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2016年1月 4日 (月)

ヴァシリエフ「ポル=バジン要塞のルーン文字銘文」を読んで

 昨年、ネットニュースでも取りあげられて話題になったトゥバ共和国のテレ=ホリ湖上の島に残るウィグル時代の城塞遺跡ポル=バジン
 ここで碑文の類は出土していないと思っていたのだが、実はあったんだってさ。で、それについて書かれた論文を読んだので感想文を書くよ。

『中央アジアと南シベリア』論文集Ⅰ(2009年モスクワ)に収録されているD.D.ヴァシリエフの論文というか報告の原題は「ポル=バジン要塞の銘文」。図を見ると明らかに古代トルコ=ルーン体文字なのでキャッチーな表題にしておいた(笑)。

 私はこの遺跡について全く知らなかった。しかし、帝政ロシア時代のシベリア探索で既に注目されていて、1698年に編纂されたレメゾフのシベリア地図にも記されているんだそうだ。

 で、銘文の方だけれどもこれもかなり早く、1964年のS.I.ヴァインシュテインが初出で、テレ=ホリ湖の北岸、アルト=タシの高台にある古代(スキト=シベリア文化時代)遺跡に立つ鹿石に彫られているんだそうな。こういう再利用はよくあるよね。
 保存状態は当時からかなり悪く、どうも拓本は取れない様子。今回の調査(2002、2007年)で終日観察して太陽の向きで変わる影の具合で読み取ったみたい。意味の取れる長さの文章ではないけれども、中に「イルキン/エルキン」という称号が読み取れる箇所があって、それはそれでいろいろと想像をかきたてられる。イルキンという称号は、後世の『モンゴル史』「部族篇」にも出てくる歴史ある称号で部族長クラスだから、この要塞の守備隊長だったのかなー、とか。

 もう一つは今回の探査で発見されたもので、要塞内、内城の外壁にひっかくようにして書かれた2行。
 ヴァシリエフは、衛兵が自分の名前を記念に書いたかも、と想像しているけどそれって落書きじゃん! でも、そういう普通の人がルーン体の文字を普通に書いちゃうって結構すごいんじゃないの? ウィグル教育水準高!って思ったけど、王宮警備の衛兵なら良いとこの坊ちゃんで字くらい知ってるのかなー?

 ヴァシリエフは、ポル=バジンにもモンゴルのハル=バルガス(カラバルガスン)のような碑文があったはずと言う。なぜなら、シネ=ウス碑文や(E8)テルヒン(タリアト)碑文(W1)、セレンガ碑文(未確認)の「聖なるオテュケンの西麓、テズ川上流河源の近く」にバヤンチョル(磨延啜、葛勒可汗)が築かせたのがポル=バジン要塞であり、それら碑文から窺えるように、ポル=バジンにも碑を建てさせているはずだという。

 ハル=バルガス、すなわちウィグル時代のオルドゥ=バリクは破壊されたから早い時期に遺跡になって碑文が割れた状態ではあっても残されたけど、モンゴル時代までも生き残って使われてたバイ=バリクにはそういうのないみたいだからねー。ポル=バジンがあんまり使われないで放棄されたって言うのなら、カガンの碑文はどっかに埋もれてるかもしれない。いや、あまり使わなかったなら紀功碑文なんてどこかに持っていって建て直すかな?

 ヴァシリエフももう失われてしまったのだろう、と半分諦めたような事を書いているけれども今後も捜すという事なので、カガンの碑文が発見される!ポル=バジンを築かせたのは実は○○カガン……なんてニュースを聞く日が来るのかもしれない……いや、来て下さい!

 最後に、この地を巡る在地の部族とウィグルとの会戦についての地元の言い伝えってのがすごく気になるんだが、書いてないんだよなぁ。

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