2020年8月10日 (月)

『モンゴル紀行』(1972年)を読んでみたらおもしろい発見があった

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 小澤重男さんと言えば、岩波文庫版『元朝秘史』や『元朝秘史全釈 』で大いにお世話になった(翻訳時に参照しまくった)ので、小澤重男=元朝秘史ぐらいのイメージができあがっていたのだが、この本に小澤さんが山登りする話が書いてあるらしいと知り、「そんなスポーツマンな面もあったのか!」と少々意外に思って気になっていた、、、割にはツンドラ……いや積ん読になっていたので、今更ながら読んでみた。

 

 読んでみたら、あらすごい。「山登り」程度の話じゃなくて、モンゴル西部の未登峰ハルヒラーに、しかも隊長として挑むというガチな話。いまどきの日曜登山家がホイホイ難しい山に登っちゃうのとはわけが違う。何かすごい。

しかもこれ、日本とモンゴルの間に国交がない時代の話なんだよね。モンゴル人力士が日本で大勢相撲を取っている今からは想像しにくい時代だなぁ……と思ったけど、やっぱりモンゴルだなぁと思えるところはそこかしこにあった。良いところにしろ、悪いところにしろ(笑)。

 

 でも、さすがにその辺の草っ原に飛行機(国内線ではあるが)が離着陸ってのは、今はないだろうなぁ。「そういうの、ノモンハン(ハルヒン=ゴル)戦記とかで読んだことあるぞ」って思ってしまった。……でもわからない。そんなにモンゴルを極めたわけではないので、地方空港へ行ったら案外その辺の好きなところに着陸するスタイルだったりして。
 全体の分量の半分以上が、山そのものに着くまでのあれこれの困難と、登頂後のモンゴルの歓待ぶり。登山そのものの記述よりずっと多かったので、アネクドートの「レーニンと会った農民が出版した本」みたいになっとる(笑)。

 

 とはいえ、登山の拠点となる地方都市がウラーンゴム(オラーンゴム、ウランコムとも)、しかもロシア(ソ連)経由で行く話だったので、「どうやって行くんだろう?」と興味津々ではあった。モンゴル西部とロシアは、ハイウェイで繋がってるとかいう話だったので。
 しかし、何のことはない。イルクーツクから飛行機でウランバートルへ飛んだだけだった。ちなみに、草っ原滑走路は、ウラーンゴムの話。

 

 ところで、なぜウラーンゴムかというと、ルーン文字碑文と同時期(9世紀前半)に建立されたと覚しきウィグル文字の碑文があるから(何が書かれているかはシェルバク『ターキッシュ・ルーン テュルク人最古の文字の起源』参照)。本文中ではこの碑文に全く言及されていなかったけどね。そのため、見過ごしそうになったが、この碑、挿し絵の写真に写っているではないか! 

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ウラーンゴム博物館の前に建っている碑。間違いない。

 

 露天に雨ざらしなのでレプリカかもしれないが、当時のモンゴルだったら、オリジナルが雨ざらしってこともあり得る。まぁ、今ではさすがにそんなことはなかろうが。

 

 直接関係ないナー、と思っても、どこにどんなお宝が潜んでいるかわからない。自分の担当地域(笑)の情報は、片っ端から洗っておくに越したことはないもんだ。

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2019年6月 9日 (日)

『大旅行記』の家島彦一氏の講演を聴きに行ったよ

第五回三笠宮オリエント学術賞授賞式の記念講演なのかな?

 家島彦一氏のイブン・バットゥータについての講演会を聴きに行ったよ。

 一般の人(私のような)も混じっているということで、あまり専門的な話ではないということだったけれども、イブン・バットゥータについて話しても話しても話し足りない、彼の旅行や手稿本について調べるのが楽しくて楽しくて仕方ない、というのがバンバン伝わってきて、平凡社東洋文庫の『大旅行記』もジョチ=ウルス関連のところしか読んでなかったけれども、そんなにおもしろいなら、他のところも読みたくなってきた(←思惑通りの反応?)。


最初から読んでみたくなってきた!

