2009年7月15日 (水)

ドキュメンタリー「KGBシークレット・ファイルズ ノモンハン事件~第2次世界大戦への爪痕~」

KGB シークレット・ファイルズ ノモンハン事件~第2次世界大戦への爪痕~ [DVD]
Halhin_gol2004年ロシア
制作:TV CHANNEL RUSSIA


ハルハ河会戦(またはノモンハン事件、ハルヒン・ゴル紛争ともいう)
 1939年5月から9月にかけてモンゴルと満州の国境、ハルハ河付近でソ連・モンゴル軍と日本・満州軍が衝突した戦争。モンゴル人民共和国と満州国の国境紛争が、戦車や航空機を投入した赤軍と関東軍の大規模な戦闘に発展した。
 双方とも多くの死傷者を出したにもかかわらず、「よくある国境紛争」として紛争中もその後も両国民に詳しい経緯が説明される事はなかった。

 敵の侵入を阻止し得たとはいうものの、

指揮系統の混乱
脆弱な通信網
貧弱な補給線
将兵の訓練不足
等の原因で7976名もの将兵が戦死したという事実を国民にひた隠しにしてきた、
ソ連軍の話である。

 問題点が日本軍にあまりにも似ていて呆れた。こんなヘタレ軍隊に負けたのか、関東軍。大東亜戦争も始まってないのに終わってる。

○指揮系統の混乱
 日本の奇襲を予知できずに事態の収拾にも失敗したフェクレンコをクビにして経験豊かで補給の大切さをよくわかっているグリゴリー・シュテルンに替えたため、ソ連軍のこの問題は徐々に改善していく。
 現に7月9日にザバイカル軍管区と第57特別軍団を統合した「前線集団」の司令官にシュテルンが任命され、道路を造り電話線を引き、また規律を重んじて通信網、補給路、軍の組織を整えてからは日本軍は敵わなくなっているではないか。
 その代わり、シュテルンよりあとに任命されたゲオルギー・ジューコフとの確執が問題になってくるが、シュテルンもジューコフのごり押しに負けてはいない。

○脆弱な通信網
 部隊間の連絡がとれずに、友軍であるモンゴル騎兵を攻撃したり、ソ連機が自陣営を爆撃したり、歩兵(自動車化狙撃)部隊が迷子になって戦車部隊が単独で日本軍のただ中に突入したり、散々である。
 誤射・誤爆は一度ならずあったらしく、ここで紹介されている報告書では「地上部隊は意気消沈した」とあっさり書かれているが、味方の誤爆くらいがっくりする話はない。

○貧弱な補給線
 日本軍はソ連側の鉄道が数百km離れていて補給がうまくいかないことを期待したのだろうが、弾薬も食料も充分でない日本軍が歯を食いしばって叩いても、ソ連軍は翌日にはけろっと回復していて、物資は無尽蔵であるかのように見えたのは、前述のようなシュテルンの尽力のたまものだったのだ。

○将兵の訓練不足
 ソ連兵は白兵戦を嫌ってすぐ逃げてしまったと日本側の参加者が度々指摘している。ソ連軍はウラル軍管区の予備役から編成されており、兵器を初めて手にする者さえ少なくなかったのだという。
 ソ連(というかスターリン)ご自慢の航空部隊が初期に壊滅といっていいほどの打撃を受けたのも、ソ連の戦闘機イ15が96式戦闘機に比べ性能が劣っていたのに加え、パイロットの経験不足が大きかったという。
 スムシケーヴィチ率いる経験豊かで腕の良いパイロットが投入され、またジューコフに鍛えられながら度重なる実戦で兵士たちの経験値は否応なくあがっていく。

 …とまぁ、ソ連が弱点を克服していった様子を見るだけでも、戦いが長引けば長引くほど日本が勝てる気がしない。
 それに加えて、ヨーロッパ情勢との絡みでソ連には決して負けられない理由があったのだという。

 短いドキュメンタリーなので「知られざるハルヒン・ゴル」……ソ連の一般市民が平和に安心しきって暮らしていた裏で、赤軍が意外な脆さをさらけ出されてその克服に文字通り血を流していた点に重点が置かれ、日本軍については軽く触れられるだけだ。そのせいか、少々買いかぶりすぎだなぁ、と面映ゆく感じられる箇所もある。日本軍も実情はぐだぐだなんだけどなー。

