2022年8月13日 (土)

嵐のC100(物理)

100回記念のコミックマーケットに参加しました。

台風の影響で風が強く、直射日光もなかったので、待ち時間もそんなに暑くなくて良かったのですが……

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不穏な雲が流れる流れる。

そして、入場が始まり建物の中に入る直前にぽつんぽつんと降り始め、群雄スペースへ向かう頃にはザーッとすごい勢いで雨が降ってきました。

ひょえ~。すごいタイミング。まぁ、そのお陰で夏コミ特有の酷暑はなく、楽ではありました。

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『ウンゲトゥの石像』は右端。台風の影響で、早めに帰る人が多かったようですね。いつ電車が止まるかわからない、みたいな過酷な条件の中で来てくださった方々、ありがとうございました。

 

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2022年8月11日 (木)

『ウンゲトゥの石像』刷り上がったそうです!

C100に間に合ったー!

「群雄」は13日(東Q12b)。ギリギリ過ぎる~(笑)。

実物はまだ手元にないので、画像は次の機会に。

ところで、今回の薄い本には巻頭カラー頁がありますが、そこに入れなかった写真を一つ。

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なぜ入れなかったかというと、石人とも自然石とも判断がつかなかったため。顔ないし。

でも、後から考えると、16頁の№27(35)の人物像なんじゃないかと思えてきました。

№27にはイラストがないので、すり合わせるすべもないんですがね。ナンバリングされているということは、発掘報告書かなんかを見るとイラスト的なものが出ているかもしれません。

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2022年8月 8日 (月)

C100では『ウンゲトゥの石像』@土東Q12b

薛延陀の夷男の廟だという説を称えるヴォイトフの『ウンゲトゥの石像』ですが、表紙はこんな感じになる予定です。

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地味?

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こんな感じの方が良かった?

ところで、この表紙を作ってるときに、この石人の目って卵形の出っ張りの下のへこみのところで、卵形の出っ張りは帽子かなんかの装飾品のような気がしてきたんですけど(バランス的に)、どうでしょうか?

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2022年6月11日 (土)

コミックマーケット100に参加します

群雄はコミックマーケット100(Comiket100)に当選しました。
2022年8月13日土曜日 東Q12bです。
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世にも珍なる薛延陀ネタ「ウンゲトゥの石人」の準備はしているんですが、間に合うかなぁ……という感じです。
とりあえずは前回のコミケで出したバルトリドの「アニー マヌチェ・モスクのペルシャ語碑文」をよろしくお願いします。

あー、でも一般入場は今回も抽選でしょうから、まずはそれに当たらないといけませんが!

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2020年8月16日 (日)

『モンゴルの親族組織と政治祭祀 オボク・ヤス構造』を読んで考えたことなど

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モンゴルの親族組織と政治祭祀―オボク・ヤス(骨)構造

 『モンゴル史(集史)』ロシア語版を訳しているとき、悩んだことの一つがローヂチ(родич)の訳。
 そもそもこれ、モンゴル語の何の訳なんだろう? アカ・ヴァ・イニと一緒に出てくる印象があったので、オボクの訳なんだろうか? じゃあ、ロート(род)がウルクかな???と思っていたが、ラシード原文のペルシャ語を見ているワケではないので、想像の域を出なかった。

 そんなとき、楊海英著『モンゴルの親族組織と政治祭祀 オボク・ヤス構造』という本が出ているのを知り、これで謎が解けるかも、と思って即ポチした。

 読み始めて間もなく、30ページにモンゴル語とロシア語の対照表が出ていた。
 積年の悩みに決着が!と胸が高鳴ったのだが、思っていたのと何か違うような?

 というか、この本、ウルクが全く出てこない。最終章にようやく出てきて、ウルクはオボクのテュルク語的表現だとひとことで終わり。そ、そうだったのか?

 つまり、ウルクとオボクには差がなく、差がないところに無理に違いを見いだそうとしていたから混乱しまくっていた(←自分が勝手に)ってこと?

