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2019年12月28日 (土)

コミックマーケット97に参加します

 いまさらですが、「群雄」は日曜日 西 D 68aです。

 今回は全く間に合いませんでした。なので私の新刊はなしですが、人材豊富な「群雄」には、新刊を出す人がいます。日曜日にコミケに来る機会があれば、是非立ち寄って手に取ってみて下さいね。

 言い訳させていただきますと、1週間ちょい時間があって、無料配布にウラーンゴムのウィグル文字碑文でも訳すかと思ったんですが、風邪が酷くてとうていそんな気力が出ませんでした。……それでも、ロシア映画祭には行ったんですがね(笑)。

 年に2回の祭り。自分の新刊がないと、きっと寂しい思いをするんだろうなぁ。次回への自戒を込めて、朝から売り子に励みたいと思います。

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映画「深い河」

「深い河」トレーラー
2018年ロシア
監督:ヴラジーミル・ビトコフ
キャスト:
オレグ・グセイノフ
ルスタム・ムラトフ
ムハンマド・サビエフ

 カフカスの山並みは雄大だが、そこに暮らす人間の器の小ささは、まるで日本の田舎のよう。山口のあの事件を思い出した。世界初のカバルダ語の映画だという話だが、あんまり関係なかったな。

 

 兄のベスのように傲慢で独りよがり、人の忠告には耳を貸さず、凡夫のクセに偉そうな態度の田舎オヤジはよくいる。家族の危機を知って手助けに来た下の弟マロイにろくにやり方も教えずに、できないことをあげつらって「やっぱりダメなヤツ」と笑い物にするという性根の腐りぶりでは、誰からも恨みを買うわな。

 

 しかも、村人が誰も彼も妬みと僻みの固まりのような酷い奴らばかりで、ベスの家族とも険悪な雰囲気。ひとり収入のあるベスの家族を逆恨みしてなにかやらかしそうなニオイがぷんぷんしている。
家族の弱い部分であるマロイが見るからに危険で、何度となく「弟ちゃん、逃げろぉ!」と心の中で叫んだよ。山口の事件だと、村八分にされた方が逆ギレして村人を殺して回った訳だが、この物語ではどうなることやら……。


 題名が「深い河」って割には、川は上流域の浅く流れの速い河だし、複数形になってるけど出てくる河は1本だけ。質問コーナーで監督は、ほかの題名にしたかったが、官僚主義的あれこれで変えることができなかったとか答えていた。また、カバルダ語で川と魂は同じ発音なんだとか。リアルな河とはあんまり関係のない象徴的な題名なんだろうと思われる。 

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2019年12月22日 (日)

映画「予想外のでき事」

2019年ロシア
監督:アンドレイ・ムィシュキン
キャスト:
リーザ・アルザマソワ
マクシム・コロソフ

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今年もロシア映画祭が開催されました。
全部は見に行けませんでしたが、いくつか見に行きましたよ。
「予想外のでき事」もその一つとして上映された映画です。
12月13日に、警戒厳重な都内某所で上映されました。

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都内某所(ご存じ狸穴町のあそこ)

 

 オムニバス形式のラブコメで、主演のマクシム・コロソフとリーザ・アルザマソワがいろいろな状況の男と女の出会いを描きます。それぞれのお話にうっすらと関連があるような、ないような?

 

第一話 予想外のでき事
いかにも几帳面そうなビジネスマンがホテルの部屋に到着。明日の大事な懐義のためにじっくり休もうと熟睡モードに入った頃。男とは正反対のおおざっぱな女が同じ階に投宿。おおざっぱなうえに時差ボケで、真夜中というのにルームサービスを頼もうとしたもんだから、騒動が起こる。電話番号を間違えて男の部屋に注文の電話をかけてしまったのだ。

 

第二話 
つきあい始めたばかりの彼女(アルザマソワ)に良いとこをみせたい男。気球をチャーターして、粋な空の散歩をプレゼントしようと計画。ところが、気球を上げるためにやってきた原っぱには、彼女の元カレ(コロソフ)がホームレスになって住み着いていた。男は元カレより自分の方が誇示したかったのか、元カレに一緒に気球に乗らないかと誘う。いやな予感しかしないが、果たして?

