2017年1月17日 (火)

「ラノベのようにすらすら読める集史」シリーズ第二弾が出たよ

 Kindleアンリミテッド人気にあやかろうと、始めた『ラノベのようにすらすら読める集史』シリーズ。ようやく第二弾ができました。もっとサクサク出そうと思ってたのに、めちゃめちゃ手間取ってしまいました。ひえ~。

 どうでしょう。読みやすくなっているでしょうか???

 でさでさ、イスタンブル写本系の特徴で、例の「トゥンガイドとトゥマウドの中身が逆になっている」ってヤツとか直してないんだよね。
「引っかからずにすらすら~ッと読める、っていうのがウリなら直せよ?」
と思ったりもしました。

 でも、自分ではラノベのように気軽に読めるようリライトしたつもりでいても、結局、読むのはそういう写本の違いまで熟知している歴史マニアだけだから大丈夫なんじゃないか???と思ってそのままなんですけど!(群雄堂版には、書いてあるしね!)

 どうでしょう? ご意見ご感想お寄せください。 

なるほど、違いがわからん!

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2016年7月23日 (土)

ハザール帝国時代の墓地を発掘しているよ

シンフェローポリ市(クリミア)のサイトによると、東ボスポロス調査隊がケルチ市郊外クズ=アウル遺跡でハザル可汗国(ハザール帝国)時代のアランと見られる人々の墓を発掘したと報じています!

2016年7月21日
クリミアで考古学者が古代の墓地を発見(写真あり)←というかほとんど写真

場所はケルチの郊外です。
上の記事の写真見ると、海に臨む高台(海岸段丘の上)のようですね。
古墳好きも納得の(?)良さげロケーションです。

 プレス・リリースによると、手に持ってるのが石英塊、銅製の装飾品とおもり。1~1歳半の子供が埋葬されてました。その遺骨の上には玉髄の大きなビーズ。5~8世紀のいわゆる「サルトフ=マヤーツカヤ文化」に属しているものである事が判明しています。というわけで、この墓の被葬者はハザル可汗国を構成していたアランであったとみなされています。

 遺骸は法医学鑑定ののち発掘物共々クリミアの博物館に収められるとのことですが、具体的な館名が書いてない…クリミアにあるのなら、いずれにせよ、なかなか行くのが難儀そうな(政治的に)所でしょうなぁ。

 ハザールってだけでユダヤがどうのー、アシュケナージがどうのー、色々面倒くさい事を言ってくる人がいるのに、クリミアかよ!って思いますが、政治的意図があるからそこら辺から発掘費用が出てくるんでしょうね。ポル=バジンなんかもそうでしょう。わざわざプーチンが見に来たりしてさ。

 考古学なんて浮き世のどろどろからほど遠い、純粋でひたむきな学問のようなイメージがありますが、なかなかに生臭い事でございます。

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2016年5月22日 (日)

講演会「文字のシルクロード」聞きに行ったよ

 古代オリエント博物館で開催中の「世界の文字の物語 ―ユーラシア 文字の形―」展にあわせて開かれた「文字のシルクロード:西アジアから東アジアへ」という講演会に行ってきました。アラム系の文字たちと聞けば行かない訳にはいきますまい(笑)。

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お題(記憶頼り)と講師は次の通り。

下釜和也「はじめに ユーラシアの文字について」
柴田大輔「楔形文字」
永井正勝「古代エジプトの文字文化とアルファベットの誕生」
春田晴郎「西アジアのアラム系文字とシルクロードの文字」
荒川慎太郎「東アジアの文字世界―漢字とそれをとりまく文字」

 それにしても、大盛況でした。博物館や会議室に行き着くまでのサンシャインシティの人出もすごかったけど(笑←アニメか何かのイベントやってたらしい)。
 会議室に椅子すごく追加してましたもん。さもなきゃ立ち見の150人程度。何がこれだけの人を引き寄せたのかよくわからないのですが、エジプトでしょうかね? アラム系文字とか西夏文字とかあまり人が集まるような出し物でもないような気がするんですが、いつの間にか世間ではメジャーになってたとかですかね??? でも、その人気も納得の興味深い話でした。

 どういうふうに文字ができてきたかその経過が比較的よくわかっている楔形文字は、そもそも、大規模な都市ができてきた時に多くの人間を統治する必要性から作られた、役所の実用的な文書がはじまりっていうのは、なにやら敦煌文書に通じる所があるなぁ、何て思いました。と、いうか役人のやってることは千年一日どころか五千年一日で変わらない?