 とはいえ、『モンゴル史(集史)』も「部族篇」しか訳してないので、『集史』全体では違うのかもしれない。しかもロシア語の時点でいわばモンゴル語→ペルシャ語→ロシア語の重訳だから、もとのモンゴル語がどの程度反映されているかわからないよなー、と思い、とりあえず「部族篇」も一部訳しているスミルノヴァさん訳の「祖先紀」「チンギスカン紀」で、ロート(род)が何の訳かハッキリ書いてある箇所をピックアップしてみた。

ナサブ(nasab)5箇所
ウールーク(ūrūġ)2箇所
カビーレ(qabīle)6箇所
ナスル(nasl)4箇所
クドゥード(qu ̒dūd)3箇所
ヘイル(kheyl)2箇所
シャヂャル(shadjar)1箇所
アスナーフ(aṣnāf)1箇所

……って、バラバラやん!(笑)結局、一般的にロートに訳されてるのは普通のペルシャ語なんだろうな?
 どんどん群盲象を撫でる的な方に行ってる気がするので、余談は脇に置いとくとして。

 『モンゴルの親族組織と政治祭祀 オボク・ヤス構造』そのものは、とてもおもしろかった。モンゴルの部族や氏族の名称について、今まで、全部個別案件、それぞれ来歴をたどらなきゃダメかとあきらめていたものが、オボク、ヤス、オトク等から考えて、これほどスッキリわかりやすく系統づけられたものはなかったように思う。「だいたいこんな感じ?」と漠然と感じていたことともピタリ合ってる。

 ただこれ、『集史』『秘史』あたりでモンゴルの部族名と系統というか関係性が頭に入っていないと、とっつきにくいかもしれないな。逆にそれがわかると、チンギス時代のあの部族が、今はこうなってああなっているんだ、と面白さ倍増。
 モンゴル帝国時代が現代モンゴルにも生きている感じがしてとても良い。

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2020年8月10日 (月)

『モンゴル紀行』(1972年)を読んでみたらおもしろい発見があった

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 小澤重男さんと言えば、岩波文庫版『元朝秘史』や『元朝秘史全釈 』で大いにお世話になった(翻訳時に参照しまくった)ので、小澤重男=元朝秘史ぐらいのイメージができあがっていたのだが、この本に小澤さんが山登りする話が書いてあるらしいと知り、「そんなスポーツマンな面もあったのか!」と少々意外に思って気になっていた、、、割にはツンドラ……いや積ん読になっていたので、今更ながら読んでみた。

 

 読んでみたら、あらすごい。「山登り」程度の話じゃなくて、モンゴル西部の未登峰ハルヒラーに、しかも隊長として挑むというガチな話。いまどきの日曜登山家がホイホイ難しい山に登っちゃうのとはわけが違う。何かすごい。

しかもこれ、日本とモンゴルの間に国交がない時代の話なんだよね。モンゴル人力士が日本で大勢相撲を取っている今からは想像しにくい時代だなぁ……と思ったけど、やっぱりモンゴルだなぁと思えるところはそこかしこにあった。良いところにしろ、悪いところにしろ(笑)。

 

 でも、さすがにその辺の草っ原に飛行機(国内線ではあるが)が離着陸ってのは、今はないだろうなぁ。「そういうの、ノモンハン(ハルヒン=ゴル)戦記とかで読んだことあるぞ」って思ってしまった。……でもわからない。そんなにモンゴルを極めたわけではないので、地方空港へ行ったら案外その辺の好きなところに着陸するスタイルだったりして。
 全体の分量の半分以上が、山そのものに着くまでのあれこれの困難と、登頂後のモンゴルの歓待ぶり。登山そのものの記述よりずっと多かったので、アネクドートの「レーニンと会った農民が出版した本」みたいになっとる(笑)。

 

 とはいえ、登山の拠点となる地方都市がウラーンゴム(オラーンゴム、ウランコムとも)、しかもロシア(ソ連)経由で行く話だったので、「どうやって行くんだろう?」と興味津々ではあった。モンゴル西部とロシアは、ハイウェイで繋がってるとかいう話だったので。
 しかし、何のことはない。イルクーツクから飛行機でウランバートルへ飛んだだけだった。ちなみに、草っ原滑走路は、ウラーンゴムの話。

 

 ところで、なぜウラーンゴムかというと、ルーン文字碑文と同時期(9世紀前半)に建立されたと覚しきウィグル文字の碑文があるから(何が書かれているかはシェルバク『ターキッシュ・ルーン テュルク人最古の文字の起源』参照)。本文中ではこの碑文に全く言及されていなかったけどね。そのため、見過ごしそうになったが、この碑、挿し絵の写真に写っているではないか! 