 だいたい、私の担当(?押し?)の時代は、テュルクでもモンゴルでもイスラムじゃない時代なので、イスラム世界の常識がイマイチわかっていないんだよねー。だから、ラシードの言ってることがナンノコッチャってところがある。特に『モンゴル史』第1章。『大旅行記』は註も充実しているから、楽しみながら読んでイスラムに親しんでおこう、と思った。

……てなことを考えながら地下鉄に乗っていたら、つい九段下まで乗り越してしまい、仕方なく降りる羽目に。で、久々にナウカに行ったら、オルホン、イェニセイだけでなく、タラス及びチュー、イルティシ、イリ、シル=ダリヤ、ヤイーク(ウラル)といろいろな場所で発見された古代トルコ=ルーン体(突厥)文字碑文・銘文の載ってる本があった!

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こんなヤツ↑『古代テュルク文字の歴史と理論』

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中身はこんな感じ

 昨年のウィグル・ルーン体文字碑文の薄い本を作った時は楽しかったなぁ、やっぱ突厥・ウィグル碑文関連で何かやりたいよなぁ、と思ってしまった。

 夏には、『モンゴル史4』の改訂版を準備中。そろそろこれで部族篇も完成だからと、底本になっているロシア語訳『集史』の訳者ヘタグーロフさんに関するお話「交響曲第七番 レニングラード」をweb上で読めるように公開しておいた。

 しかし、ルーン文字関連のもやりたいし、ロシア人名に関する本についても相談中だし、あれもこれもやりたいこと多すぎ(笑)。
 やりたいこと全部にどっぷり浸かれるだけの時間と体力と集中力が欲しいもんじゃのぅ。

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2019年1月 3日 (木)

2019年明けましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

さて、突厥の聖数といえば「七」!

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……ということで、近所の星宮神社に行ってみました。ええ、千葉氏一族の居城跡にある妙見(北斗七星)信仰の社です。……そういえば新年初めて訪ねた神社ということで、初詣になるのか、これ?(ウチの氏神ではない……ハズ)

空堀と土塁がよく残ってるって言うけど、サッパリわからんかった。城には良い場所だとは思ったけどね。古墳もあったというし。

今年は突厥関係の大きな仕事が入ってきますようにナムナム……って、突厥は妙見さんの管轄外か? むしろ、狼信仰のどこかにお願いした方がいいかな(笑)。

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2018年12月23日 (日)

年末寒波爺到来でもこれで大丈夫@土西へ17a

あわあわしてるうちに、コミケットまで1週間を切ってしまいました!
気になる年末の天気ですが……

本年最強寒波爺(ジェッド・マロース)襲来!

……だそうで。

ちゃんと足先ホカホカのヤツを用意しましたよ。

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露天のようなものなので、じっと座っていると冷えますが、ちゃんと対策しておけば、そんなに寒いとも思わないんですけどね。夏ノ方ガヨッポド地獄ジャ

何年か前にリアノーボスチが凍傷防止の心得として出していた動画には、

①朝食を食べる②アンダーシャツを着込み、靴下も履き、スニーカーでなくブーツを履く③手袋、マフラーをして帽子を被る

……なんてあったけど、その通りでしょう。特に朝食は大事よ。

……参加者は朝まで準備に追われ、亡者のようになってやって来るのかもしれないけど、朝ご飯しっかり食べると、随分違いますぞ~。

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このように本自体はできているので、何か配付資料ができないかと今やってます(汗)。

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2018年11月14日 (水)

コミックマーケット95に参加します

コミケット95「群雄」土曜日西地区 "へ " 17a

 群雄堂書店は、冬コミ参加しますよ~。

 薄いけど、ウィグル=カガン国時代のルーン文字碑文関連の資料翻訳済みなので、何とかして出したいと思います。本当にうっすいケド(32頁くらい?)……。

 まだ、荒訳しただけだけど、既にクワルナフの馬頭さんにカッコイイ地図を作ってもらったので、落とすわけにはいかない。自分で自分の尻に火を付けてみた!みたいな(笑)。

 なんでも、群雄は夏に取材を受けた何とかいう雑誌に載るとかなんとかいう噂なので、全く新刊がないのは寂しいなーと思ってひねり出しました。夏コミから時間がないからこんなんで許してー……っていうか、さっさと校正しろー>自分

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2018年8月29日 (水)