 古代エジプトについては、聖刻文字と神官文字が最初から別々の文字であった、というのがいわゆるルーン体の突厥文字とウィグル文字との関係と似ているかも、と特に興味深かったです。ウィグル文字もルーン体の文字を崩してできたのではなく、両者が併用されてますもんね。あれも使い分けとかあるのかと不思議に思ってたので、そういう事なのかなぁ?と想像してました。展覧会場の方は、トニュクク碑文の拓本が展示されてたけど、ウィグル文字との関連は書かれていませんでしたかね?

 それにしても笑ったのは、「死者の書」製作の仕事を安く短期間で引き受けた書記が、先輩の書記の作品を使い回して素早く仕事を仕上げた話。たとえ話ですが、この時代からコピペがあったのかよ~。この時代にはコピペチェックツールはない…よね?(人間のやってることはあんまり変わらないから割とあったりして)。

 で、文字は衣装のようなものであって、こだわりであったり、威信であったり、民族衣装であるということは、必ずしもみんなにわかるコミュニケーションツールでなくてもいい、というのはなるほど、と思いました。これは西田龍雄氏の言葉で、西夏文字そのもののお話しはさわり程度だったのですが、雲南の色々な文字をとりあげたりと、何となく西田氏をフィーチャーしてるように感じられました。

 アラム系の文字が古代ペルシャで使われた理由が、広い帝国内での通信に、重い粘土板の楔形文字より、軽い羊皮紙のアラム文字っていうのが実利的で納得というか、その勢いでアラム系の文字は古代の日本にまで到達しちゃっているのだからすごい。でもここでもはじまりはやっぱり役人かぁ…(笑)。感覚的には、特定の宗教と結びついて遠くまで広がるのが多いような気がしてたんですが、それは二番煎じみたいなもんなんですかね。

 展示の中にも、オロンスムのキリスト教徒のシリア文字の墓誌銘等々のようなのがありましたが、宗教が文字の誕生や保存と深く関わっている例が印象が強いからそう思ってましたが、きちんと証拠を調べるとそうでもないものなんですね。

 で、オロンスムの近くに、ぽろっとソグド文字銘文入りのテュルギシュのコインが展示してあったのはうれしい予想外でした。方形の孔が空いていて、まるで中国の貨幣みたいな形なのにソグド文字…。ソグド人に作らせたのかと思ってたけど、違うんかーい。

 話を講演会に戻すと、最後は東アジアの漢字の影響をいろいろな形で受けた文字で、西夏文字も漢字と似た形のものは全くないにも関わらずこの仲間なのは、へんとつくりを組み合わせて作る、といった構造からだそうです。それにしても複雑な形。アレはどこから出て来たんでしょうね? 音? デザイン的な美しさ? 講演会場には西夏文字プリントしたTシャツ着てた方もいましたが…。

 漢字の影響で作られた文字以外にもありとあらゆる文字がある東アジアの中でも、雲南ナシ(魔些)族のトンパ文字や彝族(昔はロロと言った)彝文字(ロロ文字)は異色の存在だそうでして。系統不明…というか、トンパ文字は独自文字がたくさんある東アジア地区でも目立ちますよね。ロロ文字も横のものを縦にする系だと思うのですが、ウィグル文字と同じく全体を90度回すという方が発想としては自然なのかなぁ、と考えたりしました。突厥碑文なんかも横書きで刻んだのを碑文として縦に建ててますからね。私たち日本人は、漢文の影響で一つ一つの文字の向きは変えずに縦に並べ直すのが縦書きのスタンダードだと思い込んでますが。

 という訳かどうか、突厥文字もこの系統不明の仲間に入れられてました(アラム系だろうけど、完全に解明されている訳ではない)。本当に最初はどこなのか、できた過程がよくわからん…。

