2012年5月16日 (水)

映画「ドミートリ・ショスタコーヴィチ ヴィオラ・ソナタ」

ドミートリ・ショスタコーヴィチ ヴィオラ・ソナタ

Shostakovich002_2

1981年ソ連
監督:セミョーン・アラノーヴィチ/アレクサンドル・ソクーロフ

 

 

 ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタはショスタコーヴィチの最後の作品で、ショスタコーヴィチの遺言が織り込まれているともいわれる。
 人間、死を目の当たりにすると、それまでの人生が走馬灯のように思い出されるというが、ヴィオラ・ソナタの中にもショスタコーヴィチが過去に聞いて心に残っている曲を思い出しているかのようにベルクやベートーヴェンの断片がところどころに聞こえる。

 この映画にも似たようなところがあって、時系列のようでそうでもなくショスタコーヴィチ個人の身の上やソ連で起こった重大な出来事(例えば、レニングラード包囲戦のような)の映像が、断片的に次々と表れる。
 そして、ふと正気を取り戻した時に目に入る天井の電球のショット、ショスタコーヴィチの声で終わる構成など、「遺書」を強く思わせる。

 しかし、ショスタコーヴィチ本人がこの映画を撮ったのではない以上、ここで表現されている事が必ずしもショスタコーヴィチ自身の本心ではないと考えるのが自然だ。

 むしろ、違和感のある箇所があって素直に受け入れることをためらわせる。
 例えば、大祖国戦争(第二時世界大戦)の過酷な映像に交響曲第11番の第2楽章(「血の日曜日」)があてられているのだが、曲のクライマックスのところで映像は健康的な男女の体操にいつの間にか切り替わってしまう。何らかの意図がありそうなのだが、どう解釈したものか悩む。

 あと、交響曲第8番、第9番を批判される、という場面があるからこれをどうやって切り抜けるのか、とドキドキしながら見ていると、いきなり5番が流れるのである。
 この交響曲5番を指揮しているのはムラヴィンスキーとバーンスタイン(若い!)。
 まぁ、歴史的録音で記録映画としては意味があるんだろうけれども、かなり唐突に感じる。

 しかし、オペラ「鼻」について聴衆の質問に答えてショスタコーヴィチが、
「芸術は難しい。ゆえに理解する努力も必要なのです…」
と答える場面があるところをみると、あれ、変だななんだろうと考えさせること自体が目的だったりしてね。
 だとしたら、監督の罠にまんまとはまってるな(笑)。

参考:

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2008年9月26日 (金)

映画「善き人のためのソナタ」

Leben善き人のためのソナタ

2006年ドイツ
監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
キャスト:
ゲルト・ヴィースラー…ウルリッヒ・ミューエ
ゲオルク・ドライマン…セバスチャン・コッホ
クリスタ=マリア・ズィーラント…マルティナ・ゲデック
アントン・グルビッツ…ウルリッヒ・トゥクール
ヘムプフ大臣…トーマス・ティーメ

 そんな質問をしても答えられないでしょ、というような質問を共産圏の人にしている人たちをいまでも結構見かけることがある。そういうとき、『ショスタコーヴィチの証言』の次のようなセリフを思い出す。

 うるさくつきまとう厚かましい人間というものは、ふと思い浮かんだことを口にし、手当たり次第に質問することができる。(中略)このような厚かましい人々はみな、わたしが「勇気をもって」愚劣な質問に答えることを望むものだ。(中略)だが、なぜわたしは自分の生活を危険にさらさなければならないのか。それも、わたしのことなんかなんとも思っていない人間の他愛ない好奇心を満足させるために。
(ソロモン・ヴォルコフ編/水野忠夫訳『ショスタコーヴィチの証言 (中公文庫)』pp.343-344)
 一般的に、『ショスタコーヴィチの証言』は偽書か、そうでないまでも真偽の定かでない業界裏話の集大成ではないかといわれている。狭い業界(例えば某スポーツ界とか某学会とか何でもいいが)ではこういう都市伝説に一歩踏み込んでるような噂、よくあるよね。
「だれだれはどこそこの講演会でこんなトンデモネー話をブチ上げた」
とか、
「誰々はどれそれの宴会の時これこれの武勇伝を残した」
とか、本当なんだか嘘なんだか、あるいは尾ヒレが付いてるだけなのかよくわからない話が。この類の話を得意げに語る自称「事情通」が身近に一人や二人はいると思う。

 でも、まー、たとえ都市伝説まがいの話だとしても、いやむしろ都市伝説的であればあるほどそういう社会に暮らしていた人の気分をよく表しているような気がする。

 自分は生命の危険のない安全な場所(日本とか西側とか)にいて、そういう国の人にその手の質問(例えば「東トルキスタンの問題をどう思う?」とか)をして、その国の公式見解どおりの答えを聞いたとして、反××教育のせいで正しい見方ができないのだとか洗脳されてるとかよく言えたもんだ。ネット等々で無神経にそれをバラしてしまうかもしれない無邪気な日本人に本音が言えるかよ。その結果、自分ばかりでなく身近な人が生きたまま血管に薬液を流し込まれて「人体のふしぎ展」かなんかに展示されるようなことになっても、そいつは責任も取らないし心に痛みを感じることもないんだろ?