プーさんの夏休みに思う冬に出すかもしれないウィグル本の話

 こちらプーさんの夏休み@トゥヴァです。↓

Отдых в Туве: как Путин провёл выходные на Енисее (プーチンの休日@エニセイ)

 トゥヴァは、接待しているショイグさんの出身地でもあるけど、こういう帰属問題があるところに積極的に大統領が出向いてパフォーマンスするってのは、「ここはロシアの領土である」という強いアピールでもあるんだろうね。

 トゥヴァにあるポル=バジン遺跡についての研究に国からお金が出るってのも、まぁ、その一環なんじゃないの。んで、どんどん研究成果を出して各国の研究者が引用していけば、ロシアの一部というイメージは固まっていくわけじゃん?

 で、突然なんでトゥヴァの話を始めたかって言うと、先日のコミケットで、露語版『集史(年代記集成)』へロマスケーヴィチの書いた序文を配ったけど、「手作業でやるの大変だから、印刷に回したらどうか?」と、編集長から提案があったんだよね。

 でも、8ページだと「薄い本」というよりはチラシ。

 なので、先日の編集会議(という名の飲み会)で、「せっかく印刷に回すなら、以前ポル=バジンについての論文を読んで半端に訳したのがあるから、どうせ小冊子を出すならそれの方が良いんで内海?」ちう話をしたわけ。ウィグル=カガン国のルーン体文字の碑文については、大昔に訳したのが他にもあるし。

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編集会議で食した中近東のスイーツとコーヒー

 と、いうわけで、もしかしたら冬コミには、ウィグルの突厥文字碑文についての薄い本が出るかもしれないです。

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2018年1月23日 (火)

ハザールの「旧約的」歴史観は『集史』に影響を与えたのだろうか?

 ふぅ、ようやく『集史』の総序に当たる部分の翻訳できた。

 今かよ! おせーよ! 冬コミ間に合わなかったじゃん!……というツッコミは自分でしとくとして。

 なんか、まだ、「???」って箇所があるんだけどねぇ。とりあえずは出来た!!!

 あんまりぐだぐだやっててもしかたないんで、なんとか『モンゴル史』「部族編1」の改訂にくっつけて夏までには出したいもんだ。なぜか「部族篇1」が一番出るんだよなぁ。なんで?

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千葉県花なので(?)もう咲いてるよん

「部族編1」は、イスラム教的世界史の中に、モンゴルをどうやって位置づけるかってことでオグズ説話が出てくる章だ。

 なので、『集史』にも言及している『普遍史の変貌―ペルシア語文化圏における形成と展開―』を読み始めた。

 ところで最近、別件でハザール可汗国のことを調べていて、ハザールの可汗ヨセフがアンダルス(後ウマイヤ朝)のハスダイに出した返書をじっくり読んだ。そしたら、ヨセフが物語るハザールの位置づけが「部族篇1」に出てるオグズの位置づけによく似てるじゃあーりませんか!

 ハザールはオグズじゃないしムスリムでもないから、オグズ説話は出てこないんだけど、ハザール族の祖とされるハザールを、やはりノアの子ヤペテの曾孫の位置に入れているんだよね。オグズ(グズ)とも兄弟になってるし、よく似てるなーと思って。ひょっとして、ハザールの歴史観が『集史』に継承されているんじゃね?

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ハザールの海……ではない

 ラシードも、参考にした書物にユダヤの五書を挙げてるから、元ネタは同じなのかもしれない。そもそも、ラシードはユダヤの書物に詳しいかもしれないし。それにしても似た感じがするんだよなぁ。『王書』だと、テュルクの祖はフェリドゥーンの息子から出てるはずだから、全然ペルシャ的ではなさそう。

「普遍史」にテュルクを組み込む試みってのは、イスラム世界の世界観に先行して、ハザールのユダヤ教的世界観があったのかもしれないなー、なんて考えたりして。

『普遍史の変貌』には、その辺、書いてあるかなー? 目を皿のようにして読みますぞー。

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2017年1月17日 (火)

「ラノベのようにすらすら読める集史」シリーズ第二弾が出たよ

 Kindleアンリミテッド人気にあやかろうと、始めた『ラノベのようにすらすら読める集史』シリーズ。ようやく第二弾ができました。もっとサクサク出そうと思ってたのに、めちゃめちゃ手間取ってしまいました。ひえ~。

 どうでしょう。読みやすくなっているでしょうか???