 あれこれ想像(妄想かも)の広がる楽しい講演会でした。やはり、本も読まにゃあ、だけど、専門家の話を聞きに行くのも良いですね。今後ブルガリアの歴史についての講演会もあるそうなので(2016年 7月2日(土)の講演会「古代ヨーロッパ文明の起源を探る」の事かな?)、参加出来たら参加したいものです。

中島敦『文字禍』。文字というとこれが思い浮かぶよなー、と思ってたら下釜さんが最初に取り上げてました。

最近見たこれ。西田龍雄監修の西夏語が光ってます。

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2007年7月 1日 (日)

【翻3-e】6月のまとめ

 6月は、突厥が祭祀をする季節、ということで突厥関連の資料「ソグドとテュルク」翻訳をやった時に、ちょっとおもしろいと思った事をテーマに、一連の特集記事を書いてみました。

 しかーし。
「ちょっとおもしろいと思ってネタ集め」

「他人様にお見せしても(あまり)恥ずかしくない記事にする」
までの間が予想以上にたいへんでした。

 もちろん、その過程で関連の本を読んだり、各国語辞書を引きまくったり、漠然と「おもしろいなぁ」と思ってただけより、より深く幅広く理解ができ、とても自分の勉強になりました。

 また、毎日更新してる人ってすごいなぁ、と改めて思った次第。
 不十分とはいえ、結構前もってネタ集めとか下調べしていて、それでもかろうじて…しかもたった1か月の特集なのに、これだけ振り回されてるんだから。

 コメントを下さった方、読んでくださった方、ありがとうございます。
「誰かが読む」という緊迫感が1か月何とか持ちこたえる力になりました。

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目次代わりにリンクを一覧にしてみました。

S. G. クリャシトルヌィ著「中央アジア史史料としての古代テュルク=ルーン文字碑文」モスクワ・ナウカ出版社1964年
第3章 ソグドとテュルクより

第1節 ソグド

【翻3-0】まえがき
【翻3-1】ボリシェビキ…?
【翻3-2】ツァーリ≡ハーン
【翻3-3】冠詞と人民
【翻3-4】人々が先か、国家が先か
【翻3-5】胡瓜の王子さま
【翻3-6】襲い掛かるもの
【翻3-7】漢の武帝
【翻3-8】キタイと契丹
【翻3-9】熱河作戦
【翻3-10】ソグド自治管区
【翻3-11】淮陽王武延秀
【翻3-12】傀儡(くぐつ)
【翻3-13】仏陀の娘
【翻3-14】唐におけるクニャージの立場
【翻3-15】世界の中心
【翻3-16】陝西と山西
【翻3-17】バルバロイ
【翻3-18】オルドスのソグド聚落
【翻3-19】城塞都市
【翻3-20】セリンディアのペリオイキス
【翻3-21】姑臧問題
【翻3-22】風の道

第2節 テュルク

【翻3-23】ホルVSリン 熱闘!ケサル王
【翻3-24】匈奴とフンの関係

第3節 アルグゥの国

【翻3-25】カシュガルのマフムード
【翻3-26】「キオスク」はトルコ語か?
【翻3-27】都市国家
【翻3-28】キリスト教徒いろいろ
【翻3-29】ウルスとは、人々…とは限らない
【翻3-30】カガンのフィギュア

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2007年6月30日 (土)

【翻3-30】カガンのフィギュア

подставная фигура ぱつたう゛なーや ふぃぐーら

 パツタブナーヤは、偽のとかダミーのという意味。フィグーラは図形、彫像、人間、(人間の)姿…要するに、英語のfigure。
 ぴったり来る名詞が思いつかないで「形骸化した」と意訳にしてみたが、これは【翻3-12】傀儡(くぐつ)で中宗、睿宗が武則天の手の中で操られるマリオネットになっているのより更にひどく、西突厥のカガンがお飾りのお人形さんになっている様を表していて、まさに「フィギュア」。マリオネットなら、まだ動いたり踊ったりもするんだけどね~。フィギュアは飾るだけ…。