Semenovs_footnotes

 1984年東ドイツ。
 ヴィースラーはシュタージ(国家保安省、いわゆる秘密警察)の学校で新人に尋問方法を教える教官を務めるほどの真面目一徹な職員。

 古い友人のグルビッツがヘムプフ大臣に劇作家のドライマンを盗聴するよう依頼されたのだが、その作戦をヴィースラーが受け持つことになった。
 盗聴器をしかけるあまりの大ごと具合に、ドライマンはいったい何をやらかしたのか、と思うけれども、その原因はあまりにも馬鹿げているのがだんだんわかってくる。要するに、ドライマンの恋人で国民的大女優のクリスタ=マリアはヘムプフの愛人だったのだ。自分の思いとおりにならなくなってきたオモチャにお仕置きしてやるとでもいうような極めて私的な用件でシュタージを使おうとしていたらしい。
 それに加えて盗聴を続けるうちに、最初はのぞき趣味的だったのが、だんだん良質の恋愛小説を読んで登場人物に感情移入していくかのようにドライマンやクリスタ=マリアに共感するようになっていた。

 そんな矢先、ドライマンが才能があると信頼する演出家イェルスカが首を吊って自殺した。

 ドライマンは、この直前に開かれた誕生パーティーにやって来たイェルスカが、誕生日のプレゼントだといって冊子をくれたのを思い出した。
 それは本ではなく「善き人のためのソナタ」というピアノ曲のスコアだった。
 イェルスカの死に言葉もないドライマンは、まだ積まれたままのプレゼントの山の中からスコアを引っ張り出してその曲を弾き始める……。

 音楽は、ある時突然はまる事がある。
 美しいメロディーや心地よいリズムだなぁと漠然と雰囲気だけで理解していた曲が、あるきっかけで突然、もっと具体的なことがらを表しているのだとわかることがある。ジグソーパズルの最後のピースが「はまって」全体の画が突然なんの画だったかはっきりするような感覚。

 ドライマンについて調べ上げ、盗聴で彼の私生活までよく知っていたヴィースラーは、その曲を聴いた瞬間、それが何を意味するのか理解してしまった。
 それは絶望?
 ドライマンへの別れの挨拶?

 ドライマンはクリスタ=マリアに語る。
「レーニンはベートーヴェンの熱情ソナタをこんなものを聞いたら革命が成就できなくなるって批判したんだってさ。『これを本気で聴いてしまった者は、悪人になれなくなってしまう』って言って」
音楽ってそういう力があるよね、と。

 今までドライマンは反体制活動とは無縁だったのだが、イェルスカの自殺をきっかけに東ドイツの芸術家が相次いで自殺せざるを得ないような状況を西側に知らせようと決意する。
 一方、クリスタ=マリアにますます邪険にされて腹の虫の治まらないヘムプフは、彼女を薬物依存を理由に逮捕し、舞台から追放するようにゲルビッツに命じた……。

Semenovs_footnotes

 本音の話をする時に大音量でレコードをかけたり、シャワーを出しっぱなしにしたりするのはあのテの国では常識。在モスクワのアメリカ大使館に盗聴器がしかけられていたのは有名な話だが、それほど大物でなくても日常の会話が盗み聞かれている事は常に意識していなければならなかった。「善き人のためのソナタ」では、その張り巡らされた監視網の恐ろしさが取り上げられていて、冒頭に「10万人の協力者と20万人の密告者」がいたという字幕ではじまるくらいだが、そんなものはたいした数ではないような気がする。
 本当に恐ろしいのは、国民総密告者というか、井戸端会議で陰口をたたくくらいのお気軽さで当局(ここではシュタージ)に密告しちゃう状況なのだろうが、ここではそこまでのきついモラルハザード状態は描かれていない。出てくる人は皆、善い人である。だからこそ、ちょっとは救われるラストになっているのかもしれないけど。お偉いさんが権力を私したり、才能のある人を気まぐれで破滅させるようなことはあのテの国の専売特許でもないからねぇ。ただ、雇用主が国家の一つだけしかない国と捨てる神あれば拾う神ありの国だと大違いだけど。

クラシック音楽が印象的に使われている映画:
「炎628」
モーツアルト「レクイエム~ラクリモサ(涙の日)」
この曲が未完成だってのがまた意味深長。

「夜よ、こんにちは」
シューベルト「楽興の時 第3番」
この曲をバックにモロが歩き出すシーンでは、松尾芭蕉の「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」なんて句が思い浮かんだ。

「戦艦ポチョムキン1976年完全版」
ショスタコーヴィチ「交響曲11番1905年 第2楽章1月9日」
有名な階段のシーン。つーか、ショスタコーヴィチのほとんどの交響曲から引用されてたような。

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