 

第三話 ヤバイ仕事
現代はモークルィエ・ヂェラー。はい、『パタリロ』の読者ならおわかりですね、濡れ事のことです。しかしここでは血濡れた仕事ではなく、エロい方の濡れ事、浮気の話。
ガソリンスタンドで男(コロソフ)がキレイドコロとウフフしていると、恋人(アルザマソワ)が現れた! さぁ、どうする?

 

第四話 P.S.もし
中国のロシアセンターでロシア語を教えている男のところにケンか別れした恋人が現れた! 「かまわず授業を続けて」といいつつも、恨み言を言い募る女。ちょうど仮定法の の説明をしていたのがめちゃくちゃに……。


 こういったお話だと笑いのツボは日本人にも共通らしく、会場でも笑いが起こっていました。
 また、上映後監督のアンドレイ・ムィシュキン、主演のマクシム・コロソフらが質疑応答に答えていましたが、ロシアの少女が、「役者というお仕事は難しいですか」「映画を作る仕事は楽しいですか」的な純真な質問をしていたのが初々しく感じられました。

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2019年12月18日 (水)

映画「ハラフ・オディ」

「ハラフ・オディ」オフィシャル・トレーラー

2019年ロシア(ハカシア)
監督:ミハイル・メルズリキン
キャスト:
マクシム・スルトレコフ
アリーナ・マイナシャエワ
スヴェトラーナ・チャフトゥイコワ

 ハカシアでの公開は今年の12月末だそうで、日本ではそれに先行しての公開。(ロシア初公開は「アムールの秋」だそうな)
一人称視点が斬新な映画だが、たぶん若い世代やゲーマーには、こういう感じの視点で未知の世界を冒険をして行くってのは、見慣れた画なんだろう。

 

 ハカス神話をモチーフにしているということだが、最後の方でラスボスっぽく出てくるエルリク・ハーンは、他のシベリア神話でもおなじみの神ですな。トレーラーにも出てるが、シベリアではああいうイメージなのか……。でももっと上位の神がいるっぽく「俺たちの冒険は終わらない!(未完)」みたいな終わり方だった(笑)。人気が出たら、続編がでるかも。

 主人公アイアンは肉体を伴っているように描かれているものの、シャマンの魂の旅(脱魂=トランス)を実写化したような感じ。日本では、草葉の陰で見守っている魂、転生する魂、死んだ場所でいつまでも彷徨っている魂の区別が曖昧だが、民族によってはそれらの魂に別々の名前がある場合がある。最初に出てくる魂のパーツってヤツはそういう魂の説明じゃないかな。でもそれは、あんまりストーリー上で生きていなかったような?

 下の世界に行くのは簡単だが、上の世界に行くのは難しいと言われているとおり、アイアンの旅は困難を極める。途中でいろいろな精霊に出会って助けられ(邪魔され?)、「神」を探す旅を続けた末に、不思議な老人に銀の書をもらう。しかし、強欲な兄に銀の書を奪われ、そのような便利アイテムは、かえって不幸を招くと考え、再び神を懲らしめる旅に出る……。


 アイアンは、縛られていた水の精霊スゲジを助けるんだけど、アイアンが彼女を人を助ける良い奴じゃないかというのに対し、ハレイハンが「彼女は多くの人を溺れさせ、いくつもの村を水没させた悪い女」だから罰していたのだ、という。今年日本を襲った台風を思わせるエピソード。自然の恵みには二面性があるよな。台風が来るからこそ豊かな国土でもあるわけなんだけどねぇ。