 ソ・モ軍の特徴や、個々の戦闘については日本側の資料とよく符合している。ソ連軍のナゾの行動の意味がわかるようなエピソードもあり、舞台のセットを裏から見るようなおもしろさ。日本軍がハルハ河を越えてモンゴル領に侵攻したとき(7月2日~5日バヤン・ツァガーンの戦闘)には、「ソ連軍はもう少しで壊滅するところだった。ヤバカッタ」なんて話を聞いたら悔しさのあまり卒倒する人もいるのではないだろうか。

 そもそも、モンゴルはノモンハン・ブルド・オボーを通る線を、満州はハルハ河を国境だと主張しており、両国間の国境警備隊の間で小競り合いが絶えなかった。
 日本は進んで戦う気もなかったが、かといって話し合いで解決する事も好まず、モンゴル軍が満州=日本の主張する国境線を越えて侵入してきた機を捉えて一撃を加えて出鼻をくじき、モンゴル、ひいてはその背後にいるソ連に手を出せば痛い目に遭うぞ、と思い知らせることによって国境線を安定させようと考えていたという。

 しかし、思い知ったのは日本の方であった。日本はこの後、同盟国ドイツにいくら尻を叩かれても対ソ「第2戦線」を開くことはなかったのである。


参考資料:
■防衛庁防衛研修所戦史室著
関東軍〈1〉対ソ戦備・ノモンハン事件 (1969年) (戦史叢書)』(朝雲新聞社)

■アルヴィン・クックス著/岩崎俊夫訳/秦郁彦監修
ノモンハン 草原の日ソ戦-1939<上><下>』(朝日新聞社)

■シーシキン著、シーモノフ著/田中克彦訳
ノモンハンの戦い (岩波現代文庫)』(岩波書店)

■ア・ベ・ボロジェイキン著/林克也・太田多耕訳
ノモンハン空戦記―ソ連空将の回想 (1964年) (フロンティア・ブックス)
』(弘文堂)

Khalkhingol■マクシム・コロミーエツ著/小松徳仁訳/鈴木邦宏監修
ノモンハン戦車戦―ロシアの発掘資料から検証するソ連軍対関東軍の封印された戦い (独ソ戦車戦シリーズ)』(大日本絵画)




■O.プレブ編/D.アルマース訳/田中克彦監修
ハルハ河会戦 参戦兵士たちの回想』(恒文社)

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2008年12月30日 (火)

馬がかわいかった映画のシーン

今思いついたネタですが。

「蒼き狼 成吉思汗の生涯」テムジン(子供の頃)の馬
Ookami1 これは以前感想文書いたときにも書いたけど、ベクテルの動きを追って首を動かすしぐさがすんごくかわいい。馬ってかわいいですね。と思って印象に残っている馬のかわいいしぐさを集めてみました。


 ……そういえば、アメリカ映画では馬のちょっとしたしぐさをかわいい~!!!と思ったってのが思いつかない。「夢駆ける馬ドリーマー」にカワイイ!を狙ったらしいシーンが幾つかあったけど自分的にはツボではなかった。萌えのポイントがアメリカ人とは違うんだろうか。

「モンゴル」ジャムカ(子供の頃)の馬
Mongol2 最初、テムジンと出会うところでジャムカが
「俺はジャムカ。おまえは誰だ?」
と問うところでジャムカの馬が鼻先をぬっと向けていて、まるで馬がそう尋ねたかのよう。吹き出しがあったら、尖ったところを馬に向けたい。こんな子供のうちから人馬一心同体のヤツらなんだな~という感じでかわいい。


「光と影のバラード」アンドレイの馬
Svoy 冒頭で手綱につかまったアンドレイを引っ張って遊んでいるのが仲良しって感じでかわいい。
この馬じゃないかもしれないが、本編でもアンドレイが
「何ぐずぐずしてるんださっさと来い!」
って誰に話してんのかと思ったら、ぱこぱこぱこって馬~~~!(笑) 人の言葉がわかるのかい。


「デイ・ウォッチ」ティムールの馬
 冒頭の場面で、ティムールが馬に毛氈を掛けてその腹の下で風雪をしのぎつつ、肉をかじりながら地図を検討している場面がある。あー、戦場じゃあこうやって馬を簡易テント代わりにして休むのか~、と思って感心していると馬がシャー……(笑)。ティムールが怒って馬をどづくという、大衆向け(?)ギャグ。このシリーズ、映画だとぶっ飛びギャグコメディにしか見えないんだけど、原作はシリアスなのかな?

