ドキュメンタリー「KGBシークレット・ファイルズ ノモンハン事件~第2次世界大戦への爪痕~」
KGB シークレット・ファイルズ ノモンハン事件~第2次世界大戦への爪痕~ [DVD]
2004年ロシア
制作:TV CHANNEL RUSSIA
ハルハ河会戦(またはノモンハン事件、ハルヒン・ゴル紛争ともいう)
1939年5月から9月にかけてモンゴルと満州の国境、ハルハ河付近でソ連・モンゴル軍と日本・満州軍が衝突した戦争。モンゴル人民共和国と満州国の国境紛争が、戦車や航空機を投入した赤軍と関東軍の大規模な戦闘に発展した。
双方とも多くの死傷者を出したにもかかわらず、「よくある国境紛争」として紛争中もその後も両国民に詳しい経緯が説明される事はなかった。
敵の侵入を阻止し得たとはいうものの、
指揮系統の混乱等の原因で7976名もの将兵が戦死したという事実を国民にひた隠しにしてきた、
脆弱な通信網
貧弱な補給線
将兵の訓練不足
ソ連軍の話である。
問題点が日本軍にあまりにも似ていて呆れた。こんなヘタレ軍隊に負けたのか、関東軍。大東亜戦争も始まってないのに終わってる。
○指揮系統の混乱
日本の奇襲を予知できずに事態の収拾にも失敗したフェクレンコをクビにして経験豊かで補給の大切さをよくわかっているグリゴリー・シュテルンに替えたため、ソ連軍のこの問題は徐々に改善していく。
現に7月9日にザバイカル軍管区と第57特別軍団を統合した「前線集団」の司令官にシュテルンが任命され、道路を造り電話線を引き、また規律を重んじて通信網、補給路、軍の組織を整えてからは日本軍は敵わなくなっているではないか。
その代わり、シュテルンよりあとに任命されたゲオルギー・ジューコフとの確執が問題になってくるが、シュテルンもジューコフのごり押しに負けてはいない。
○脆弱な通信網
部隊間の連絡がとれずに、友軍であるモンゴル騎兵を攻撃したり、ソ連機が自陣営を爆撃したり、歩兵(自動車化狙撃)部隊が迷子になって戦車部隊が単独で日本軍のただ中に突入したり、散々である。
誤射・誤爆は一度ならずあったらしく、ここで紹介されている報告書では「地上部隊は意気消沈した」とあっさり書かれているが、味方の誤爆くらいがっくりする話はない。
○貧弱な補給線
日本軍はソ連側の鉄道が数百km離れていて補給がうまくいかないことを期待したのだろうが、弾薬も食料も充分でない日本軍が歯を食いしばって叩いても、ソ連軍は翌日にはけろっと回復していて、物資は無尽蔵であるかのように見えたのは、前述のようなシュテルンの尽力のたまものだったのだ。
○将兵の訓練不足
ソ連兵は白兵戦を嫌ってすぐ逃げてしまったと日本側の参加者が度々指摘している。ソ連軍はウラル軍管区の予備役から編成されており、兵器を初めて手にする者さえ少なくなかったのだという。
ソ連(というかスターリン)ご自慢の航空部隊が初期に壊滅といっていいほどの打撃を受けたのも、ソ連の戦闘機イ15が96式戦闘機に比べ性能が劣っていたのに加え、パイロットの経験不足が大きかったという。
スムシケーヴィチ率いる経験豊かで腕の良いパイロットが投入され、またジューコフに鍛えられながら度重なる実戦で兵士たちの経験値は否応なくあがっていく。
…とまぁ、ソ連が弱点を克服していった様子を見るだけでも、戦いが長引けば長引くほど日本が勝てる気がしない。
それに加えて、ヨーロッパ情勢との絡みでソ連には決して負けられない理由があったのだという。
短いドキュメンタリーなので「知られざるハルヒン・ゴル」……ソ連の一般市民が平和に安心しきって暮らしていた裏で、赤軍が意外な脆さをさらけ出されてその克服に文字通り血を流していた点に重点が置かれ、日本軍については軽く触れられるだけだ。そのせいか、少々買いかぶりすぎだなぁ、と面映ゆく感じられる箇所もある。日本軍も実情はぐだぐだなんだけどなー。
ソ・モ軍の特徴や、個々の戦闘については日本側の資料とよく符合している。ソ連軍のナゾの行動の意味がわかるようなエピソードもあり、舞台のセットを裏から見るようなおもしろさ。日本軍がハルハ河を越えてモンゴル領に侵攻したとき(7月2日~5日バヤン・ツァガーンの戦闘)には、「ソ連軍はもう少しで壊滅するところだった。ヤバカッタ」なんて話を聞いたら悔しさのあまり卒倒する人もいるのではないだろうか。
そもそも、モンゴルはノモンハン・ブルド・オボーを通る線を、満州はハルハ河を国境だと主張しており、両国間の国境警備隊の間で小競り合いが絶えなかった。
日本は進んで戦う気もなかったが、かといって話し合いで解決する事も好まず、モンゴル軍が満州=日本の主張する国境線を越えて侵入してきた機を捉えて一撃を加えて出鼻をくじき、モンゴル、ひいてはその背後にいるソ連に手を出せば痛い目に遭うぞ、と思い知らせることによって国境線を安定させようと考えていたという。
しかし、思い知ったのは日本の方であった。日本はこの後、同盟国ドイツにいくら尻を叩かれても対ソ「第2戦線」を開くことはなかったのである。
参考資料:
■防衛庁防衛研修所戦史室著
『関東軍〈1〉対ソ戦備・ノモンハン事件 (1969年) (戦史叢書)』(朝雲新聞社)
■アルヴィン・クックス著/岩崎俊夫訳/秦郁彦監修
『ノモンハン 草原の日ソ戦-1939<上><下>
』(朝日新聞社)
■シーシキン著、シーモノフ著/田中克彦訳
『ノモンハンの戦い (岩波現代文庫)』(岩波書店)
■ア・ベ・ボロジェイキン著/林克也・太田多耕訳
『ノモンハン空戦記―ソ連空将の回想 (1964年) (フロンティア・ブックス)
』(弘文堂)
■マクシム・コロミーエツ著/小松徳仁訳/鈴木邦宏監修
『ノモンハン戦車戦―ロシアの発掘資料から検証するソ連軍対関東軍の封印された戦い (独ソ戦車戦シリーズ)』(大日本絵画)
■O.プレブ編/D.アルマース訳/田中克彦監修
『ハルハ河会戦 参戦兵士たちの回想』(恒文社)
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