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ウラーンゴム博物館の前に建っている碑。間違いない。

 

 露天に雨ざらしなのでレプリカかもしれないが、当時のモンゴルだったら、オリジナルが雨ざらしってこともあり得る。まぁ、今ではさすがにそんなことはなかろうが。

 

 直接関係ないナー、と思っても、どこにどんなお宝が潜んでいるかわからない。自分の担当地域(笑)の情報は、片っ端から洗っておくに越したことはないもんだ。

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2020年7月17日 (金)

C99が延期になったそうです!

 2020年春に開催予定だったコミックマーケット98の中止に続き、年末の開催が予定されていたコミックマーケット99(C99)が来春まで延期されることが決まったそうです!

 

 今年の5月に出そうとボチボチ訳していたバルトリドの『アニー マヌチェ・モスク壁面のペルシャ語碑文』(イル=ハン・アブー=サイードの令旨についての考察)は、挿絵の挿入や校正作業を経て、後は印刷に回すばかりになっていたのですが、それも来春までお預けのようです。

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バルトリド先生を前面に推しだした表紙案

 仕方がないので通販に力を入れることとし、在庫が切れている『モンゴル史』「部族篇」の1と4を増刷しようと考えています。で、増刷するならせっかくなので、その後判明した不確定な箇所を正し、完全版にしたいので、もう少し待って下さいまし。……決して「出す出す詐欺」じゃないですよ(汗)。

 

※まぁ本当は、上記バルトリドの翻訳も「部族篇」3の20頁に「参照せよ」とある論文なので、「部族篇」1~4読む際のお供に連れて行って欲しかったんですけどね~。

 

 群雄堂書店の本は「薄い本」といっても、家族に見られても恥ずかしくない・むしろ見せびらかして自慢して欲しい本なので、ふるって注文していただきたいところ……なので、頑張って完全版作りに励みたいと思います。

 

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2020年3月 8日 (日)

C98に向けアラビア文字のタイポグラフィーについて考える

 コミックマーケット98は、やるのかやらないのか?何だか不透明な今日この頃ではありますが、My出し物の方はV. V. バルトリドの「アニー マヌチェ=モスクのペルシャ語碑文」(コード名「アニーにおまかせ」)の翻訳が着々と進んでおります。っていうか、下訳は終わっているので、読みやすさや訳語の統一等々の細々した問題に目をつぶれば、「出す」重視で内容を問わないなら出せる(笑)状態です。

 

 冬コミ・春コミ間の期間が短いので、短めのをちょこちょこっとやろうと思ってこれを選びました。内容も、アニーの住民から不当な税金を取り立ててはいかん、というアブー=サイードの令旨の碑文で、杉山正明氏の「八不沙大王の令旨碑より」と似ており、東西のモンゴル王の命令を並べてみたらおもしろかろう、という思いつきもあってのことです。

 

 しかし、ペルシャ語?アラビア語?の部分が多くてとんだ地獄を見ました(笑)。とはいえ、一応入力は終わっています。ただ、文字の識別が困難な箇所があって、あまり自信はありません。
 特にファーとゲイン。この語中形をどうやって見分けるんだ???と、悩んでいましたが、打ち込みが終了して「原稿作りも一段落!」と、息抜きにネットサーフィン(死語)をしていて良い資料をみつけました。

 

 それがこれ。「アラビア文字の基礎知識」

 

 超初心者向けのペルシャ語入門の語学書を読んでもサッパリわからなかった事、致命的な欠陥ではないけれど美観的にどうにかならないかと思っていた箇所がバッチリ出てました。
 のみならず、『モンゴル史』「部族篇」で「???」となっていた箇所も「あっ、あれってこれじゃん!」と、わかってきました。……それにしても、2005年版かぁ……もっと早くに出会っていれば!

 

 でも言われてみれば当然で、ネットやパソコンでのペルシャ語やアラビア文字の表記の問題なのだから、ネット上でなにかしらの議論が繰り広げられていたはずです。しかも、ペルシャ語そのものを学ぼうというわけではないのだから、最初からネットで探すべきでした。

 

※たとえば、Tahomaのアラビア文字フォントは「漫画チックな(もっと言えばふざけた)印象を与える」とか、アラビア文字の「Unicodeにおける文字名称は、ヤケクソ(?)で付けられた物が多数ある」なんて箇所は、読んでいて笑えるような笑えないような、「あ、やっぱりそう思うよね?」と、とても共感。

 