 でさでさ、イスタンブル写本系の特徴で、例の「トゥンガイドとトゥマウドの中身が逆になっている」ってヤツとか直してないんだよね。
「引っかからずにすらすら~ッと読める、っていうのがウリなら直せよ?」
と思ったりもしました。

 でも、自分ではラノベのように気軽に読めるようリライトしたつもりでいても、結局、読むのはそういう写本の違いまで熟知している歴史マニアだけだから大丈夫なんじゃないか???と思ってそのままなんですけど!(群雄堂版には、書いてあるしね!)

 どうでしょう? ご意見ご感想お寄せください。 

なるほど、違いがわからん!

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2016年7月23日 (土)

ハザール帝国時代の墓地を発掘しているよ

シンフェローポリ市(クリミア)のサイトによると、東ボスポロス調査隊がケルチ市郊外クズ=アウル遺跡でハザル可汗国(ハザール帝国)時代のアランと見られる人々の墓を発掘したと報じています!

2016年7月21日
クリミアで考古学者が古代の墓地を発見(写真あり)←というかほとんど写真

場所はケルチの郊外です。
上の記事の写真見ると、海に臨む高台(海岸段丘の上)のようですね。
古墳好きも納得の(?)良さげロケーションです。

 プレス・リリースによると、手に持ってるのが石英塊、銅製の装飾品とおもり。1~1歳半の子供が埋葬されてました。その遺骨の上には玉髄の大きなビーズ。5~8世紀のいわゆる「サルトフ=マヤーツカヤ文化」に属しているものである事が判明しています。というわけで、この墓の被葬者はハザル可汗国を構成していたアランであったとみなされています。

 遺骸は法医学鑑定ののち発掘物共々クリミアの博物館に収められるとのことですが、具体的な館名が書いてない…クリミアにあるのなら、いずれにせよ、なかなか行くのが難儀そうな(政治的に)所でしょうなぁ。

 ハザールってだけでユダヤがどうのー、アシュケナージがどうのー、色々面倒くさい事を言ってくる人がいるのに、クリミアかよ!って思いますが、政治的意図があるからそこら辺から発掘費用が出てくるんでしょうね。ポル=バジンなんかもそうでしょう。わざわざプーチンが見に来たりしてさ。

 考古学なんて浮き世のどろどろからほど遠い、純粋でひたむきな学問のようなイメージがありますが、なかなかに生臭い事でございます。

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2016年5月22日 (日)

講演会「文字のシルクロード」聞きに行ったよ

 古代オリエント博物館で開催中の「世界の文字の物語 ―ユーラシア 文字の形―」展にあわせて開かれた「文字のシルクロード:西アジアから東アジアへ」という講演会に行ってきました。アラム系の文字たちと聞けば行かない訳にはいきますまい(笑)。

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お題(記憶頼り)と講師は次の通り。

下釜和也「はじめに ユーラシアの文字について」
柴田大輔「楔形文字」
永井正勝「古代エジプトの文字文化とアルファベットの誕生」
春田晴郎「西アジアのアラム系文字とシルクロードの文字」
荒川慎太郎「東アジアの文字世界―漢字とそれをとりまく文字」

 それにしても、大盛況でした。博物館や会議室に行き着くまでのサンシャインシティの人出もすごかったけど(笑←アニメか何かのイベントやってたらしい)。
 会議室に椅子すごく追加してましたもん。さもなきゃ立ち見の150人程度。何がこれだけの人を引き寄せたのかよくわからないのですが、エジプトでしょうかね? アラム系文字とか西夏文字とかあまり人が集まるような出し物でもないような気がするんですが、いつの間にか世間ではメジャーになってたとかですかね??? でも、その人気も納得の興味深い話でした。

 どういうふうに文字ができてきたかその経過が比較的よくわかっている楔形文字は、そもそも、大規模な都市ができてきた時に多くの人間を統治する必要性から作られた、役所の実用的な文書がはじまりっていうのは、なにやら敦煌文書に通じる所があるなぁ、何て思いました。と、いうか役人のやってることは千年一日どころか五千年一日で変わらない?