「トゥヤーの結婚」センゲの馬
 お金持ちの幼なじみに嫁ごうとするトゥヤーをセンゲが追いかける場面で、さましくポニーといったちっこい馬(しかももさっとしている)に乗って道路の側溝のような所を走っていく場面が格好良かった。馬の顔もきりっとしていてかわいい。

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2008年11月 1日 (土)

ドキュメンタリー「IN THE WILD野生への旅 ジュリア・ロバーツwithモンゴリアン・ホース」

WildIN THE WILD~野生への旅~モンゴリアン・ホース

2000年イギリス
監督:ナイジェル・コール
出演:ジュリア・ロバーツ

 馬のことを考えると思わず叫んじゃうくらい馬大好きなジュリア・ロバーツがモンゴルの田舎にホームステイ。子供の頃から馬に乗ってる彼女でも、「野生に近い」モンゴル馬に乗るのは恐いと言ってる。うーん、モンゴル人が乗ってるの見ると易々と乗ってて小型でおとなしい馬に見えるんだけど。スポーツで乗るのと日々の生活で乗るのは違うって事か。こういう本当に馬を知ってる人の感想は興味深いな。

 「IN THE WILD」なのに家畜を扱ってるのはなぜかと思ったりもするが(蒙古野馬(タヒ)もほんのちょっと出てる)環境自体がワイルドだよな。ジュリアの感想の一言一言がモンゴルの気象の厳しさを思い出させてくれる。
 それにしても寒そうだ。野糞もカラカラ(笑)。

 それにしても、これテレビでやってた頃とはモンゴルはあらゆる面で激変してるんだろうな、と思うとちょっと感慨深い。

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2008年10月28日 (火)

映画「MONGOL」

Mongol2モンゴル

2007年ロシア/カザフスタン/ドイツ/モンゴル
監督:セルゲイ・ボドロフ
音楽:トーマス・カンテリネン/アルタン・ウラグ
キャスト:
テムジン(チンギス・ハーン)…浅野忠信
ボルテ…フラン・チュルーン
ジャムカ…スン・ホンレイ(孫紅雷)
タルグタイ…アマドゥ・ママダコフ
子供の頃のテムジン…オドナン・オドスレン
エスゲイ…バーサンジャプ

注意。先入観なしで見たい人は読まないでください。
劇場公開時に書いたネタバレなしの感想はこちら
Semenovs_footnotes
 タングート(西夏)から解放され久しぶりに家族と再会して幸せそうなテムジンにボルテが問う。
「モンゴルって何?」
この問いに対してテムジンはきちんと答えることができない。
「オレはモンゴルだよ」
と言うに留まる。もっとも、この問いに対するまっとうな答えなんてみたことないけどな。

 例えば『集史』。
 イランに行って国を建てたモンゴルの人たちは、ある者はモンゴル語を忘れ、祖先の勲功を忘れ、あるいは本来「モンゴル」と呼ばれていなかった部族の者がイル=ハンの威光を頼って自らをモンゴルと呼んだりして、「モンゴル」とはいったいどういう人たちなのかわからなくなってしまっていた。そんな中で宰相ラシードが『集史』を書いた動機のひとつは、「モンゴルとはこういうもんだ!」と若い人たちに教え諭すことだったのではないだろうか。
 しかし、その『集史』でさえダブルスタンダード的なところがあり、「モンゴルとは何か」を定義することに成功したかといえば、そうでもない。真剣に取り組んで考えた人ほど、単純明快な答えは出せないのだ。
 この映画の題名が「チンギス=ハーン」とか「成吉思汗の生涯」でなく「モンゴル」なのは、「民族とは何か」にも通じるこの問いが隠しテーマとなっているからだろう。個々のエピソードは随分『元朝秘史』を使っているのに、全体として『集史』くさい印象を受けるのは、同じテーマを取り上げているからではないだろうか。もちろん、ヨーロッパの人たちが読む順番としては『集史』→『秘史』だから、というのもあるんだろうが。

