映画「オフシャンキ」
2010年ロシア
監督:アレクセイ・フェドロチェンコ
キャスト:
ミロン…ユーリィ・ツリロ
アイスト…イーゴリ・セルゲーエフ
ターニャ…ユーリヤ・アウグ
アイストの父…ヴィクトル・スホルコフ
自分の一番大切なもの、心の核になっているもの……。
それを失った時はじめて、自分はそのことを実は何も知らなかったのだと思い知る。失われたものは、もう二度と取り戻すことはできない。その身もだえするほどの喪失感がメリャの文化に託して語られる。
紙パルプ工場の工場長、ミロンの妻ターニャが死んだ。
ミロンは彼女をメリャ風に葬ってやりたいと思い、二人の共通の友人であるアイストとともに二人が新婚時代を過ごしたオカ川の岸辺を目指す。
メリャとは、かつてヴォルガ河上流にいたフィン・ウグル系の民族だが、現在、その言語を話す人はもういない。民族そのものがロシア人に吸収されて消滅しつつあるが、皆の記憶に冠婚葬祭の儀式や独特のあの世観の断片が残っている。アイスト自身も道中、自分の母や姉妹を父がメリャの儀礼に則って葬ったことを思い出す。しかし、父その人はキリスト教式に葬られているのだ……。
オフシャンキとはホオジロのこと。
アイストが今までに見たこともない鳥だと言って市場でつがいのオフシャンキを買ってくるところから物語が始まるが、これがとても象徴的。ミロンも初めて見る鳥だと言っているが、二人とも「オフシャンキ」という言葉はよく知っている。なぜなら、ターニャのあだ名が「オフシャンキ」だったからだ。
死んだ妻と同じ名前の鳥……という時点でいやーな予感がする。魂が鳥のカタチをしている、というのは北方ではよく聞く話。ついでながら、主人公の名「アイスト」もコウノトリだ。
どういうジャンルに分類したものか難しい映画だが、全編に漂う不安感や理不尽な結末からすると広義のホラーといってもいいかもしれない。オバケとかは出ないけど魂観(?死後の世界観とでもいうか)に関わる事だしねぇ。
仏教や国家神道のような権威ある宗教に我々が本来持っていた魂観が全否定されている日本でも、この映画の持つ独特の雰囲気に共振するところがあると思われるが、なにぶんにも地味……というより死を扱う重い話題であるうえに、ヘア全開(メリャの儀礼に関わるところなのでボカシを入れると意味不明になる可能性あり)である所から、日本での公開は難しかったのかな。
こういう、ひょっとしたら日本文化の深層心理と関わりがあるのではないか、と考えさせられる北ユーラシアものの映画はせめてDVDになって欲しいものだ。
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