※また、「アニー……」の中では、日本語フォントとアラビア文字ペルシャ語のフォントを同じポイント数によるとアラビア文字が小さく見えるんだけれど、かといってアラビア文字部分だけポイント数を上げると行間が空いてしまう、というような問題も取りあげられていました。だいたい、原稿を作っていてきれいな見た目にしたいなぁ、と思ったときに問題になった点は、既に議論し尽くされていたというわけ。ま、解決はしてないようですが……。

 

 とはいえ、チャットのような場所で繰り広げられた議論を今から追いかけるのは難しい……というかメンドウクサイので、ここまでスッキリわかりやすくまとめてある文書は大変重宝します。いま日本語ワープロで多言語混在、しかも左→右文も右→左文もガツガツ混在できるのも、こういった試行錯誤があったからでしょう。

 

 ちょうど売り切れている「部族篇1」の疑問だった箇所もこれのおかげで直せそうです。コミックマーケット98にむけ、ぽちぽちとでも確実に準備を進めて行きますよん。

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2019年12月 2日 (月)

古代オリエント博物館にギョベクリテペ遺跡関連の講演を聞きに行ったよ

 ギョベクリテペと言えば、トルコ南東部にある世界最古の神殿とも言われる有名な、そして謎の多い遺跡だ。

 この遺跡に関する特別講演会「世界最古の神殿—トルコ、ギョベクリテペ遺跡とその周辺—」が、古代オリエント博物館であると聞きつけ行ってみた。

 平たいT字型の石柱に特徴的な動物紋様が刻まれ、顔は表現されないものの、全体的には人間を表している……とくれば、モンゴル高原周辺の鹿石に似てない?ってことで、これは是非聞きたいと、早めに出たつもりだった。
 しかし、着いた頃には大入り満員の大盛況。150人程度は来ていたかな。テーブル席に着けずに横に並べられたイス席に座ったよ。

 エルドアンが今年を「ギョベクリテペ年」に指定したそうで、駐日トルコ大使も挨拶したりしてトルコ側はたいへんな力の入れよう。日本側も主催者挨拶をした古代オリエント博物館館長、司会進行・通訳ばかりでなく聴衆にも第一線の研究者が集っていたもよう。メインのギョベクリテペ遺跡についてはネジュミ・カルル・イスタンブル大学教授、ここで起こった変革が周囲に与えたインパクトとその伝播についてはエイレム・オズドアン同大学准教授が講演した。

 第一線で活躍する研究者の話す最新情報は、予想以上に刺激的だった。

 私が思っていた、①あんな巨石をどこから持ってきたんだ? ②神殿に入り口がないってどういうことだ? 
……という素朴な疑問は、質問票に書くまでもなくあっさり解決。講演の中で語られた。

 すなわち、①石切場は、ギョベクリテペから500mも離れていないところにあり、石の目に沿ってはがして切り出した(切ってないのに「切り出した」と言うのもヘンだけど)
②神殿には、ドーム状の屋根に入り口があり、ハシゴで出入りしてた
……そうな。宇宙人のオーバーテクノロジーじゃなかった(笑)。

 

 おもしろいなと思ったのは、真ん中にあるひときわ背の高いT字型の二本の石柱は人間を表しており、それをぐるりと取り囲む背の低い石柱には牙をむく恐ろしげな野獣が描かれているっていうことは、人間が世界の中心であるということを意味しているという説。こういう考え方って、キリスト教的な世界観につながって、現在まで生き残っているんじゃないかなって思った。蛇の紋様が好んで描かれるのも、キリスト教で蛇が悪魔扱いされてるのと関係ありそうな気がしない?(古い神は貶められる的な)。

 もう一つは、神殿を廃棄するには手順がいるってこと。自然に寂れていつの間にか使われなくなったんじゃなくて、最初に小石、次に土、最後に大きな石を入れるという決まった手順があった。そうやって丹念に埋められたからこそ現在完全な形で発掘された……という。
ギョベクリテペは孤立した遺跡でなく、近場に似た遺跡がいくつもあって考古学者には知られていたそうだが、その一つジュルフェルアハマル遺跡のケースだと、頭を取り外した少女を神殿の真ん中に置いて、意図的に火を放って廃しているんだって。……これ、絶対なんかヤバイもの封印しているよね(笑)。

 