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2019年12月 2日 (月)

古代オリエント博物館にギョベクリテペ遺跡関連の講演を聞きに行ったよ

 ギョベクリテペと言えば、トルコ南東部にある世界最古の神殿とも言われる有名な、そして謎の多い遺跡だ。

 この遺跡に関する特別講演会「世界最古の神殿—トルコ、ギョベクリテペ遺跡とその周辺—」が、古代オリエント博物館であると聞きつけ行ってみた。

 平たいT字型の石柱に特徴的な動物紋様が刻まれ、顔は表現されないものの、全体的には人間を表している……とくれば、モンゴル高原周辺の鹿石に似てない?ってことで、これは是非聞きたいと、早めに出たつもりだった。
 しかし、着いた頃には大入り満員の大盛況。150人程度は来ていたかな。テーブル席に着けずに横に並べられたイス席に座ったよ。

 エルドアンが今年を「ギョベクリテペ年」に指定したそうで、駐日トルコ大使も挨拶したりしてトルコ側はたいへんな力の入れよう。日本側も主催者挨拶をした古代オリエント博物館館長、司会進行・通訳ばかりでなく聴衆にも第一線の研究者が集っていたもよう。メインのギョベクリテペ遺跡についてはネジュミ・カルル・イスタンブル大学教授、ここで起こった変革が周囲に与えたインパクトとその伝播についてはエイレム・オズドアン同大学准教授が講演した。

 第一線で活躍する研究者の話す最新情報は、予想以上に刺激的だった。

 私が思っていた、①あんな巨石をどこから持ってきたんだ? ②神殿に入り口がないってどういうことだ? 
……という素朴な疑問は、質問票に書くまでもなくあっさり解決。講演の中で語られた。

 すなわち、①石切場は、ギョベクリテペから500mも離れていないところにあり、石の目に沿ってはがして切り出した(切ってないのに「切り出した」と言うのもヘンだけど)
②神殿には、ドーム状の屋根に入り口があり、ハシゴで出入りしてた
……そうな。宇宙人のオーバーテクノロジーじゃなかった(笑)。

 

 おもしろいなと思ったのは、真ん中にあるひときわ背の高いT字型の二本の石柱は人間を表しており、それをぐるりと取り囲む背の低い石柱には牙をむく恐ろしげな野獣が描かれているっていうことは、人間が世界の中心であるということを意味しているという説。こういう考え方って、キリスト教的な世界観につながって、現在まで生き残っているんじゃないかなって思った。蛇の紋様が好んで描かれるのも、キリスト教で蛇が悪魔扱いされてるのと関係ありそうな気がしない?(古い神は貶められる的な)。

 もう一つは、神殿を廃棄するには手順がいるってこと。自然に寂れていつの間にか使われなくなったんじゃなくて、最初に小石、次に土、最後に大きな石を入れるという決まった手順があった。そうやって丹念に埋められたからこそ現在完全な形で発掘された……という。
ギョベクリテペは孤立した遺跡でなく、近場に似た遺跡がいくつもあって考古学者には知られていたそうだが、その一つジュルフェルアハマル遺跡のケースだと、頭を取り外した少女を神殿の真ん中に置いて、意図的に火を放って廃しているんだって。……これ、絶対なんかヤバイもの封印しているよね(笑)。

 

 ギョベクリテペ遺跡についてのナショジオのドキュメンタリーを見たことがあるが、ちょっと古い情報だったので、1万2000年前の突拍子もない遺跡かと思っていた。が、今回の講演を聴いて、現在にしっかりと繋がっていると感じることができた。
 こうした古代の歴史については、新しい遺跡が発掘されてどんどん新しい発見があるから、常に最新の情報に接しておくのは大切だし何よりおもしろい、と改めて思った。

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2019年12月 1日 (日)

