『モンゴルの親族組織と政治祭祀 オボク・ヤス構造』を読んで考えたことなど
『モンゴル史(集史)』ロシア語版を訳しているとき、悩んだことの一つがローヂチ(родич)の訳。
そもそもこれ、モンゴル語の何の訳なんだろう? アカ・ヴァ・イニと一緒に出てくる印象があったので、オボクの訳なんだろうか? じゃあ、ロート(род)がウルクかな???と思っていたが、ラシード原文のペルシャ語を見ているワケではないので、想像の域を出なかった。
そんなとき、楊海英著『モンゴルの親族組織と政治祭祀 オボク・ヤス構造』という本が出ているのを知り、これで謎が解けるかも、と思って即ポチした。
読み始めて間もなく、30ページにモンゴル語とロシア語の対照表が出ていた。
積年の悩みに決着が!と胸が高鳴ったのだが、思っていたのと何か違うような?
というか、この本、ウルクが全く出てこない。最終章にようやく出てきて、ウルクはオボクのテュルク語的表現だとひとことで終わり。そ、そうだったのか?
つまり、ウルクとオボクには差がなく、差がないところに無理に違いを見いだそうとしていたから混乱しまくっていた(←自分が勝手に)ってこと?
とはいえ、『モンゴル史(集史)』も「部族篇」しか訳してないので、『集史』全体では違うのかもしれない。しかもロシア語の時点でいわばモンゴル語→ペルシャ語→ロシア語の重訳だから、もとのモンゴル語がどの程度反映されているかわからないよなー、と思い、とりあえず「部族篇」も一部訳しているスミルノヴァさん訳の「祖先紀」「チンギスカン紀」で、ロート(род)が何の訳かハッキリ書いてある箇所をピックアップしてみた。
ナサブ(nasab)5箇所
ウールーク(ūrūġ)2箇所
カビーレ(qabīle)6箇所
ナスル(nasl)4箇所
クドゥード(qu ̒dūd)3箇所
ヘイル(kheyl)2箇所
シャヂャル(shadjar)1箇所
アスナーフ(aṣnāf)1箇所
……って、バラバラやん!(笑)結局、一般的にロートに訳されてるのは普通のペルシャ語なんだろうな?
どんどん群盲象を撫でる的な方に行ってる気がするので、余談は脇に置いとくとして。
『モンゴルの親族組織と政治祭祀 オボク・ヤス構造』そのものは、とてもおもしろかった。モンゴルの部族や氏族の名称について、今まで、全部個別案件、それぞれ来歴をたどらなきゃダメかとあきらめていたものが、オボク、ヤス、オトク等から考えて、これほどスッキリわかりやすく系統づけられたものはなかったように思う。「だいたいこんな感じ?」と漠然と感じていたことともピタリ合ってる。
ただこれ、『集史』『秘史』あたりでモンゴルの部族名と系統というか関係性が頭に入っていないと、とっつきにくいかもしれないな。逆にそれがわかると、チンギス時代のあの部族が、今はこうなってああなっているんだ、と面白さ倍増。
モンゴル帝国時代が現代モンゴルにも生きている感じがしてとても良い。
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