ハザールの「旧約的」歴史観は『集史』に影響を与えたのだろうか?
ふぅ、ようやく『集史』の総序に当たる部分の翻訳できた。
今かよ! おせーよ! 冬コミ間に合わなかったじゃん!……というツッコミは自分でしとくとして。
なんか、まだ、「???」って箇所があるんだけどねぇ。とりあえずは出来た!!!
あんまりぐだぐだやっててもしかたないんで、なんとか『モンゴル史』「部族編1」の改訂にくっつけて夏までには出したいもんだ。なぜか「部族篇1」が一番出るんだよなぁ。なんで?
「部族編1」は、イスラム教的世界史の中に、モンゴルをどうやって位置づけるかってことでオグズ説話が出てくる章だ。
なので、『集史』にも言及している『普遍史の変貌―ペルシア語文化圏における形成と展開―』を読み始めた。
ところで最近、別件でハザール可汗国のことを調べていて、ハザールの可汗ヨセフがアンダルス(後ウマイヤ朝)のハスダイに出した返書をじっくり読んだ。そしたら、ヨセフが物語るハザールの位置づけが「部族篇1」に出てるオグズの位置づけによく似てるじゃあーりませんか!
ハザールはオグズじゃないしムスリムでもないから、オグズ説話は出てこないんだけど、ハザール族の祖とされるハザールを、やはりノアの子ヤペテの曾孫の位置に入れているんだよね。オグズ(グズ)とも兄弟になってるし、よく似てるなーと思って。ひょっとして、ハザールの歴史観が『集史』に継承されているんじゃね?
ラシードも、参考にした書物にユダヤの五書を挙げてるから、元ネタは同じなのかもしれない。そもそも、ラシードはユダヤの書物に詳しいかもしれないし。それにしても似た感じがするんだよなぁ。『王書』だと、テュルクの祖はフェリドゥーンの息子から出てるはずだから、全然ペルシャ的ではなさそう。
「普遍史」にテュルクを組み込む試みってのは、イスラム世界の世界観に先行して、ハザールのユダヤ教的世界観があったのかもしれないなー、なんて考えたりして。
『普遍史の変貌』には、その辺、書いてあるかなー? 目を皿のようにして読みますぞー。
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