34分

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