 古代エジプトについては、聖刻文字と神官文字が最初から別々の文字であった、というのがいわゆるルーン体の突厥文字とウィグル文字との関係と似ているかも、と特に興味深かったです。ウィグル文字もルーン体の文字を崩してできたのではなく、両者が併用されてますもんね。あれも使い分けとかあるのかと不思議に思ってたので、そういう事なのかなぁ?と想像してました。展覧会場の方は、トニュクク碑文の拓本が展示されてたけど、ウィグル文字との関連は書かれていませんでしたかね?

 それにしても笑ったのは、「死者の書」製作の仕事を安く短期間で引き受けた書記が、先輩の書記の作品を使い回して素早く仕事を仕上げた話。たとえ話ですが、この時代からコピペがあったのかよ~。この時代にはコピペチェックツールはない…よね?(人間のやってることはあんまり変わらないから割とあったりして)。

 で、文字は衣装のようなものであって、こだわりであったり、威信であったり、民族衣装であるということは、必ずしもみんなにわかるコミュニケーションツールでなくてもいい、というのはなるほど、と思いました。これは西田龍雄氏の言葉で、西夏文字そのもののお話しはさわり程度だったのですが、雲南の色々な文字をとりあげたりと、何となく西田氏をフィーチャーしてるように感じられました。

 アラム系の文字が古代ペルシャで使われた理由が、広い帝国内での通信に、重い粘土板の楔形文字より、軽い羊皮紙のアラム文字っていうのが実利的で納得というか、その勢いでアラム系の文字は古代の日本にまで到達しちゃっているのだからすごい。でもここでもはじまりはやっぱり役人かぁ…(笑)。感覚的には、特定の宗教と結びついて遠くまで広がるのが多いような気がしてたんですが、それは二番煎じみたいなもんなんですかね。

 展示の中にも、オロンスムのキリスト教徒のシリア文字の墓誌銘等々のようなのがありましたが、宗教が文字の誕生や保存と深く関わっている例が印象が強いからそう思ってましたが、きちんと証拠を調べるとそうでもないものなんですね。

 で、オロンスムの近くに、ぽろっとソグド文字銘文入りのテュルギシュのコインが展示してあったのはうれしい予想外でした。方形の孔が空いていて、まるで中国の貨幣みたいな形なのにソグド文字…。ソグド人に作らせたのかと思ってたけど、違うんかーい。

 話を講演会に戻すと、最後は東アジアの漢字の影響をいろいろな形で受けた文字で、西夏文字も漢字と似た形のものは全くないにも関わらずこの仲間なのは、へんとつくりを組み合わせて作る、といった構造からだそうです。それにしても複雑な形。アレはどこから出て来たんでしょうね? 音? デザイン的な美しさ? 講演会場には西夏文字プリントしたTシャツ着てた方もいましたが…。

 漢字の影響で作られた文字以外にもありとあらゆる文字がある東アジアの中でも、雲南ナシ(魔些)族のトンパ文字や彝族(昔はロロと言った)彝文字(ロロ文字)は異色の存在だそうでして。系統不明…というか、トンパ文字は独自文字がたくさんある東アジア地区でも目立ちますよね。ロロ文字も横のものを縦にする系だと思うのですが、ウィグル文字と同じく全体を90度回すという方が発想としては自然なのかなぁ、と考えたりしました。突厥碑文なんかも横書きで刻んだのを碑文として縦に建ててますからね。私たち日本人は、漢文の影響で一つ一つの文字の向きは変えずに縦に並べ直すのが縦書きのスタンダードだと思い込んでますが。

 という訳かどうか、突厥文字もこの系統不明の仲間に入れられてました(アラム系だろうけど、完全に解明されている訳ではない)。本当に最初はどこなのか、できた過程がよくわからん…。

 あれこれ想像(妄想かも)の広がる楽しい講演会でした。やはり、本も読まにゃあ、だけど、専門家の話を聞きに行くのも良いですね。今後ブルガリアの歴史についての講演会もあるそうなので(2016年 7月2日(土)の講演会「古代ヨーロッパ文明の起源を探る」の事かな?)、参加出来たら参加したいものです。

中島敦『文字禍』。文字というとこれが思い浮かぶよなー、と思ってたら下釜さんが最初に取り上げてました。

最近見たこれ。西田龍雄監修の西夏語が光ってます。

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