モンゴル近・現代史理解に不可欠の良書・佐々木智也著『ノモンハンの国境線』

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要するに「ハルハ河が国境線である」とは馬鹿でも言えるが、その逆を言うためには専門的な知識が必要とされたのだ。しかも厄介なことにそうした専門知識は、中途半端に身に付けているとかえって危険で、間違いをいっそう強固なものにしかねないものだった。(『ノモンハンの国境線』174~175頁)

 

 これって本当に名言だと思う。一歩一歩丁寧なプロセスを経ての理解を放棄した思考停止バカがいる一方、正しいものは正しいと言う人はいた。当時の東洋学者や満鉄が正しい境界線を導き出して提示してたのには、なんだかホッとした。しかし、「結論ありき」で自分たちに都合の良い調査結果しか見ない連中が、昭和天皇の意向にさえ逆らって紛争を起こしていく。

 

 そもそも、近代国家が国家であるためには、「領土」「国民」「主権」の要件が必要……なんて中学校だかで教わったような気がするが、それなら、現在のモンゴル国の国境線にはいかなる法的根拠があるかを紐解いていく本書は、現代モンゴル国の歴史を語るに等しい。

 

 そんなわけで、『ノモンハンの国境線』は、ノモンハン事件(ハルハ河会戦)に興味のある人だけでなく、モンゴルの歴史に興味のある人が読めば、絶対、おもしろいと感じるはずだ。
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この付箋の数だけの「へぇ!」「そうだったのか!」が詰まってます!

 

 国境確定を巡る周辺国の動きは、歴史の醍醐味そのもの。その周辺国の中に、当事者として日本も関わっているから、割と流れを追いやすい。日本の近・現代史に興味のある人にも、日本史と世界史は地続きだと実感でき、複雑怪奇とも言われる20世紀はじめの世界史を理解するにも役立ちそう。

 

 しかも、条約やら協定やらのややこしい話でも、節目節目におさらいが入るので、読み進めば読み進むほど記憶が定着。あちらの国こちらの国と話が飛んでも、それらが交錯したところで、登場人物それぞれの思惑が同時にわかってくる。そうだなー、たとえるなら、全天球カメラで撮った映像をぐりぐり動かしていろんな角度から見ることができる、みたいな(笑)。なかなか巧みな語り口だと思う。

 

……なーんて「勉強に役立つ」的なお堅い話ばかりでもないんだな。「スターリンを平手打ちした男」みたいなネタかアネクドートじゃないかと疑っちゃうようなおもしろエピソード(失礼!)もぶっ込んでくるところが『ノモンハンの国境線』の読み物としてもおもしろいところ。

 

 個人的な感想としては、自分が『モンゴル史』訳しているときは、言葉を捻り出すことでいっぱいいっぱいになっているせいもあり、出てくる地名がリアルにどこにあり、どういう位置関係なのか、ほとんど注意を払っていなかったなー、と大いに反省させられた。
『ノモンハンの国境線』を読むと、モンゴル帝国時代にもよく聞く地名が出てきて興味深い。外国人の好事家にとってもこのようなのだから、現地の人ばかりでなく、モンゴルの人たちにとっての思い入れは格別だろうと想像できる。そのような「心のふるさと」を軽い気持ちで侵略してしまった日本は罪深いな。

 

p.s. 「アラシャ」と「アラシャン」と両方出てきて、自分は「アラシャン」の方が普通かと思っていて、著者にもそう言ったのだけれど、現地のモンゴル人は「アラシャ」と呼ぶそうだ。(参考:斯琴(スチン)「内モンゴル・アラシャ地域におけるアラシャ崇拝」(千葉大学『人文社会科学研究』第17号、2008年9月)による)
「アラシャン」は、外来者である漢人の呼び方で、彼らによって広がったそうな。私は戦前からのモンゴル研究の影響で、アラシャンが普通かと思ってたけど、『ノモンハンの国境線』的には「アラシャ」で統一するのが良いかもしれないね。

 

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