 テムジンがタングートという城郭に住む民に長いこと囚われていた、というのは「モンゴルとは何者か」を考える上では必須の要素だったんだろう。いきなりタングートのシーンで始まるのはなぜか、そう考えると見えてくる。
 もう一つ、映画の中でフェルトの家に住む民とは異質なものとしてメルキトが出てくる。『集史』にはメルキトが森の民(ホイン・イルゲン)と書かれている箇所はないが(むしろ、タイチウトがたびたび「森の民」と呼ばれている)、ここでは円錐形のテントに住む森の民として描かれている。これもかなりあれっと思うところだ。タイチウトはアラン=ゴアの子孫であり間違いなくモンゴルの一部族だから、これを森の民風に描いてしまったのではテーマがぼやける。なんつーか、わかっててやったな(笑)。ビジュアル的にもああいう変な格好(モンゴルから見て)したのが出てくるとおもしろいしな。

 ま、いずれにせよ、隠しテーマはあーだこーだと詮索するのも無粋な話で。世界の半分を支配する大帝国を築いたテムジンの若い頃の冒険譚(と強くて賢いボルテの大活躍)をもう一回見よっと。タルグタイとジャムカとしてみると何の違和感もないんだけど、ママダコフと孫さんが競演してるんだよなって考えながら見ると、なんだかシュールで気に入ってるんだぁ(笑)。

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2008年7月23日 (水)

映画「ストーン・カウンシル」

ストーン・カウンシル

2006年フランス
監督:ギョーム・ニクルー
キャスト:
ローラ…モニカ・ベルリッチ
リウ=サン…ニコラス・タウ
セルゲイ・マコフ…モーリッツ・ブライブトロイ
シビル…カトリーヌ・ドヌーヴ
カマル…ヨシ・オイダ

 モニカ・ベルリッチの全裸シーンが妙にいやらしいな。いかがわしい儀式じゃないはずなのに(笑)。身体を張った演技ってこのことか(笑)。そんなとこで張らんでもいいから、アクションシーンでもっと身体張ってよ。

 ひょっとして、ヨーロッパ人が考えるシャマンってこんななのかな。自分たちもクマやオオカミに変身できるくらい「森の人」なロシア人やドイツ人の考え方って、ヨーロッパでは特異なんだろうか。
 ファンタジーなんだからどんな設定でもいいだろ、とは思うが、それにしたって旧ソ連の超能力の軍事利用を持ち出すんならもう少し現実に近い設定にしないとあまりにも唐突な感じがするんだがなぁ。

 最初、呪術を操る者がそれぞれ自分の眷属みたいな動物を一種類ずつもってるのかと思い込んでた。それで、その動物がダメージを受けると本体も死んじゃう、みたいな。……それじゃまんま「ジョジョの奇妙な冒険」のスタンドだよ! でもどうもそうじゃないみたいだ。たぶん、シャマン同士が魂レベルで戦う話が下敷きになっているんだろうが、その解釈が何か変というか、独自の解釈なんじゃないかなぁ? それでそもそもついて行けない。

 そう、最初にローラがリウ=サン(この名前の意味についても説明されてなかったなぁ)を養子にもらいに行くのがイルクーツクなんだよね。それでソ連の情報機関が関わっているのに何で最終的にモンゴルに向かう???
 そりゃあ、ソ連のあった時代はモンゴルは16番目の共和国とか言われてほとんど植民地だったわけだけど、そんなのみんな忘れてるでしょ。っていうか忘れる前にそもそも覚えてないとかだね。バイカル湖の南西にあるツァガイ湖(架空の湖であるが、位置的にはフブスグル湖)周辺に住むツェヴェンという特殊な民族が出てくるが、架空民族だったら舞台がモンゴルである必然性が全くないワケで。モンゴル系の民族にどうしてもしたかったらブリャートとかアガでも良くないか? 『集史』引っ張り出してきて、
「……この辺り(バルグジン=トクム)は古来呪術が盛んであったと、ペルシャの歴史書にも書かれている……」
とか説明してバルグジン河上流の山岳タイガに分け入っていく方がもっともらしくないか? なんか、いろいろとすべっちゃってるんだよなぁ……。原作ではリアリティがある程度まで描写や説明があるんだろうが。母の愛を描きたいのなら、ローラの母親が助けてくれるようなシーンを入れられる箇所もあるのに、なにも起きないで淡々と過ぎてしまうし。