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 あ゛ーーー、最後のシメがこんなんで良いんだろうか~。
 …でも順番だからしょうがないか~。

 そういえば、「第2節 テュルク」の参考文献をあげてなかった。資料を書き込もうとした記事がボツになったせいもあるけど、実のところまだよく調べてないのであんまりないのです。今後の課題ということで…。…というか、手元にある資料もよく読み直さなければならないな、という気持ちで一杯です。
 とりあえず、「第3節 アルグゥの国」、気がついた分だけでもあげておきます。

参考文献:
玄奘著 水谷真成訳『大唐西域記1』平凡社東洋文庫653
Saiikiki1
1999年5月
(「中国古典文学大系」1971年11月の一冊だったものの再版)
56~68頁



護雅夫『古代トルコ民族史研究II
Noimage11992年 山川出版社
「いわゆるテュルギシュの銅銭について」





内藤みどり『西突厥史の研究
Nishi1988年2月 早稲田大学出版会
「砕葉の牙庭と羯丹山」1~21頁、
「初代砕葉鎮と唐軍に軍糧を送った安国」21~29頁





内藤みどり「突厥カプガン可汗の北庭攻撃」東洋学報 第76巻第3・4号 1995年3月

護雅夫訳『中央アジア・蒙古旅行記
Noimage1桃源社 1969年1月
197、198頁。ルブルクのギョームの言う「オルガヌム」は「アルグゥ」の国が訛って伝わったものだという話。

東西交渉旅行記全集〈1〉中央アジア・蒙古旅行記(1965年)の新装版。


佐藤長『古代チベット史研究Noimage1東洋史研究会 昭和34年10月
「ロンチンリンの活動」p.344-361

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2007年6月29日 (金)

【翻3-29】ウルスとは、人々…とは限らない

улус うるーす

 かつてNHK大河ドラマ「北条時宗」にも、
「ウルスとは、人々。」
と出てたくらい有名なテュルク語/モンゴル語の単語だけれど、岩波ロシア語辞典には、こう解説してある。(1、2の意味は、↑と同じなので省略)

3〔史〕(ウラル・シベリア地方のチュルク系・モンゴル系民族の)村落、宿営地.

 突厥碑文に、soγd bercheler buqaraq ulus(ソグド ベルチェレル ブカラク ウルス)というナゾの(当時)語結合があり、これをどう解釈するかで大論争になってたらしいのだが、突厥碑文の言語がテュルク語だからulusは「人々」と言う意味だ、と思いこんでいると、合理的な説明が絶対できない。しかし、ロシア語に痕跡がバッチリ残っていたんだね。
 クリャシトルヌィが引用するマフムード=アルカーシュガリーの「ディーワーン=ルガート=アットゥルク(テュルク諸語集成)」のulush(ulus)の説明は、

「ウルシュ…チギルの言葉で村落だが、アルグゥの国、バラサグンおよびその周辺の住民のもとでは都市を意味する。そのため、バラサグンの都市は、クズ=ウルシュと呼ばれる」259。

と、第一義に「村落」、一部地方で「都市」。でも、「ディーワーン=ルガート=アットゥルク」のような、雲の上の辞書(爆)の血を引くような意味が手元のごくありふれたロシア語の辞書(トルコ語の辞書じゃないよ、ロシア語だよ)に出てるって、なんだか感心した。

 「ウルス」みたいなわかりきってる(と思ってるだけかもしれない)単語って、辞書引かないもんねぇ。でも基本語彙ほど難しいってのは、人類普遍の法則(笑)だと思う。

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2007年6月28日 (木)

【翻3-28】キリスト教徒いろいろ

несториане にすたりあーにぇ(?)

 たぶん、キリスト教ネストリウス派のこと。
 その複数形だろうけど、こういう特殊な形の複数形で思い浮かんだのが、

армяне (あるみゃーにぇ アルメニア人)
крестьяне(くりすちやーにぇ 農民)
христиане(ふりすちあーにぇ キリスト教徒)
…あれれ、キリスト教つながり?  なんか語の成り立ちの歴史に意味があるのか???

