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2016年1月 9日 (土)

ドキュメンタリー「僕らの戦争はまだ終わっていない」

Tell Spring Not to Come This Year

2015年UK/アフガニスタン
監督:サイード・タージ・ファールーキー/マイケル・マクエボイ

「外国の軍隊が撤退するのは良い事だ。自分の国は自分で守るべきだ」
と思うと同時に、
「国際社会に見捨てられたような気がする」
とも思う。
 相反するようにも見える気持ちが同時に湧き上がる……それが本当のところなんだろうな。
 現実に起こっている事に対して何らかの対処をしなきゃならないんだけど、どんな対処方を取ったとしても完全に成功か全くの失敗かなんて、どっちかにはっきり判定できるもんでもない。

 2014年12月にISAF(国際治安支援部隊)撤退した後のアフガニスタン国軍のある部隊に密着したドキュメンタリー。

 男が一人現れ、タリバンじゃないかもしれないから撃つな、なんて怒鳴りあっているうちに銃撃戦がはじまり、たちまち包囲されて死傷者が出だすのが何とも怖い。武器を持っていたら即座に射殺して良い、もし間違っていても罪には問われない、という決まりでもあれば事は簡単。
 しかし、国民を守るためという大義がある国軍だとそうも行かないんだろうなぁ。ケシ畑を無条件に焼き払ったりしないで村人に事情を聞いている辺りから察するに、そういう強権はないみたい。法治国家ではそれは無理、国民の反感を招いてタリバンを利するばかりって事なんだろうけど、そんな平和ボケな方針では兵士の身も心も持たないんじゃないかなぁ。

 実際、状況を本部に連絡しても誰も助けに来ないしさ。銃弾飛び交う中を撤退せざるを得なくなるんだもの。

 職がなくぶらぶらしてるくらいなら自国のために志願したそうだけれど、タリバンの下っ端の兵士だって似たようなもんなんじゃないかなぁ、と思ってしまう。

 そういう人たちは仕方なく戦っているように見えるんだが……っていうかアフガニスタンって相当長い間戦争状態なんだし、みんないい加減戦争に倦んでると思うんだけど、どうして終わらせる事ができないのかねぇ? 誰でも働けばいくらでも稼げるような環境になったら戦争しなくても良くなるものなんだろうか。

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2016年1月 4日 (月)

ヴァシリエフ「ポル=バジン要塞のルーン文字銘文」を読んで

 昨年、ネットニュースでも取りあげられて話題になったトゥバ共和国のテレ=ホリ湖上の島に残るウィグル時代の城塞遺跡ポル=バジン
 ここで碑文の類は出土していないと思っていたのだが、実はあったんだってさ。で、それについて書かれた論文を読んだので感想文を書くよ。

『中央アジアと南シベリア』論文集Ⅰ(2009年モスクワ)に収録されているD.D.ヴァシリエフの論文というか報告の原題は「ポル=バジン要塞の銘文」。図を見ると明らかに古代トルコ=ルーン体文字なのでキャッチーな表題にしておいた(笑)。

 私はこの遺跡について全く知らなかった。しかし、帝政ロシア時代のシベリア探索で既に注目されていて、1698年に編纂されたレメゾフのシベリア地図にも記されているんだそうだ。

 で、銘文の方だけれどもこれもかなり早く、1964年のS.I.ヴァインシュテインが初出で、テレ=ホリ湖の北岸、アルト=タシの高台にある古代(スキト=シベリア文化時代)遺跡に立つ鹿石に彫られているんだそうな。こういう再利用はよくあるよね。
 保存状態は当時からかなり悪く、どうも拓本は取れない様子。今回の調査(2002、2007年)で終日観察して太陽の向きで変わる影の具合で読み取ったみたい。意味の取れる長さの文章ではないけれども、中に「イルキン/エルキン」という称号が読み取れる箇所があって、それはそれでいろいろと想像をかきたてられる。イルキンという称号は、後世の『モンゴル史』「部族篇」にも出てくる歴史ある称号で部族長クラスだから、この要塞の守備隊長だったのかなー、とか。

 もう一つは今回の探査で発見されたもので、要塞内、内城の外壁にひっかくようにして書かれた2行。
 ヴァシリエフは、衛兵が自分の名前を記念に書いたかも、と想像しているけどそれって落書きじゃん! でも、そういう普通の人がルーン体の文字を普通に書いちゃうって結構すごいんじゃないの? ウィグル教育水準高!って思ったけど、王宮警備の衛兵なら良いとこの坊ちゃんで字くらい知ってるのかなー?

 ヴァシリエフは、ポル=バジンにもモンゴルのハル=バルガス(カラバルガスン)のような碑文があったはずと言う。なぜなら、シネ=ウス碑文や(E8)テルヒン(タリアト)碑文(W1)、セレンガ碑文(未確認)の「聖なるオテュケンの西麓、テズ川上流河源の近く」にバヤンチョル(磨延啜、葛勒可汗)が築かせたのがポル=バジン要塞であり、それら碑文から窺えるように、ポル=バジンにも碑を建てさせているはずだという。

 ハル=バルガス、すなわちウィグル時代のオルドゥ=バリクは破壊されたから早い時期に遺跡になって碑文が割れた状態ではあっても残されたけど、モンゴル時代までも生き残って使われてたバイ=バリクにはそういうのないみたいだからねー。ポル=バジンがあんまり使われないで放棄されたって言うのなら、カガンの碑文はどっかに埋もれてるかもしれない。いや、あまり使わなかったなら紀功碑文なんてどこかに持っていって建て直すかな?

 ヴァシリエフももう失われてしまったのだろう、と半分諦めたような事を書いているけれども今後も捜すという事なので、カガンの碑文が発見される!ポル=バジンを築かせたのは実は○○カガン……なんてニュースを聞く日が来るのかもしれない……いや、来て下さい!

 最後に、この地を巡る在地の部族とウィグルとの会戦についての地元の言い伝えってのがすごく気になるんだが、書いてないんだよなぁ。

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2016年1月 3日 (日)

明けました

 どうも~、明けましておめでとうございます。

 昨年のコミックマーケットでは、新刊が出せずこんなチラシを配ってお茶を濁してました。

 やっつけでやったのでかなり適当な気がしますが……。バトゥの意外と謙虚な所が見えて、おもしろいなと思った勢いで作りました(笑)。これを見ると、ロシアのサイトで「黄金のオルド(キプチャク汗国)の最初の首都はブルガル」と書いてある理由がわかりますね。

Chirashi

 今年こそ「部族篇」が4冊そろった所を見たいものです。

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