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2016年1月 3日 (日)

明けました

 どうも~、明けましておめでとうございます。

 昨年のコミックマーケットでは、新刊が出せずこんなチラシを配ってお茶を濁してました。

 やっつけでやったのでかなり適当な気がしますが……。バトゥの意外と謙虚な所が見えて、おもしろいなと思った勢いで作りました(笑)。これを見ると、ロシアのサイトで「黄金のオルド(キプチャク汗国)の最初の首都はブルガル」と書いてある理由がわかりますね。

Chirashi

 今年こそ「部族篇」が4冊そろった所を見たいものです。

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コメント

謹賀新年

昨年はお世話になりました。
本年もよろしくお願いします。

>最初の首都はブルガル

後のエジプトの英雄バイバルスをあの辺(ヴォルガあたり?)で捕えて中東(ダマスカス)に売り飛ばしたのもブルガール人でしたね。(モンゴル人などと書かれているものもあるが)ブルガルにも奴隷交易の拠点があったのか。

しかしトクタ・ハンの貨幣発行地のうち「ウケク」って・・・?
あと、オロス・ハンは貨幣造ってなかったでしたっけ?(トクタミシュを3度撃退した人。左翼の支配者)

投稿: 大鴉 | 2016年1月 3日 (日) 21時10分

大鴉さん、
今年もどうぞ見捨てずお世話してください(笑)。

 ブルガルと黄金のオルドの関係については、まさにそういう題の本を買った所です。まだ読んでません。よくわからないケド興味がある所です。

 ウケクというのはサライとブルガルの間くらいのヴォルガ河沿いにある都市です。貨幣に刻まれていることもあって結構名の知れた町です(遺跡があるようです)。

 オロスは、あの表の中のムハンマド・ウラズ・ハン(トクタミシュの上)がそうではないかと思うのですが、アラビア文字のクセもモンゴル語も知らないので確証はないです。

 黄金のオルドについては体系的に書かれた日本語の本がないので、慣用読みというか表記が一定していなくて非常に困っています。『中央ユーラシアを知る辞典』に合わせたのですが、あの巻末の系図、ベルディベクとトクタミシュの間が繋がっていないのですよね。継承関係がぐだぐだになっているところほど指標が欲しいのに……。

投稿: 雪豹 | 2016年1月 3日 (日) 21時35分

>ムハンマド・ウラズ・ハン

岩波の「世界歴史」によると、左翼で唯一貨幣が残っているのはムバラク・ホージャのみだそうです。彼はサシ・ブガ、エルザンの次に左翼オルダ・ウルスの統治者だったようで、ウズベグハンと仲が悪く、ついに一大騒乱を勃発せしめました。この時ムバラクは、右翼からの独立を意味する上で「貨幣鋳造」を行ったそうです。

彼は決戦で敗れ、敗走しながらも行く先々でウズベグに対して抵抗し続けました。が2年半の放浪の後に死亡。左翼は彼の兄弟であるジムバイがジャニベグの命令で継ぎます。

オロスはこのジムバイの息子である・・・そうなのですが、いろいろおかしなところもあるようです。なにより、オロスはトカ=テムル系でオルダ系ではないのであきらかに変。一応、左翼のオルダ朝はこのジムバイで断絶したとみられているようです。(川口先生は)もっともジムバイは実在自体疑われているようですが。

投稿: 大鴉 | 2016年1月 4日 (月) 21時16分

大鴉さん

では、あの表のムハンマド・ウラズ・ハンはオロス、と見て良いんでしょうかね?

参考にした本の系図がちょうどそういう風になっています。本当かよ、これ、と眉に唾を付けながら見ていたんですが。

たぶん、ハン位の継承図と親子関係の系図が混じちゃってるんじゃないですかね。実子がいなければ親戚から連れて来て継がせたとかで。

投稿: 雪豹 | 2016年1月 5日 (火) 23時12分

今、赤坂先生の本を見ていたのですが、ジムバイの名はやはり「ジュチの14子」の一人ではないかと思われますので、やはり実在の疑われる人ですね。(バトゥとかの異母兄弟の一人)それにしても、ウズベグはその即位の経緯からも、彼の即位に反対したジュチの子(の子孫ら)らの多くを捕えて「奴隷」にして有力部族に分け与えてしまったようですから、ジュチ家の内情が相当混乱したものであったようなのも窺えます。だいたいトフタ・ハンも似たような事やってますし、ジュチ家の身内争いは過激です。

そういえば、左翼のサシ・ブガなる人物、なんとあのノガイの子かもしれない(?)みたいです。一応、系図ではオルダの孫バヤンの子になっているのですが、赤坂先生の本ではその可能性が書かれています。ノガイの子は、他にロシアのリャザン公に娘が嫁いでいますし、息子はブルガリア皇帝にもなっています。これが計画によるのだとしたら、ノガイはずいぶん計画的に事を狙っていたのですねぇ…。

そして、このサシ・ブガの系統でムバラク・ホージャ、そしてオロス(ウラズ)・ハンが出てくるようです。だとすると、この流れはノガイに始まる「逆賊(ジュチ家正統への)の系譜」ということ???

投稿: 大鴉 | 2016年1月 6日 (水) 01時18分

ウィグルでもカガンの一族の子供を全て唐にやったという話はあるので、そういうのって結構普通にやられていたのかもしれませんね。オスマン朝だとスルタンになった人以外の兄弟は殺すんでしたっけ?

ラシードだとオルダの子孫は確かバヤンくらいまでしか出ていないので、私を逆さにしても資料はあんまし出て来ませんが、ここに書いてあるのをまとめただけでも「群雄記念出版物」向けの記事になりそうなくらいおもしろいです。「研究ノート・ジョチ家の系譜の不審な点について」とかなんとか系図付きで。

今度、お会いする機会があれば、あの表の元ネタの一つ、貨幣カタログを持っていきますよ!

投稿: 雪豹 | 2016年1月 7日 (木) 00時14分

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