 この項では、ちょうど碑文の言語の複数形が話題になってるし、チベットの年代記で「ガルタグゥがソグドに捕らえられた」って引用箇所で、「ソグダグ」の「ダク」をチベット語の複数形の語尾と見て「ソグたち」と訳してあったりしたので、複数形ネタで。

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2007年6月27日 (水)

【翻3-27】都市国家

город ごーらと

都市、市、街。город Москва(ごーらと ますくう゛ぁ モスクワ市)という時の~市でもあるし、城と訳さないとヘンな箇所もある。
【翻3-18】オルドスのソグド聚落のколония(かろーにや 居留地、植民地)の対になる言葉のように使われているような感じもするし、колония自体も含まれているような感じの箇所もある。そういうところはきっと、都市国家ポリスpolisの訳語なんだろうな、と考えて「都市」にした。もちろん、植民市コロニーに対してはっきり母市と言いたい時には、метрополия(みとらぽーりや 母都、本国)が使われている。それでも、город(ごーらと)自体のニュアンスがもともとポリスっぽい。

古代ギリシャにたとえていろいろなことを説明している(例えば、ペリオイコイとかアンフィクテュオニアとか)のは、教養あるヨーロッパの人たちにはそういうのがわかりやすいんだろうけれども、教養のない者(←わたすです)をヒィヒィ言わせてくれるよなぁ(苦笑)。

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2007年6月26日 (火)

【翻3-26】「キオスク」はトルコ語か?

кёшки きょーしき

 たぶん、トルコ語でいうところのköşk(キョシュク 別荘、離れ)のことだろう。ロシア語のкиоск(きおーすく 売店、キオスク、(東洋風の)園亭)はここから来ているんじゃないかと思うんだけど、手元の語源辞典には載ってない。
 某鉄道会社の売店にこの名前が付いていて、トルコ語からとったって説明されていることがあるような気がするが、あれはどう見てもロシア語の形であって、トルコ語には見えないんだけど…。まー、どうせロシア語にはタタル語経由で入ったんだろうが。
 しかもköşkって、本来のトルコ語ではないらしく、トルコ語辞書を見ると、ペルシャ語って説明されている。ペルシャ語辞典は全然引けなかったので(字からして読めない)英和辞典を見てみると、

>ペルシャ語「宮殿」の意

と解説されてる。宮殿~~~(爆)。


【3-26】参考資料:
竹内和夫著『トルコ語辞典 改訂増補版』大学書林 1996年10月
Tjsozluk








N. M. シャンスキー、T. A. ボブロヴァ『ロシア語語源辞典』1994年
Н. М. ШАНСКИЙ Т. А. БОБРОВА ЭТИМОЛОГИЧЕСКИЙ СЛОВАРЬ РУССКОГО ЯЗЫКА "ПРОЗЕРПИНА" ТОО "ШКОЛА" МОСКВА 1994
Etymological_dictionary
「小」とはどこにも書いてはないが、小さい辞典なので小辞典なのかもしれない。だって、フランス語とかドイツ語とか比較的近年(17世紀とか)に入ってきた単語だけでなく、ラテン語、ギリシャ語起源なんてのは載ってるクセに、明らかにトルコ語、モンゴル語ってのはあんまり出てないんだもの。

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2007年6月25日 (月)

【翻3-25】カシュガルのマフムード

Махмуд Кашгарский まふむーと かしがーるすきー

 マフムード=カシュガルスキーって(笑)。なんか半端にロシア語になってるな~。カシュガルのマフムードって、まぁその通りなんだけど、なんだか変な感じ。日本では、マフムード=アル=カーシュガリーと書くのが普通かな。

Прокопий Кесарийский (ぷらこーぴー けーさりーすきー カイサレイアのプロコピオス)の方がまだ馴染んでるかな?(←いや~、馴染んでないだろ)

 でも、このくらいじゃ驚かないもんね。このテの名前では、

Александр Македонский あれくさーんどる まけどーんすきー

 マケドニアのアレクサンドロス…大王とは思えないほど弱そうな名前になっちゃってるのを始めに聞いた時のインパクトに比べれば、どんな「…スキー」でも、ふーん、くらいのものである(笑)。

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