 ギョベクリテペ遺跡についてのナショジオのドキュメンタリーを見たことがあるが、ちょっと古い情報だったので、1万2000年前の突拍子もない遺跡かと思っていた。が、今回の講演を聴いて、現在にしっかりと繋がっていると感じることができた。
 こうした古代の歴史については、新しい遺跡が発掘されてどんどん新しい発見があるから、常に最新の情報に接しておくのは大切だし何よりおもしろい、と改めて思った。

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2019年12月 1日 (日)

モンゴル近・現代史理解に不可欠の良書・佐々木智也著『ノモンハンの国境線』

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要するに「ハルハ河が国境線である」とは馬鹿でも言えるが、その逆を言うためには専門的な知識が必要とされたのだ。しかも厄介なことにそうした専門知識は、中途半端に身に付けているとかえって危険で、間違いをいっそう強固なものにしかねないものだった。(『ノモンハンの国境線』174~175頁)

 

 これって本当に名言だと思う。一歩一歩丁寧なプロセスを経ての理解を放棄した思考停止バカがいる一方、正しいものは正しいと言う人はいた。当時の東洋学者や満鉄が正しい境界線を導き出して提示してたのには、なんだかホッとした。しかし、「結論ありき」で自分たちに都合の良い調査結果しか見ない連中が、昭和天皇の意向にさえ逆らって紛争を起こしていく。

 

 そもそも、近代国家が国家であるためには、「領土」「国民」「主権」の要件が必要……なんて中学校だかで教わったような気がするが、それなら、現在のモンゴル国の国境線にはいかなる法的根拠があるかを紐解いていく本書は、現代モンゴル国の歴史を語るに等しい。

 

 そんなわけで、『ノモンハンの国境線』は、ノモンハン事件(ハルハ河会戦)に興味のある人だけでなく、モンゴルの歴史に興味のある人が読めば、絶対、おもしろいと感じるはずだ。
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この付箋の数だけの「へぇ!」「そうだったのか!」が詰まってます!

 

 国境確定を巡る周辺国の動きは、歴史の醍醐味そのもの。その周辺国の中に、当事者として日本も関わっているから、割と流れを追いやすい。日本の近・現代史に興味のある人にも、日本史と世界史は地続きだと実感でき、複雑怪奇とも言われる20世紀はじめの世界史を理解するにも役立ちそう。

 

 しかも、条約やら協定やらのややこしい話でも、節目節目におさらいが入るので、読み進めば読み進むほど記憶が定着。あちらの国こちらの国と話が飛んでも、それらが交錯したところで、登場人物それぞれの思惑が同時にわかってくる。そうだなー、たとえるなら、全天球カメラで撮った映像をぐりぐり動かしていろんな角度から見ることができる、みたいな(笑)。なかなか巧みな語り口だと思う。

 

……なーんて「勉強に役立つ」的なお堅い話ばかりでもないんだな。「スターリンを平手打ちした男」みたいなネタかアネクドートじゃないかと疑っちゃうようなおもしろエピソード(失礼!)もぶっ込んでくるところが『ノモンハンの国境線』の読み物としてもおもしろいところ。

 

 個人的な感想としては、自分が『モンゴル史』訳しているときは、言葉を捻り出すことでいっぱいいっぱいになっているせいもあり、出てくる地名がリアルにどこにあり、どういう位置関係なのか、ほとんど注意を払っていなかったなー、と大いに反省させられた。
『ノモンハンの国境線』を読むと、モンゴル帝国時代にもよく聞く地名が出てきて興味深い。外国人の好事家にとってもこのようなのだから、現地の人ばかりでなく、モンゴルの人たちにとっての思い入れは格別だろうと想像できる。そのような「心のふるさと」を軽い気持ちで侵略してしまった日本は罪深いな。

 

p.s. 「アラシャ」と「アラシャン」と両方出てきて、自分は「アラシャン」の方が普通かと思っていて、著者にもそう言ったのだけれど、現地のモンゴル人は「アラシャ」と呼ぶそうだ。(参考:斯琴(スチン)「内モンゴル・アラシャ地域におけるアラシャ崇拝」(千葉大学『人文社会科学研究』第17号、2008年9月)による)
「アラシャン」は、外来者である漢人の呼び方で、彼らによって広がったそうな。私は戦前からのモンゴル研究の影響で、アラシャンが普通かと思ってたけど、『ノモンハンの国境線』的には「アラシャ」で統一するのが良いかもしれないね。

 

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