 まぁ、モンゴルの風景はオボーの場所までいつか見たような感じですばらしかったけれどね。
 特にローラが空港から尾行してきた殺し屋から逃げ回るシーンってガンダン寺周辺のごちゃっとした界隈だよね? あの門前にゲルが集まってきて勝手に板塀で仕切ってできたっぽい感じはとても素敵だし、「自分もあの中で迷子になってさまよいたい」欲は満足した。

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2008年7月10日 (木)

ドラマ「マルコ・ポーロ 東方見聞録」

マルコ・ポーロ 東方見聞録

2007年アメリカ
監督:ケヴィン・コナー
キャスト:
マルコ・ポーロ…イアン・サマーホルダー
フビライ・ハーン…ブライアン・テネヒー
テムルン/ケンサイ…デジレ・シアハーン
ペドロ…B・D・ウォン
チャビ…ルオ・イエン

 マルコはいいんだが、このフビライはやけに邪悪に見えるなぁ。重要な役どころだから、大御所を使わなければならない等々、言うも野暮なお約束事があるんだろうけど。顔つきというより所作がね。どこがどうと切り出していう事はできないんだけれども、モンゴル人の身振りじゃないんだなぁ。漢人にも見えず、ローマ法王に見えてしょうがない(笑)。白いの着てるしね。でもアメリカ人にはああいう動きが威厳があると思えて、あえての起用なんだろうか。それは逆に言えば、役者が徹底的にモンゴル人の動きを研究して自分のモノにすれば、顔がどうあれモンゴル人に見えるって事か?

 ま、いずれにせよ、兄を陥れ弟を破滅させた邪悪な男だからそう見えるのも間違いではないわな。そういう解釈もあるかなって程度で。このドラマではフレグとも必ずしも信頼し合っているわけでもなく、テムジンに比べて随分小粒のハーンに描かれている。特に日本遠征がこんなにクローズアップされていいのかってくらい重要なエピソードとして扱われている。そのおかげで、ドラマの流れとしてはきれいにまとまってはいるが……。
Semenovs_footnotes
第1部
 ヴェネツィアの商人の子マルコは、父や叔父のもとで見た珍しい品々に魅了され、誰もが信じなかった父の語るはるか東にあるという世界の中心を我が目で見たいと願うようになる。そのため、父と叔父がフビライのもとへ宣教師を送り届ける旅に同行する。宣教師はアルメニアで怒って帰ってしまうのだが。←アルメニアじゃ早すぎだろ! ほとんど進んでねえええ!
 マルコは途中、病でほとんど死にそうになりながらも、一行は中国にたどり着く。中国なので木の上にはパンダが! マルコの通ったルートにパンダの生息地なんてあったっけ? と疑問に思いつつ一行は上都に到着。フビライに宣教師を連れて来れなかった事を叱責される一行だったが、畏れを知らない若者マルコの歯に衣着せぬ物言いが皇后チャビの気に入られ、窮地を脱する。
 父や叔父と別れてこの地に残る事に決めたマルコ。宰相アフマドを誅殺する騒動に、マルコの奴隷ペドロが関わっていた危機も捨て身の直言で乗り切り、美しい娘テムルン(実はペドロの妹という偶然)を下賜され、徐々に重要な任務も任されるようになってくる。

第2部
 しかしテムルンには故郷に相思相愛の人がおり、マルコの不在中に逃げだそうとしてアフマドの件でマルコに恨みを持つコガタイに処刑されてしまっていた。テムルンには好きな人がいると知りつつもメロメロだったマルコは、もう恋なんてしないやい、と思っているのだが……。
 一方、日本に派遣した使節の首が漆の箱に収められて送り返されてきたことにフビライは激怒。表面上は冷静なのだが、チャビが諫めても、結局彼女の死後、日本に派兵する事になるので相当癪に障っていたのだろう。それに関連して、世界地図の空白を埋めるよう未知の国々の偵察にマルコを派遣する。マルコはフビライの信頼に応え、15年の間北に南に飛び回り、北の国から凍てつく地下を歩く象(=マンモス)の牙を持ち帰ったりする。ただ、マルコ、真っ先に西夏廟らしい所でスケッチしてるけど、そこはフビライもよく知ってると思うけどなー。

 ある時、テムルンにソックリのケンサイを見かけて一目惚れ。ケンサイはテムルンの妹で、姉にマルコの話を聞かされていたせいでもあろうか、マルコを好いているようだった。
 しかし、フレグの妃の死去を知らせ、モンゴルから妃を迎えるための使者が彼女に白羽の矢を立てた。マルコはいろいろと策略をめぐらせて、ケンサイと駆け落ちしようとする。しかし結局、彼をおしとどまらせたのは厳罰でもなく、チャビの遺言でもなく、フビライのマルコに寄せる無限の信頼だった。
 海路ペルシャに向かうマルコたちを旅の途中で待ち受けていたのは、フビライとフレグの訃報であった……。
Semenovs_footnotes
 全体として、マルコが獄中で作家ルスティケロに語った物語として話が進む。マルコってもっとお調子者ってイメージがあるんだけれど、そういう面はルスティケロが担っている。商人気質で機転の利く弁舌爽やかな男には違いないんだが、それよりも地の果てまでも行って自分の目で見てみたい、という冒険心が原動力になっている点が強調されているのは、アメリカ人好みなのかなぁ。そして真実を語るがゆえに、同時代の人たちに嘘つき呼ばわりされるが、後世には彼が語ったことは真実であると広く認められるって辺りも。
 モンゴル、モンゴルといっている割には中国じみてる。元だからそんなもんなのかな。元朝は私の脳内地図では中国であって草原の仲間ではないから違和感ないんだけど、よくよく考えてみると最初っからこんなに漢化してていいのかな(笑)。

 最初のうちはチャビ、有名な肖像画の印象と違うなーと違和感があったけど、慣れるとなかなか良いような気がしてきた。賢明な皇后が語る形式でマルコに関わる諸々のナゾもさりげなく解説しているのだけれど、
「野蛮人に統治をまかせたのが残ると恥だから、歴史書にそなたの名は残らない」
っていうのは、たぶん、元側の史料にマルコの名前が残っていない、従ってマルコ・ポーロなる人物はいなかった、というトンデモ説がかなり流布してしまっているのでそれへの反論を最初から織り込んでいるのだと思う。でも、もっと単純な話で、チンギス=ハンの中軍の百戸の長の名前でさえほとんどわからないのだし、ハーンという公的な存在でも私的な側近の名前は、あんまり残らないのではないかな。今だって政治家の私設秘書の名前は公にはあまり出てこないのと一緒でさ(もちろん、政治ヲタは知ってるだろうが)。
 だいたい、蛮族中の蛮族、蛮子でも名が残ってるのに「野蛮人だから」っていうのは、理由にならないだろ? むしろサル以下の野蛮人でも偉大なハーンの教化によって人並みのことができるようになったって自慢するところだと思うが(笑)。

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2008年6月30日 (月)

ラシード=アッディーン『モンゴル史』部族篇より(キプチャク)

キプチャク部族。

 オグズの章で述べられているにもかかわらず、キプチャクの記述がここにある理由は、カルルクと同じである。チンギス=ハンの時代にキプチャクの頭だったのは、チンギス=ハンの傘持ちの長(ミフタル)でキプチャク部族出身のクンヂェクという名のアミールである。彼は、クムルビシ=クンヂという名の息子を持っており、彼は腕利きの猟師だった。ある時、彼は使節としてイスラムの君主……その治世が長からんことを!……の許に派遣されたことがある。彼らはキプチャクの君主の氏族に属している。ともあれ、アッラーはもっとよくご存じなのであり、より賢明である!

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2008年6月29日 (日)

ラシード=アッディーン『モンゴル史』部族篇より(カルルク)

カルルク部族。

 この部族については、オグズの章で述べられているけれども、チンギス=ハンの時代に彼らは陛下の許に身を寄せ、それに関連して彼らについての逸話が物語られるので、ここでもその章から引いて少々述べられるのである。チンギス=ハンの御代に、カルルクの君長の名はアルスラン=ハンであった。チンギス=ハンがこの地方にバルラス部族のクビライ=ノヨンを派遣したとき、アルスラン=ハンは降ってクビライの許に出頭した。チンギス=ハンは彼に一族から娘を与え、彼をアルスラン=サルタクタイ、すなわちタジクと呼ぶよう命じておっしゃった。
「彼をアルスラン=ハンと呼ぶなどとんでもない!」

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2008年6月28日 (土)

ラシード=アッディーン『モンゴル史』部族篇より(キルギス)

キルギス部族。

 キルギスとケム=ケムヂウトは、お互い隣り合う二つの地方である。これらは双方とも一個の領土(マムラカト)を形作っている。ケム=ケムヂウトは大きな河で(注1)、一方の岸をモンゴルの地方と接し、一端はタイヂウト部族のいるセレンガ河である。一つの岸はイビル=シビル(注2)の地方の端まで達するアンカラ=ムレンという名の大きな河と接している。ケム=ケムヂウトの一方の岸は、ナイマン部族のいる場所と山々に接している。コリ、バルグゥ、トゥマト、バヤウト諸部族の一部はモンゴルであり、バルグジン=トクム(注3)の地に住んでいるが、彼らもこの地方に近い。この地方には多数の街と村があり、遊牧民が無数にいる。彼らの君主の称号は、たとえ彼が他の名を持っていたとしてもイナルであり、尊敬と名声を勝ち得ているこの地方出身の氏族の名はイディである。その君主は、…(空白)だった。他の地方の名はイェディ=オルン(注4)といい、その土地の君主はウルス=イナルと呼ばれた。

 兎の年であり603年(注5)の月々にあたるトライの年に、チンギス=ハンは急使としてこれら二つの君主にアルタンとブクラを派遣して、傘下に呼び寄せた。ウルト=ウトヂュ、エリク=ティムル、アトキラクと呼ばれる自分たちの三人のアミールと一緒に若者から年長者に敬意を表すように(注6)白い鷹を持たせて彼らを送り返し、服属した。

 12年後のバルスの年に、バルグジン=トクムとバイルクにいたトゥマト諸部族の一つが反乱したとき、この部族はキルギスから近かったのでその制圧のためにキルギスから軍隊(チャリク)を出すよう求めたが、それを出さずに反乱した。チンギス=ハンは、彼らに自分の息子のジョチを軍隊とともに派遣した。クルルンが彼らの長だった。ノカという名の者が先鋒として派遣された。彼はキルギスを敗走させ、八番目の河(注7)から帰った。ジョチが迫ったとき、氷が既にケム=ケムヂウト河を氷結させていた。彼は氷上を渡ってキルギスを制し、服属させて帰った。
Semenovs_footnotes

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2008年6月27日 (金)

ラシード=アッディーン『モンゴル史』部族篇より(ベクリン)

ベクリン部族。*

 彼らはメクリンとも呼ばれる。彼らの宿営地は、ウィグルの地方の到達しがたい山中にある。彼らはモンゴルではなく、ウィグルでもない。彼らはたいへんな山岳地域に住んでいるので山を良く歩き、彼らは全員絶壁を歩く者(キアチ)である。一部隊の千(ハザレ)を編成した。彼らはチンギス=ハンに服し帰順して、そのアミールと頭はチンギス=ハンの軍務に就いた。彼らの地方はカイドゥのウルスの境界に近いので、カイドゥは彼らを連れて行って自らに併わせた。その時の彼らのアミールは、ヂナンチ(注1)という名だった。チンギス=ハンの時代に、彼らの長は娘を連れてきて彼に捧げた。チンギス=ハンは彼女が非常に気に入り、彼女をたいへん愛した。彼女の名はムカイ=ハトゥンである。しかしながら、彼女から彼は子を得なかった。チンギス=ハンの命令は、彼自身または息子たちの嫁として気に入った任意の者を娶れるよう、ベクリン部族は自分たちの娘を差し出すように、というものだった。チンギス=ハンの死後この妻を娶ったのは、ウゲデイ=カアンだった。彼は他のどの妻よりも愛し、彼女たちをうらやましがらせた。チャガタイもまたこのムカイ=ハトゥンに恋していた。ウゲデイ=カアンが娶る事が彼に知れる前、
「母たち、父の美しい側室たち(注2)のうち、私にこのムカイ=ハトゥンを譲ってください!」
と言い遣った。ウゲデイ=カアンは答えた。
「私が彼女を娶った。もし知らせがもっと早く届いたなら遣わしたのだが。もし、彼が他に心を寄せる者がいるなら与えよう!」
チャガタイは言った。
「私が欲しいのは彼女です! そうでないなら他の者など欲しくありません」
この妻からカアンもまた子を得なかった。カイドゥの母であるカシンの妻は、ベクリン部族の出身だった。彼女の名はシプキネである。この部族の世系(タイフェ)の一つはフラグゥ=ハンとともに来て、この国(=イラン)でも彼らは断崖と山中を歩く者なのであった。
Semenovs_footnotes

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